『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー【3】


『魔法の夜』は、スティーヴン・ミルハウザー作品の中では割とあっさりしているほうだと思います。幻想味もそれほど濃くないし、「魔法の夜」と言いながらこの作品で「魔法」と呼べる出来事が占める割合は1/5程度。断章形式なので、物語的な盛り上がりもほとんどありません。
でも、それじゃあつまらないのかといえば、そんなことはありません。じっとしていられない「夏の夜」、ってのがいいんですよ。その特別な感じが、この小説をとても魅力的なものにしています。ミルハウザーは、そんな夏の夜の様々な人たちの様子を次々とスケッチしていきます。そのさらさらとしたスケッチの手つきの鮮やかさが、読みどころの一つです。どこにフォーカスを当てるか、何を省略するか、どのようなタッチで描くか、そうした諸々を味わいながら読むわけです。
それだけではありません。カードのように並べられた断章をそれぞれを見比べて読むと、さらに味わい深くなります。例えば、同じモチーフがいくつかの章にまたがって登場する。虫の音、トラックの音、浜辺の救命係の椅子などなど。さらに、それぞれの場面で異なる人物が同じ通りを歩いていたりする。ああ、スモールタウンの話なんだなと思いますね。
そして、これらの断章すべてを淡く照らしているのが、月です。そこでどんな風に月が描かれているか、その光にはどんなバリエーションがあるか、というのもまたこのスケッチの楽しみ方のひとつです。どの章も、月の影響下にある。マネキンが動き出すのが月の光の魔法なら、昼間の世界では出会わないような人々がちょっとだけ出会うというのも月下の魔法です。
昼間、太陽の下で僕らは働いて稼いで消費する。では、月下の世界はどうでしょうか。僕には、生産性から解き放たれた世界のように思えます。松岡正剛の『ルナティックス』というエッセイ集に、太陽は自ら光を発しているけど、月はそれを反射しているだけ、という話があって、それが非常に印象に残っています。自らは何も生み出さず、戯れのような反応のみ返す。ですから、昼間の世界からはみ出した者たちばかりが、この「魔法の夜」に外へと出てくるのです。
夜ふかし大好き深夜徘徊大好きな根っからの夜型である僕には、この気持ちはよくわかります。まだ眠りたくない。もっと起きていたい。みんなが知らない夜の様子を、こっそり見てみたい。それは昼間の世界から見れば、まったくもってどうでもいいことです。でも、僕らはときどき昼間の世界に負けそうになる。だから、月の夜が必要なんです。夏の夜が必要なんです。何も生み出さなくても許される世界。それは、昼間の論理からのささやかな解放であり、ただそぞろ歩くだけで感じることができる魔法です。
冒頭の章で、ローラが部屋を出ていくときにポケットに入れていたものを思い出しましょう。ライフセイバーズ・キャンディ。そう、月の夜に救われる者もいるのです。


ということで、『魔法の夜』はこれでおしまい。次はいつ更新できるかな。