『バカカイ――ゴンブローヴィチ短篇集』ヴィトルド・ゴンブローヴィチ【4】


まず、タイトルですね。『バカカイ』って、巻末の「訳者メモ」によれば、作者が暮らしていたブエノスアイレスの街路の名前だとか。要するにあまり意味のないタイトルなわけですが、それでも僕は「馬鹿かい?」と読んでみたくなる。なんせ、どの短編を読んでもまともな登場人物なんか出てきやしないんですから。勝手な理屈で勝手に暴走するうざいヤツらばかり。
ちなみに、当初この作品集は『思春期からの手記』というタイトルだったそうです。いわゆる「若書き」というやつでしょうか。ゴンブローヴィチはこの作品集に対して、こんなコメントを残しています。

それにしても、悩み多き思春期のたわいもないコンプレクス、反抗、澱を知らぬ人があろうか? あの時期のわざとらしさとか、〈本気ではない〉特有なよそよそしさ(ディスタンス)とかを?

青春時代のこの思い出の上梓を思い立った所以は、単に、どの年齢も発言の権利を持つと考えるからにほかならない。

このコメント自体が、ゴンブローヴィチの「永遠の青二才」っぷりを示しているようで、非常に興味深い。あたりを見回してみれば、発言しているのは理路整然とした大人ばかりじゃないか。でも、誰もが未熟な部分を抱えていたはずだ。知っているだろ、あの気分を。だったら、未熟な者の未熟な発言があったっていいじゃないかと。
そんな青二才からすれば、権威や良識は非常に窮屈なものに感じられるでしょう。いや、他人事みたいに言ってますが、僕だってそう思うことが多々あります。そうしたものと戦うにはどうすればいいのか。正面からぶつかっていけばいいじゃないか、というような考え方もあるでしょう。でも、ゴンブロさんの青臭さはそんなもんじゃ収まりません。もっと潔癖です。
権威を目の敵にして拳を振り上げることで、逆にその権威にお墨付きを与えてしまうという側面だってある。なぜなら、権威におもねるのも権威に逆らうのも、権威があるということを前提にした行為だからです。だからゴンブローヴィチは、権威を振りかざす側もそれに逆らう側も同じようにからかうんですよ。それによって、どちらも権威主義であるということを浮き彫りにしていく。そして作品の中の登場人物たちは、権威主義を突き詰めた末に自壊していきます。
もう一つ、これらの作品が書かれたのは、両大戦の間の時期ということも注目しておきたいところです。声高にではありませんが、この作品集のあちこちにチラチラと戦争の影が見えるんですよ。そこに、戦争なんてどうせこの程度のもんでしょというような冷ややかな視線を感じます。戦争がもたらす全体主義は、ゴンブローヴィチにとってはさぞかし息苦しいものだったに違いありません。
権威や良識、そして戦争などをからかうとき、ゴンブローヴィチは、歪な物語や突拍子もない展開、奇矯な登場人物という形で行います。成熟を拒否しているんだから当然ですが、決して滑らかな小説ではありません。ぎくしゃくとしていてどこへどう転がっていくかわからない。そこに黒い笑いが生まれる。
ジョン・レノンは「相手がどう反撃していいかわからないようなやり方で、ぼくは権力と戦いたい」と言ったそうですが、このフレーズはゴンブロさんにもぴったりきますね。ゴンブロ作品はすごく可笑しいんですが、一方的に笑ってもいられないのは、僕もまたうっかりすると権威に引っ張られそうになるからです。それに気づいたとき、笑いが引きつる。
バカたちのバカ騒ぎをバカにしてるとバカ言うもんがバカだと笑われる。ゴンブローヴィチの面白さと恐ろしさは、そんなところにあるんじゃないかな。
では、10作品からベスト5を。
1「クライコフスキ弁護士の舞踏手」
2「帆船バンベリ号上の出来事」
3「大宴会」
4「計画犯罪」
5「ねずみ」
冒頭の「クライコフスキ弁護士〜」で、出会い頭にガツンとやられちゃったので、その印象込みで1位にしました。


ということで、『バカカイ――ゴンブローヴィチ短篇集』についてはこれでおしまいです。バカですけど何か?