『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー【1】


魔法の夜


もうピンチョンは読まないの? いやそういうわけじゃと言葉を濁してるうちに1年以上過ぎちゃった。今さら言うなって感じだけど、ピンチョンは二度目の中断。そして、それとは別にふと思い出したように更新します。
今回読むのは、これ。
『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー
です。
ミルハウザーはこれまで何度も読んでるし、中編ってことでわりと読みやすいんじゃないかと踏んでます。では、いってみましょう。


まずは冒頭。「落着かない」という章題がついたパートから。

コネチカットの暑い夏の夜、潮は引きつつあり月はいまだ昇っている最中。十四歳のローラ・エングストロムはベッドの上で身を起こし、上掛けをはねのける。額は湿って、髪も濡れている気がする。半開きの二つの窓の網戸を通して、コオロギのギシギシいう声と、遠くの高速道路を車が疾走するおぼろな音が聞こえる。十二時五分過ぎ。

じっとり汗ばむ、寝苦しい夏の夜です。ベッドの中で、外の音を聞いている少女。聞こえてくるのは虫の声と車の音。14歳だと、12時過ぎはもう寝ていてもいい時刻だよね。にも関わらず、彼女は眠れずに窓の外のことを考えている。

刈られた芝の香りが、四ブロック先の浜辺の引き潮の匂いと混じりあう。彼女は自分があそこに、夜の浜辺に、いるところを想像してみる。低い波が砕け、砂がザクザク鳴り、救命係の椅子が月光の下で高く、白く、くっきり浮かび上がる。でもそう考えると不安になってくる。無防備に身をさらしている気がする。月光に照らされた、開けた空間に立つ、こっそり見られている女の子。

音の次は匂いです。芝生と潮の香り。音に耳を澄まし、匂いに鼻をひくつかせながら、ローラの意識は外へと向かいます。これがミルハウザーの素晴らしいところです。彼女は部屋にいながらにして、音や匂いの力で「ここじゃないどこか」を幻視する。ミルハウザーの夢想はいつだって具体的です。具体的すぎて、一人で浜辺に立っているのが不安になるくらい。いや、浜辺じゃなくて部屋にいるわけですが。

ナイトガウンを頭から脱いで、白いTシャツを着て――ブラはなし――デニムのジャケットを羽織る。ひとつのポケットが膨らんでいる――半分残ったライフセイバーズ・キャンディ。ここから抜け出さなくちゃ、息をしなくちゃ。息をしないと死んでしまう。こんな部屋にいたら死にそう。遠くへは行かない。

とりあえず、この部屋にはいられない。どこかへ。そう遠くなくていい。例えば、4ブロック先の浜辺とか。着替えのシーンでふっとポケットの膨らみがクローズアップされるところがいい。ライフセイバーズ・キャンディが浜辺の救命係と響き合い、彼女のお出かけがある種の「冒険」であることを予感させます。というところで、この章はおしまい。
読んでいけばすぐ気づくことですが、この小説はミルハウザーお得意の断章スタイルで書かれています。夏のある夜、眠れずにいる何人かの人々の様子をかすかな幻想性を漂わせながら描いていく。断章は時系列に沿って並んでいて、12時5分過ぎから始まり徐々に夜は更けていきます。
ざっと、登場人物を紹介。なんだか落ち着かない14歳のローラ・エングストロム。作家志望の39歳独身男ハヴァストローと、彼の話し相手となる61歳の老婆ミセス・カスコ。男の子と逢い引きをする20歳のジャネット・マニング。友人たちと図書館に忍び込む16歳のダニー。しこたま飲んでべろべろになっている28歳の男ウィリアム・クーパー。その他にも、一人暮らしの女や艶やかな黒髪の男、森の声に誘われて目覚める子供たち、屋根裏の人形たちやショーウィンドウのマネキンなどの様子が、ミルハウザー特有の緻密なタッチで描写されていきます。僕が好きなのは、泥棒少女の集団。

かねてから町を荒らしている無法者の一団を彼は思い浮かべる。女子高生五、六人の一団が夜に人家に押し入り、キッチンから食べ物を奪い、冷蔵庫マグネット、歯ブラシ、眼鏡ケースといった些細な小物を盗んでいく。彼女たちはかならず、鉛筆で几帳面な大文字で私たちはあなた方の娘ですと書いた紙を残していく。女の子たちは狡猾であり、準備もぬかりない。鍵のかかっていない裏口や地下室の窓から侵入し、音もなく家に入っていって、ひっそりと出ていく前にかならずしばし居間に座っていく。

「無法者たち」という章からの引用。ミルハウザーの短篇「夜の姉妹団」を思わせます。冷蔵庫のマグネットを盗む、というのもいいし、必ず居間でくつろいでいくというのもいい。盗みが目的ではないんでしょう。それよりも、「エレガントな犯罪」というものにうっとりするような魅力を感じているのかもしれません。「私たちはあなた方の娘です」というのもいいですね。誰でもないけど誰でもありえるアノニマスな存在。月に浮かぶシルエットだけの存在。何とも捉えどころがありません。
ということで、物語もクライムストーリー的な起伏を見せることなく、真夏の夜のスケッチを重ねていきます。ストーリーを追ってもあまり意味がないタイプの小説というか。なので、ここから先は僕が気に入った場面をいくつか紹介していきます。
まずは、「一人で暮らす女」という章。

私たちのように一人で暮らす人間は、人から何も言われないから、いろいろ妙な習慣が身についてしまう。靴下を片足だけ履いたり。暖かい夜の空気の中、一人で喋ったり。こんな夜、庭を歩き回って、芝のみずみずしさを嗅ぐのは何て気持ちがいいんだろう。べつに法律違反じゃないでしょ。

こういう、自分一人のルールや習慣というものに惹かれます。長い年月をかけてコツコツと積み上げられてきた営みの証、という感じがするんですよ。靴下という細部に、その人の人生が折り畳まれている。「べつに法律違反じゃないでしょ」というのもいいですね。誰にも邪魔されないだけでなく、誰のことも邪魔せずに生きている。その矜持が伝わってきます。
次は、「静けさ」という章。窓辺で誰かを待っているジャネットは、庭を見ながら考えています。

庭の右側は、脚立にのぼらないと刈れない高い生垣に縁どられている。生垣の底の方は茎も枝みたいに太く、這って通り抜けられるすきまがある。左側は車庫で、長い側面は影になっていて前面は月光を浴びて白く輝いている。庭の奥は、主としてトウヒでヨーロッパアカマツも何本か交じった常緑樹の木立で区切られ、そのうしろに金網の柵があってこの庭と隣の庭を隔てている。その向こうは、またもうひとつ庭。庭また庭、小さな長方形がいくつも町外れまで延びて、ずうっとアメリカの果てまで延びている。ひょっとしたら、生垣をくぐり抜けて、柵を乗り越え、砂箱と野球バットの前を過ぎていけば、ある日最後の生垣を押し分けて、突然――バイオリン、お願いします!――太平洋が。

最初に出てきたローラが芝生と潮のにおいから浜辺を思い浮かべたように、ジャネットは庭をつたって海まで妄想を運んでいきます。「小さな長方形」ってのがいいですね。プールづたいに町を移動する『泳ぐ人』って映画がありますが、庭を通っていけば遥か遠くどこまでも行けそうです。そして、バイオリンが高らかに鳴り、突如目の前に開ける海。
「ダニー一人」という章。悪さをする仲間から離れて、一人夜道をゆくダニー。童貞の彼は、悶々としたものを抱えているようです。

ダニーは歩きつづけ、駅の駐車場を過ぎ、暗い高校を過ぎて、高架の高速道路の下を抜ける。この時間走っているのはほとんどトラックだ。いっそ大学なんか行くのをやめて街道をさすらう身になろうか。トラックの運転手になって、窓から肱をつき出し夜に国を横断する、何も言わずに一人で。二十四時間営業の食堂の突然の明るさ、石みたいに重い分厚い白いカップに入った湯気の立つコーヒー。ダイアナ・サンタンジェロが彼のジョークにあははと笑い、笑いながら時おり彼の腕に触れる。笑うと肩が揺れ、すべすべのブラウスが揺れ、髪が揺れ、彼女は本の束をぎゅっと胸に、乳房の中に押し込もうとするみたいに痛々しげに抱きよせる。乳房があるってどんな感じだろう、とダニーは想像してみる。

最初にローラが聞いたのが、虫の声と車の音ですが、高速道路を走る車の音はそのあとも何度も出てきます。ダニーもまた走り過ぎるトラックを見てる。そこから運転手となって過ごす人生を思い浮かべ、街道沿いの食堂でのウェイトレスとの会話を夢想し、そこから揺れる乳房へと連想は及び、「乳房があるってどんな感じだろう」と至る。そういうつもりはないのに、結局、おっぱいのことを考えちゃうんですよ。にしても自分に乳房があったら、というあたりが童貞らしい飛び方ですが。この夢想がとりとめなくするすると走っていく感じ、これぞミルハウザーという気がします。
「マネキンの悪戯」の章。月夜に、ショーウィンドウのマネキンが動き出すというパートです。最初はかすかなまばたきだったのですが、小説も中盤までくるとけっこう大胆に動き出します。

うしろをふり向くと、月の光が帯になった店内が見える。一瞬のうちにマネキンはウィンドウからフロアに降り立つ。ワンピース並んだ通路を進んでいき、両腕をつき出し、ワンピースが彼女の指先に触れて動くのを感じる。ラックに並んだハンガーがじゃらじゃら鳴る。世界は触るべき物に満ちている。宝石類カウンターに沿って彼女は歩いていき、ガラスに指を這わせて、豊かな匂いのする革のハンドバッグやサラサラ音の立つ滑らかなスリップのあいだを通っていく。

マネキンが動けたら、何をするでしょうか。ミルハウザーの答えは「触りまくる」です。言われてみればなるほどという感じですが、触覚を味わうんですよ。ワンピースに手を伸ばす。ハンガーが鳴る。こうした因果関係も、触ってみなくちゃわからない。マネキンの指自体は堅いままでしょう。ミルハウザーは描写の作家ですからね。芝生の匂い、トラックの音、そしてワンピースやガラスの手触りまで描写せずにはいられないんですよ。世界は描写するべき物に満ちている。
描写といえば、引用した箇所の最初に出てくる「月の光が帯になった店内が見える」ってのもいいですね。月光が射し込んでいるわけです。そう、月。各断章のあちこちに、月の光が射し込んでいる。夏の一夜のいくつもの欠片を照らし、ひたひたとひたす月の光。なんだか、スケッチするミルハウザーの筆自体が月光を帯びているようにすら思えてきます。冷ややかな熱、おぼろげな鮮やかさ、矛盾を静かに呑み込んでいく月下の幻想。


ということで、今日はここ(P99)まで。真夏の月の夜が舞台ということで、この時期に読むべき本でしょうね。でも、夜更けに読んでると、外をぶらぶらしたくなって困るんだよなあ。