『噂の娘』金井美恵子【10】


いやあ、よかったですよ、『噂の娘』。快楽に満ちた読書体験でした。
講談社文庫版では、巻末に著者インタビューが収録されていて、僕が読んでいて気になったことはほとんどここでフォローされています。映画的手法、語り手の問題、女の世界としての美容院、『秘密の花園』の役割などなど。
そして、インタビューの最後に金井美恵子がこんなことを言ってます。

あとこれは強調しておいてもらいたいけれども、断然、読者は女の人しか考えてないです。もちろん男が読んでもかまわないけれども。それって、やっぱり選ばれた男じゃないと無理でしょう(笑)。私の小説を読んで女性化すればいいわけですけれど(笑)。

くぅーっ、憎たらしいなあ。女には「の人」をつけるのに、男はぶっきらぼうに「男」のまんま。まあ、僕はこの挑発にまんまと乗っちゃったわけですが。
僕はどちらかというと、小説の構造に目が行きがちで、「突然出てくるこのシーンにはどういう意味があるんだ?」なんてことを、ついつい考えてしまいます。これは男性的な読書、ということになるのかもしれません。でも、この小説は第一に、細々としたモノたちのディテールや、ふわふわとしたお喋りの語り口を味わうものでしょう。女性化するってのは、そういうことですよね、たぶん。
テクスチャー感ということを何度か言いましたが、金井美恵子の文章は、とても魅力的な生地で織られています。その手触りを確かめ、頬に当ててみて、舌で触れたり噛んだり、ちゅうちゅうしゃぶってみたりする。最初は、読みづらいかもと思いましたが、そんな風に読めば、ほら、読書は快楽に満ち満ちている。
それに、金井美恵子は意外に親切というか、「記憶」というテーマをところどころでチラ見せしてくれるので、混乱もまた快楽として楽しめます。記憶というものがそもそも混乱するものなのだから、そういうものとして読めばいいわけです。
金井美恵子は、視覚や聴覚、嗅覚、触覚、味覚と、五感を総動員して、記憶の世界を作り上げる。辻褄が合わないことがあっても、そのディテールに浸るだけで、ひたすら心地いい。現在形で綴られているせいもあって、まるで目の前でそれが起こっているかのように、甘美な記憶の世界を味わうことができます。

思い出すのではなく、それを虚しく生きてみる、何度でも、何度でも、何度でも。

つまりは、そういうことです。僕は、この「虚しく」というのが、読みながらずっと気になっていました。記憶は、もうすでに失われてしまっているからこそ甘美で、かつ虚しい。それは思い出す端から消えていく。それをなんとかつかまえようとして、記憶の世界を「生きてみる」。消えそうになるたびに、何度でも、何度でも、何度でも…。
「読書」というのも、また「虚しく生きてみる」ことに他なりません。本を読みながら頭をよぎるあれこれは、記憶が混ざり合うあの感覚によく似ている。『秘密の花園』がそうだったように、頭の中でいつしか別のお話になってしまうこともあります。そして、本を閉じれば、噂話がいつしか虚空へ消えていくようにそれらはみんな消えてしまう。モナミ美容院のあの娘たちは、どこへ行ってしまったのでしょう。そう思いながら、またいつか本を読み返すのです。


ということで、『噂の娘』の本を閉じましょう。
次は、少女つながりということで、エイミー・ベンダーの『燃えるスカートの少女』を読みます。では、また。