『悪戯の愉しみ』アルフォンス・アレー【1】


悪戯の愉しみ (大人の本棚)
海外ものを読もうと思うと、どうしても英米文学が多くなるわけですが、ホントはいろんな国の作品を読みたいんですよ。で、このブログで読んだ作品のリストをざーっと眺めてみると、あ、フランスがない…。ということで、今回はフランス文学を読みます。パワーズが重量級の作品だったので、軽めの短編集がいいなということで、選んだのがこれ。
『悪戯の愉しみ』アルフォンス・アレー
です。
またしてもみすず書房。「大人の本棚」というシリーズの1冊です。このシリーズ、コンセプトがいまいちよくわからないんですが、小沼舟や寺田寅彦チェーホフヴァージニア・ウルフなど国内海外問わず、なかなか渋いライナップになっています。『バートルビーと仲間たち』に出てきたロベルト・ヴァルザーもありますね。ヴァルザー、読んでみようかな。
まあ、それはともかく、アルフォンス・アレーです。19世紀末の作家で、その作風をアンドレ・ブルトンは「エスプリのテロリスム作用」と呼び、澁澤龍彦は「『黒いユーモア』という言葉は、まさに彼のために作られた」と言ったとか。
ちなみに、この『悪戯の愉しみ』は実は再読です。以前福武文庫に入っていて、それがけっこう好きだったんですよ。その福武文庫版から、収録作品を若干入れ替え新たに数編作品を加えたものが、このみすず書房版だとか。ちなみに、収録作品は51編と多いですが、短い作品ばかりなので、するするっと読めちゃうんじゃないかな。百年前の黒いユーモアがどんなもんか、今一度、愉しみたいと思います。
では、いきましょう。まずは最初の7編、「コラージュ」「キス男」「小さなブタ」「静物」「とびきり上等の冗談」「お返し」「単純な人々」です。


「コラージュ」
冒頭から引用します。

ビッグタウン(U・S・A)のジョリス=アブラハム=W・スノウドロップ博士は五十五歳になっていたが、親戚や友人たちからどんなにすすめられても、妻をめとる気にはならなかった。
昨年、クリスマスの数日前に、彼はクリスマス・プレゼントを買いに三十七番街の百貨店に入った。
相手をした売り子は赤毛の大柄な娘だったが、じつにチャーミングだったので、博士は生まれてはじめて胸のときめきをおぼえた。レジのところで娘に名前をたずねると、
――ミス・バーサ。
そこでそのミス・バーサに、自分と結婚する気はないかとたずねた。もちろん、あるという返事だった。

もう既に可笑しいですね。博士の妙に長い名前もフザけてるし、どんなに勧められても結婚しようとしなかった博士があっさりと恋に落ちちゃうところもトボケてます。そして、ミス・バーサの返事です。初対面なのに「もちろん」って…。博士も博士なら、彼女も彼女です。どうかしてる。
わずか数行でこの展開の早さ。まるであらすじ説明のようです。ただし、恋に落ちる理由や結婚を承諾する理由が、まったく書かれていないところがミソ。このご都合主義は、ありがちなロマンス小説のパロディなんじゃないかな。
さて、55歳の博士に若い娘。ロマンス小説では、娘が浮気をするものと相場が決まっています。そのとき博士の取った行動は? この結末はブラックだけど、アレーを読んだことがある人なら、まあ予想がつかないというほどではありません。ただ、博士の最後の決めゼリフはシャレてますね。


「キス男」
呼ばれてもいないのに他人の結婚式にもぐり込む結婚式マニアの男、ヴァンサン・デフレムが出会った謎の「キス男」とは? というお話。
それはそれとして、僕は、本筋とは関係ないこんなところが好きだったりします。

ブルジョアの結婚式でかぶる山高帽には、ヴァンサンはもう何の特別の魅力も感じなくなっていた。つば広の小型帽、つばの広い大型帽、円錐型、シリンダー型、双曲線型と、ありとあらゆるタイプの帽子を知っていて、「山高帽の史的変遷」についてまともな論文の書けるのは、いまではフランスじゅうでこの男をおいてはないほどだった。

どうでもいい話を、もっともらしく書いているところが可笑しいです。別役実のなんちゃって博物誌「づくし」シリーズのようです。だいたい、山高帽の論文が書けたところで、何だって言うんですか。あと、「シリンダー型」の山高帽ってのが気になりますね。どんな帽子でしょう?


「小さなブタ」
この話は、好きですね。ある町が壊滅しかかった、その理由とは? というお話。

――フルクマンさんは頭でもおかしくなったのですか。
――ええ。暴れはしないが、偏執狂(モノマニア)がひどくて、病院に閉じこめざるをえなくなったんです。
――そのモノマニアというのは?
――いや、それがまことに奇妙なものでね。パンを見ると、やわらかい身の部分をむしり取って、小さなブタをこしらえずにはおれないのですよ。

素晴らしい! たまに、割り箸の袋で折り紙みたいなことをする人がいますが、その類でしょうか。この、パンとブタの取り合わせが絶妙です。ウマやネコじゃダメだし、カメやゾウも違う。パンをこねて作るんなら、ブタじゃなくっちゃ! 生地のモチモチした感触や白っぽい色合いは、まさにブタにふさわしい。
あと、小さいってところもいいですね。指先でチマチマ作るミニチュアの魅力。使い終えたマッチで、ちょんちょんと目を書くんだとか。きっと可愛いんだろうなあ。
この偏執狂の病名は「デルファコマニー」、小さなブタを意味するギリシャ語の「デルファクス」「デルファコス」からきているとか。もっともらしいことを言ってますが、もちろんなんちゃって蘊蓄、架空の病名でしょう。
この病気が町の衰退とどう関係しているのかは、読んでのお楽しみ。最終的に、町は救われるんですが、実際のところどうやったのかがよくわからない。そんなトボケた終わり方も魅力です。


「お返し」
この前に出てくる「静物」や「とびきり上等の冗談」は、おふざけやいたずらが好きな人物の話ですが、この「お返し」はそれを裏切るように始まります。

めぐり来る年を迎えるにあたり、このような話をしようと考えたのは、からかい好きの若者たちにたいし、つぎのことを示すためであります。すなわち、困っている人をからかうのはいかなる場合でも礼儀作法に反することであり、またときには危険でさえあると。願わくはこの話が功を奏し、新たな年には悪趣味ないたずらやたちの悪い嘲笑などが姿を消してしまわんことを。

真面目か! いやいや「悪戯の愉しみ」のアレーですから、この文章自体が冗談に決まってます。その証拠に、この話は非常にバカバカしい。他人を嘲笑した人物がしっぺ返しを食らうという話ですが、罰が当たったと言うにはくだらなすぎる。つまりこの作品自体が、冒頭のお説教のようなことを言いたがる真面目な人たちを、からかってるんですよ。まさに悪趣味な冗談、たちの悪い笑いってやつです。


「単純な人々」
アレー曰く、単純な人は「自分の道をまっすぐ進む」。それだけ取り出せば一見褒めているようにも読めますが、これは単純な人を嘲笑してるんでしょうね。この作品では、単純な男女が単純さゆえに不倫の恋に落ちます。

彼は単純に、しかし興味ありげに彼女をみつめた。
彼女の方も同じ様子でながめかえした。

「単純に」って、こういうときには使わない言葉でしょ。でも、この作品では彼らのバカさを強調するかのように、「単純に」が連発されます。そして、二人は単純に恋に落ちる。その後の展開は、まるで落語のよう。単純バカたちの会話は、ほとんど与太郎です。そして、普通なら困ったことになる状況を、彼らは何の問題もなく単純にやり過ごしてしまいます。


ということで、今日はここ(P41)まで。ほとんどショートショートみたいな作品なので、ここでどう書いたらいいか迷いますね。できるだけストーリーには触れないで紹介するほうがいいのかな?