『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン【2】


ちまちまと読んでます。今回も2編。前回の「すべて」の最後に、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の始まりが告げられていましたが、いよいよ、紛争が作品に影を落とし始めます。
では、いきましょう。


「指揮者」
語り手の「僕」は20代になってます。もちろん、もう童貞じゃない。詩人の卵ではありますが、その詩はまだどこにも発表していないというところから始まります。「読者が進化して、僕の自我の広大な空間を把握できるようになるのを待っていた」とかなんとか理由をつけてますが、早速、イタいですね。単に自信がなくてビビってるだけでしょ。認めて欲しいけど否定されたくない。若い頃にありがちなヤツですよ。
でも、詩人への憧れは強烈にあるわけで、やがて「僕」は著名な詩人がたむろするカフェに出入りするようになります。そこで出会ったのが、「ボスニア最高の詩人」と評されるムハメド・D。「僕」は、これまた若さ以外に誇るものがない者特有の傲慢さで、さも気のないような態度で接します。「僕」は、そのときの服装から「指揮者」とあだ名をつけられるんですが、内心では、ムハメド・Dの年寄りっぷりと田舎臭さを嘲笑し、それに比べて自分はファッションセンスにも優れた「サラエヴォのスモッグを吸って育った人間」だと胸を張る。ランボーを知らない両親を軽蔑するように、都会のスタイルになじまない大詩人を冷笑しているわけです。
しかもこれは、認めてもらいたい気持ちの裏返しだったりするからやっかいです。こうした辛辣な言葉を練りながらも、決して口にはしないというこじらせっぷり。結局、仲間に入れて欲しくてしょうがないんですよね。そんなことはすぐに見透かされてしまうに決まってるんですが、何だかんだで「僕」は詩人たちに受け入れられます。「僕」はといえば、カフェに出入りする女子学生に自作の詩「愛と障害」を読み聞かせて口説こうとしたりする。ひとつ前の短編「すべて」に出てきた、あのイタい詩です。うわー。

これは紛争の直前の、比較的ばら色の時期のできごとだった。破滅的な事態がすぐそこに迫るなか、僕らは過剰な幸福感に浮かれていた――夜遅くまで酒を飲み、笑い、新しい詩の形式を試した。テーブルから紛争を遠ざけようと努めたが、芽生えたばかりのセルビア愛国主義者がときおり民族文化の抑圧についてわめくことがあり、するとデドは、新たに獲得した年長者の立場から、入念に並べた侮辱と悪態を次々に繰り出して相手を抑えた。するとかならず、愛国主義者はデドをイスラムファシスト呼ばわりし、荒々しく立ち去って二度と戻らず、一方、僕ら愚か者は、やかましく大笑いした。僕らは――知りたくなかったが――これからなにが起きるか知っていた。漫画にある落ちてくるピアノの影のように、空が僕らの頭をめがけて落下しつつあった。

青春時代のばか騒ぎ。その背後に紛争の気配がある、ということにドキッとします。危機が近づいていることを、彼らは知っているんです。でも、それを酒の席の幸福感で覆い隠せると思い込んでいる。もしくは、思い込もうとしている。「デド」とは、「僕」が年寄り扱いしたことからムハメド・Dにつけられたあだ名です。彼がナショナリストをおちょくり罵倒するのを見て、一同大笑い。でも、そうやって溜飲を下げたところで、危機は去りはしないんですよ。そこに、僕は現在の日本の状況を重ねてしまいます。みんな、ピアノが落っこちてくることはわかってるのに、上を見上げようとはしない。ピアノの影が濃くなればなるほど、ヒステリックにばか騒ぎを続ける。
そして「僕」は、とうとうムハメド・Dに自分の詩を見せることになります。しかし、その評価は望むようなものではありませんでした。「おまえはあっちにもこっちにもいるから、孤独になることがない」と言われてしまう。やっぱり見透かされてますね。要するに、覚悟がないと。これにショックを受けた「僕」は詩人になることを断念し、サラエヴォからも去っていきます。紛争が勃発したのはそのあとのことでした。
と、ここまでがこの作品の前半。先の2編同様、自意識過剰な若者のイタい青春を、そのイタさに自覚的な一人称で描くという話なのかなと思いきや、この折り返し地点から異なる様相を見せ始めます。

僕の物語は退屈だ。紛争が始まったとき、僕はサラエヴォにいなかった。故郷が破壊されるのをテレビで見て、無力さと罪悪感を感じた。僕はアメリカで暮らしていた。もちろんデドは残り、包囲に巻きこまれた――今生きている最高のボスニアの詩人なら、「サラエヴォ」と題する詩を書いたのなら、残るのが務めだ。紛争の初期には、僕もサラエヴォに戻ることを考えたが、向こうで必要とされていないし、今後必要とされることも絶対にないと気づいた。そこで僕は生活していくことに懸命になり、デドは生きることに懸命になった。長いあいだ、彼についてのなんの情報もなく、正直に言えば、僕もたいして調べなかった――心配しなければならない人はほかに大勢いたし、そもそも自分の心配をしなければならなかった。

「僕の物語は退屈だ」というフレーズの重さを考えてしまいます。紛争に巻き込まれなくてよかった、という話にはならないんですよ。祖国が危機的なときにその場にいなかったことで、「僕」はボスニアに属することができなくなってしまう。決定的な出来事が起きたときに自分はそこにいなかった。その隔たり。その「無力さと罪悪感」。これは、以前読んだヘモンの長編『ノーホエア・マン』にも通奏低音として流れていたテーマです。「そもそも自分の心配をしなければならなかった」とあるように、アメリカの暮らしは楽ではない。なぜなら彼は異邦人だからです。しかし、ボスニアからも必要とされていない。「あっちにもこっちにもいる」人間は孤独を知らないとしたら、アメリカにもボスニアにも属せない人間は、なんと孤独なことでしょうか。
それは、「かなしみ」と言えるかもしれませんが、実際はもっと様々な感情が混じり合っていて、とてもひと言で言い表せるようなものではありません。アメリカとボスニアに引き裂かれた「僕」のこの二重性が、先の2編にはない奥行きをこの作品にもたらしています。生きることの複雑さみたいなものが立ち上がってくる。そして、それと同時に、みずみずしい青春時代が急速に終わっていくような感覚があります。
やがて紛争は終結し、2001年にはアメリカで同時多発テロが勃発します。そんな折り、「僕」はアメリカでデドことムハメド・Dと再会する。およそ10年ぶりですね。旧交をあたためながら酒を飲む二人。そこで、「僕」の感情はふいに決壊する。嫉妬や羨望や虚栄からとはいえ、かつてはあんなにバカにしていたデドに対して、泣き言をぶちまけます。

やがて彼は黙った。僕だけがしゃべりつづけ、抑圧してきたアメリカ暮らしの惨めさがどっとあふれ出た。ああ、すべての大学フットボールチームに死を、と何度思ったことか。友だちに会うにも何週間も前から調整して約束しなければならないし、ゆっくり座って道行く人を眺められるコーヒーガーデンはない。どこ出身か聞かれるのはもううんざりだし、ブッシュとあの狂信的なキリスト教の連中は大嫌いだ。「炭水化物」なんて言葉は僕の存在を構成するすべての微粒子が憎んでいるし、アメリカの生活からよろこびが計画的に絶滅させられているのも憎んでいる。エトセトラ。

アメリカ人に言ってもわかってもらえないことも、デドには言える。「僕」がぶちまける泣き言の中に、アメリカの問題がぎゅぎゅっと詰め込まれています。フットボールチームに代表されるようなマチズモ、分刻みでスケジューリングする効率第一の考え方、テロ以降高まるナショナリズム、健康への過剰な意識などなど。炭水化物が体によくないって話は僕も最近よく言われるんですが、うんざりですよね。今さらそんなことを言われても、どうすりゃいいっていうんだ。米食べさせろよ。アメリカは自由の国であり、すべての人にチャンスがあるとよくいわれます。でもそれは「価値観を同じくする者ならば」という条件がつくのかもしれません。何度も「どこ出身か」と聞かれるほど、「僕」はアメリカからはじかれているんです。
このあと、僕とデドは酔っ払って雪降る夜の市街をふらつきます。このシーンはとてもいいです。何てことない場面なんですが、ヘモンの描写力のおかげでなんだか映画の一場面を見ているような気持ちになる。それも、アメリカ映画じゃなくて、テオ・アンゲロプロスとかそういう感じ。

角を曲がったところでデドは僕に追いつき、僕らは危なっかしい足どりで、どこに向かっているのかわからないまま小道を歩いていった。小道は人気(ひとけ)がなく、ぽつんと置かれたソファにぬいぐるみのキリンがもたれていた。タイヤの薄い跡と、三本足の犬のような新しい足跡があった。近くの家のキッチンの窓に女性の姿が見えた。女性は、僕らには見えないなにかのまわりを回り、手には赤ワインがたっぷり注がれたグラスを持っていた。僕らの足はくるぶしまで雪に埋まり、そのまま僕らはうっとりと彼女を見つめた。一本のつややかな長い三つ編みが背中にまっすぐ垂れていた。三本足の犬は消滅したらしく、足跡は小道のまんなかで途絶えていた。僕らは進むことも戻ることもできず、その場に座りこんだ。僕はあきらめの強烈なよろこびを、完璧な敗北のどこまでも広がる自由を感じた。今ではわたしは、どちらに行っても反対側の岸に着くだろう。デドは、僕の知らないボスニアの歌を鼻歌で歌い、雪のかけらがくちびるで溶けた。僕にははっきりわかった――マディソンの裏道で凍死するかもしれない。そうやって死ねば有名になるだろう。僕について書いた詩のことをデドにきこうと思ったとき、彼は言った。「一九九三年のサラエヴォのようだ」彼の言葉のせいかジョンソン巡査の車が道の先を横切ったのを見たような気がしたせいか、僕は立ち上がり、デドに手を貸して立ち上がらせた。

老人と30代の2人の異邦人が、雪の中でじゃれている。それだけで、グッとくるものがあります。「三本足の犬のような」足跡とか、「なにかのまわりを回」る女性とか、謎めいたものをそのまま描写しているところもいいですね。本当に見たものを描いているという感じがするでしょ。窓の向こうで何が起きているのか、すべては把握できない。でも、その場面が焼き付いてしまう。
「今ではわたしは、どちらに行っても反対側の岸に着くだろう」とは、デドがかつて書いた詩からの引用です。実はこの作品のあちこちに、デドの詩が地の文とは微妙に異なるフォントで引用されているんですよ。つまり、「僕」にはそれだけデドの詩が染みついちゃってるということです。彼らが向かっているのは、アメリカ側の岸でしょうか、ボスニア側の岸でしょうか。
そして、デドのセリフ「一九九三年のサラエヴォのようだ」。1993年は紛争のまっただ中です。それはおそらく「僕」が経験していないサラエヴォでしょう。そのサラエヴォが、この苦さと幸福感に満ちた美しい夜と重なる。アメリカとボスニア、1993年と2001年、「僕」とデドの開いた距離と時間がこのひと言からあふれ出す。ヘモンは、デドに対する「僕」の複雑な気持ちを、愛情とか懐かしさとか尊敬とか、憎しみとかよそよそしさとか軽蔑とか、そうしたひと色の言葉で語ろうとはしません。ただ、アメリカで暮らす「僕」にとって、デドは「ボスニア」につながる存在だということが、この場面からひたひたと伝わってきます。ボスニア最高の詩人は、「僕」にとっての故郷だったのかもしれません。


「すてきな暮らし」
この作品集の中で最も短い小品。「指揮者」で「僕は生活していくことに懸命になり」とありましたが、その様子の一部がスケッチされています。
「僕」は、雑誌の定期購読を勧誘する訪問販売の仕事に就いています。『ノーホエア・マン』では、主人公はグリーンピースの寄付を募る戸別訪問をしていましたが、ヘモンは似たような経験をしていたんでしょうね。それは、アメリカ人がいかに異文化と触れ合うかを、日々実感させられる仕事なのでしょう。例えば、「可哀想な紛争の被害者」とかね。しかし、生きるのに必死な「僕」は、ボスニア訛りを聞いた訪問先の主婦や退職者が「ごくわずかでも憐れみを抱いたのを感じると、恥じらいもなくそれを利用し」て、雑誌を売り込みます。
その日、「僕」が訪問した先は神父の家でした。そこで、神父は「僕」に「紛争で親しい人を亡くしたのか?」と訊ねたあと、同居していると思しき若者に声をかけます。

突然、神父は部屋の奥の暗いドアのほうを向くと、声を張りあげた。「マイケル! マイケル! こっちに来て真に苦しんでいる人を見なさい。こっちに来て本物の人間に会いなさい」

何でしょうか、このいたたまれない感じは。「僕」は生活のために過剰に被害者の役を演じているわけで、「真に苦しんでいる人」と言われるとどうにも居心地が悪い。そもそも、見世物じゃないんだし。どうも、この神父はマイケルと上手くいってないようなんですよ。ニートのような若者に「僕」を見せて少しでも改心させようというつもりなんでしょうが、マイケルからしたらそんなのは知ったこっちゃないわけで。
この作品、「僕」が扱っている雑誌の名前がいくつも出てくるんですが、これがいちいち面白いです。少し挙げてみましょう。『古銭通信』『長生きライフ』『クリスチャン・プロフェッショナル』『神の世界トゥデイ』『シェイプ』『ボディ+ソウル』『クリエイティブな編み物』エトセトラ。
人生にくたびれきったような神父が購入した雑誌のタイトルは、『アメリカの木工』。そしてもう一冊がこれです。『すてきな暮らし』。このやるせないようなユーモア。


ということで、今日はここ(P102)まで。「指揮者」は、すごくよかったです。自意識過剰な若者が、人生の苦さを知る大人になっていく。

『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン【1】


愛と障害 (エクス・リブリス)
年が明けて何日も経たない頃、翻訳家・岩本正恵さんの訃報を知りました。僕は岩本さんの訳した本をそれほど多く読んでいるわけではありませんが、このブログで紹介したアレクサンダル・ヘモンの『ノーホエア・マン』はとても印象深いものでした。ヘモンは母国語ではない英語で書いており、異なる言語のズレに非常に意識的な作家です。その選び抜かれた言葉が繊細に訳されていて、素晴らしかったんですよ。そこで、昨年岩本正恵さんが訳したヘモンの短編集を読んでみようと思います。
『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン
です。
実は、僕がヘモンに興味を持ったのは、都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』でこの短編集が紹介されていたのがきっかけ。でも、その当時はまだこの本は訳されてなかったんですよ。それが岩本さんという理想的な訳者の翻訳で読めるわけで、期待大です。
白水社の「エクス・リブリス」シリーズの一冊。帯には「ボスニア出身の鬼才による、〈反〉自伝的短篇集」とあります。「〈反〉自伝的」というのが曲者です。『ノーホエア・マン』も自伝のように見えるけどそうじゃないというような、微妙なバランスの作品でした。このあたりが読みどころかな、とアタリをつけておきますが、どんなもんでしょうか。
あと、シンプル過ぎるタイトルも気になります。レポートのような題というか。もうちょっとそそるタイトルにすればいいのに、と思うんですが、最後まで読んでみないとその辺は何とも言えませんね。
では、いきます。


「天国への階段」

コンラッドの小説そのままの、完璧なアフリカの夜だった。湿気のせいで空気はねっとり静止していた。夜は焦げた肉と豊穣のにおいがした。外の闇は広大で、刃を受けつけない。僕はマラリアに罹ったように感じたが、ただの旅の疲れだったようだ。ベッドの上の天井に、数百万匹ものヤスデが集まっているさまを思い描き、窓の下の木々には、もちろん、貪欲に翼をはためかせるコウモリの群れを思い描いた。なによりも悩まされたのは、たえまなく響くドラムの音だった。ドラムの響きは、朗々と、緩慢に、重苦しく僕のまわりを漂った。それが戦いを意味するのか、平和を意味するのか、祈りを意味するのか、僕にはわからなかった。

冒頭です。ヘモンはサラエヴォ出身で、現在アメリカ在住。なのにいきなりアフリカというのが、ちょっと意表を突かれます。しかも、「完璧なアフリカの夜」ですよ。この一言で、熱っぽくまとわりつく深い闇が一気に広がります。コンラッドの小説が何を指すか、わかる人にはすぐピンとくるでしょうが、『闇の奥』ですね。アフリカの闇の奥にざわざわと蠢いている、生き物たちの濃密な気配。そこに、ドラムが鳴り響く。これ、アフリカの太鼓かと思わせといて実はそうじゃないんですが、それは後々明らかになります。
語り手の「僕」は、サラエヴォの16歳の少年。1983年の夏、外交官の父親の提案で、家族そろってアフリカのキャシサで過ごすことになった。その一夜目が、冒頭の場面です。「僕」は、ナイーブな文学少年といった感じで、わざわざアフリカ旅行に『闇の奥』を持ってきちゃうようなタイプ。でも、ちっとも読み進めることができません。ついでに言うと、彼は、恋人のアズラへ手紙を書く代わりに毎日日記をつけると約束しているんですが、こちらも一向に書き進めることができません。なんか、微妙に自己像と行動がズレている。
キャシサでの一夜目、ドラムの音を響かせていたのは、スピネッリというアメリカ人でした。なんだかインチキ臭い兄ちゃんといった雰囲気の人物です。アフリカでの日々に退屈した「僕」は、このスピネッリの元に入り浸ります。16歳の少年にとって、ちょっと悪そうな年上の兄ちゃんというのは魅力的に見えるものです。若い頃って、ヤバそうなものほど興味があったりするでしょ。セックス、ドラッグ、ロックンロール! わぁお刺激的!

スピネッリは、高校では煙草を売りさばき、地理の教師とやりまくった。ヒッチハイクアメリカじゅうを旅して、オクラホマではインディアンと酒を飲み、彼にもらったキノコを食べると、霊の棲むところに飛んだ――霊は尻がでかくて穴がふたつあり、どっちも同じようにクソのにおいがした。アイダホでは、一日じゅう空を見上げて、黒いヘリコプターの一団が襲ってくるのを待ちかまえている男と洞穴で暮らした。メキシコからテキサスに家畜を密輸し、テキサスからメキシコに車を密輸した。それから陸軍に入って、きついところに配置されないようにチンポコにタマネギをなすりつけて、ヤバい病気に感染しているように見せかけた。ドイツでは娼婦と遊びまくり、モンテネグロのディスコではポン引きをナイフでずたずたにしてやった。そのあとアフリカに来て、アンゴラに潜入してサヴィンビの解放戦線を助け、イスラエルのやつらと特殊部隊を訓練し、ダーバンでは色じかけのスパイ作戦をした。スピネッリの語りはどんどん横へ広がり、時間軸を無視して彼の人生を動き回った。

この武勇伝、どうにもこうにもハッタリ臭い。でも、「時間軸を無視して彼の人生を動き回」る縦横無尽の語りが「僕」を魅了したのでしょう。時間軸に沿って並べ直してみれば、あからさまな矛盾やごまかしがあることに気づくかもしれません。ただ、目の前で彼が語ってる間は、そんなことはどうでもよくなってしまうのです。スピネッリは、アフリカ政府の仕事をしていると語りますが、それもどこまで本当か疑わしいです。その上、ふざけてアフリカの子供に車をぶつけるというちょっとどうかと思うような行為をしてみせたるような、なかなかろくでもない人物です。
やがて、スピネッリは「僕」にガールフレンドのナタリーを紹介し三人でつるんで遊ぶようになります。部屋で彼が「僕」にマリファナを教えたとき、バックに流れていたのはこんな曲でした。

「ロック史上最高のブリッジだ」とスピネッリは言った。彼はふたたびティンパニを攻撃し、曲が先に進んでも攻撃を続けた。僕はそのビートに聞き覚えがあった。最初の晩に僕らをおびえさせたビートだった。
「なんていう曲?」と僕はきいた。
「『天国への階段』」とスピネッリは答えた。
「アフリカっぽいね」
「アフリカじゃない。ボンゾだ。一〇〇パーセント白人さ」

この前には、「移民の歌」の出だしの絶叫をマネしてふざける場面があります。そして、マリファナにぴったりの「天国への階段」へ。ご存知、レッド・ツェッペリンですね。ボンゾは、ツェッペリンのドラマーです。これが、冒頭で響いていたドラムだったというわけ。アフリカのように思えるけど「一〇〇パーセント白人さ」というセリフは、意味深ですね。アフリカにいながらにして傲慢なアメリカ人として振る舞うスピネッリの姿が、そこに重なります。移民としての歌を歌うのではなく、100%アメリカのドラムを響かせる。
このあと、「僕」はマリファナでヘロヘロのところを両親に見つかってしまいます。これは決まりが悪い。僕も高校時代、両親の留守中に部屋でべろんべろんに酔っ払い、じゅうたんをゲロまみれにしちゃったことがあります。親は特に説教したりはしなかったんですが、決まりの悪さでのたうち回りたいような気分でした。ヘモンは、このなんとも居心地の悪い10代の感覚を、みずみずしく描いていきます。一人称で語りながら、やらかした自分を甘やかさない距離感があるんですよ。
ドラッグとロックンロール、あと足りないものといえば、もちろんセックスです。「僕」は童貞で、サラエヴォにいる恋人アズラにも、スピネッリとつるんでるナタリーにも、悶々とした気持ちを抱いています。この悶々とする気持ちと、家族にそれを知られたくないという気持ち。童貞ならではのこの曰く言いがたい感覚が、このあと「僕」にある行動を取らせます。そのとき、彼は心の日記にこんな風に記すんですよ。「大好きなアズラ、僕の道は木の葉に覆われてしまった。ふたたび君に会うことができるだろうか」。うわー、この鈍くさい文学青年臭。この自意識こそがイタいわけで。結局、この手のイターい失敗をくり返しながら、大人になっていくしかないんでしょうが。


「すべて」
これは、都甲さんの『21世紀の世界文学30冊を読む』であらすじが紹介されていた作品。語り手の「僕」が、両親に命じられ大型の冷凍庫を買いに行くという話。安い冷蔵庫を求めて夜行列車でハンガリーの国境近くのムルスカ・ソボタという街へ向かい、翌日に店まで行って代金を払ってくるというのが、課せられたミッション。この街がサラエヴォからどの程度離れているのかイメージしづらいんですが、一泊旅行くらいの距離ということでしょう。

母は、僕を箱形冷凍庫作戦に従事させることにみずから賛成票を投じたにもかかわらず、僕を旅に出すのを心配した。僕は期待で胸がいっぱいだった。ムルスカ・ソボタという町の名はエキゾチックで、危険な響きがあった。ひとりで家を離れ、ひとりで旅をするのは初めてだったし、たくさんの詩が湧くような、さまざまな経験ができる初めての機会だった。僕は芽生えたばかりの詩人だった。何冊ものノートに、十代のあこがれと、(つねにあこがれの裏にある)押しつぶされそうな退屈をつづった詩を書いていた。僕は遠征の装備を整えた。新しいノート、予備の鉛筆、ランボーの詩集(僕の聖書)――非情の大河を下りゆき/船曵きに引かれていたことも、やがてわからなくなった。マルボロ数箱(いつものしけたドリナではなく)。そしてレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』と交換で手に入れた避妊用ピル一錠。僕の関心はセックス・ピストルズに移っていたので、このツェッペリンの二枚組アルバムはもうどうでもよかった。

いわゆる「はじめてのおつかい」、初の一人旅です。これは楽しみ。親元で暮らす若者にとって、誰からも干渉されずに好きなことができるチャンス。すっかり忘れてましたが、僕にもそんな時期がありましたよ。初めての一人旅、初めての一人暮らし、あちこちにまだ「初めて」がいっぱいあった時期。若いっていいなあ。
持っていくものリストが面白いですね。新しいノートやいつもより高い煙草からは、よーしやるぞというような高揚が伝わってきます。「僕」が「天国への階段」の主人公と同一人物だと考えると、旅には必ず本を持っていくタイプのようです。コンラッドからランボーへ。ついでに、ツェッペリンからピストルズへ。若い頃って、好きなものがくるくる変わるんですよ。
そして、何と言っても「ピル」! 引用部のあとには、こんなフレーズが続きます。「僕は意に反して童貞で、骨は多情な肉をまとっていた」。要するに悶々としているわけです。そしてこの旅で、童貞を捨てようと考えている。ムルスカ・ソボタの「危険な響き」に惹かれるというのは、そこに性的なものを感じているということでしょう。詩がどうのこうのと言ってますが、実は「やる気」まんまんです。はじめてのおつかいのはじめてのセックス。ジョニー・ロットンのシャウトのように、ピストルを爆発させたくてたまらない。

一九八四年のことだった。僕はひょろ長くやせていた。足が痛かったけれど、小さなバスでは伸ばせなかった。ふくらみかけのにきびに膿が溜まり、恣意的な勃起が進行中だった。これが若さだった。不安に絶えずつきまとわれていた僕は、そのつらさが自然である場所を、自分の傷に、重たい空気と海に浸れる場所を心に描いた。けれども父と母は、僕を善い場所に、快い場所に導いて、普通の人間にするのが自分たちの務めだと信じていた。父と母は自然な会話を仕組んで僕の将来に触れ、望みはなにか、人生や大学の計画はどうなっているのか明言させようとした。それに対し、僕はランボーのわめきから派生した言葉で応じた。ランボーは、われらの世界のうちにその時々に目覚める未知なるものの量を、香り、音、思索の上に発する思索、等々、その全てを包括する魂を嘆いた。当然、父と母は僕がなにを話しているのかさっぱりわからず、怖れをなした。親は子どものことをなにも知らない。子どものなかには、自分は理解可能だと両親に思わせる者もいる。だが、それは策略だ――子どもはつねに親の一歩先にいる。僕の魂の独白に、しばしば父は幼いころに十分にベルトでお仕置きしなかったことを悔いた。母は僕の詩をこっそり読んだ――僕がそれに気づいたのは、ノートのページに心配した母の涙の跡があったからだ。箱形冷凍庫計画の目的は、ひとえに父が言う「人生の洗濯もの」(とはいえ、父のものはすべて母が洗濯していたが)に僕を向き合わせることだと僕は知っていた。父と母の存在を形づくる、凡庸でありふれた日々の仕事を経験させ、それが必要であることを学ばせるためだった。食べものを集めて貯蔵することが、人生を組み立てる中心原理である人々からなる大きな共同体がある。父と母は、僕にその仲間入りをさせたかったのだ。

「天国への階段」からカウントすると、1984年の語り手の「僕」20歳前後ということになります。「恣意的な勃起が進行中」か…。あるある、僕にもそんな時期が…、ってのはもういいですね。親に対してランボーで答えるっていう子供っぽさも、可笑しいですね。大人にはランボーなんてわかりっこない、と思ってるんですよ。まあ、実際わからないわけですが、わかったところでそれがどうした、という話だったりもします。
というのも、親にとっては、そんなことよりも箱形冷凍庫に象徴されるような、まっとうな「共同体」のほうが大切なんですよ。「詩だって? そんなもので腹は膨れやしないじゃないか」と口にしたわけではありませんが、ランボーかぶれの息子に「食べること=地に足のついた生活」の大切さを学ばせたいのでしょう。これは僕としても身につまされる話で、今でも実家に帰ると、両親が「自然な会話を仕組んで」「人生の洗濯もの」に向き合わせようとする。もういい大人なのでいちいち反発したりはしませんが、まあ面倒であることには変わりはない。ランボー的なものだけじゃ生きていけない、というのはわかってるんですけどね。むう。
語り手の「僕」は、「箱形冷凍庫作戦」に乗っかりながらも、両親の計画に屈するつもりはありません。箱形冷凍庫より、セックスの冒険のほうが遥かに興味があるんです。そしてムルスカ・ソボタに到着。「僕」は、ホテルにチェックインします。

ムルスカ・ソボタで、僕はホテルの部屋の逃れられない悲しさに真に向き合った。これまで一度も書くために用いられたことのないメモ用紙を持つ精神。地獄のような紫色の花が描かれたベッドカバー。魂のない海辺のリゾートを写した白黒写真。手早い雑なセックスを連想させる、しわの寄った紙が内側に敷かれたゴミ箱。窓からは駐車場のコンクリートの屋根が見え、まんなかの大きな水たまりが、砂漠の湖の蜃気楼のように光ってゆらめいていた。この悲しみの洞穴で、僕がひとりで夜を過ごすなどありえなかった。僕は若さが濃密に集まっている場所を見つける必要があった。魅力的なスロヴェニアの女の子が集まって立っていて、スロヴェニアの若い男の不器用な口説きをためらいなく拒みつづけ、ピルを携えたサラエヴォの若者のために、処女を守っている。

東欧のわびしいホテルの様子が伝わってくる描写です。窓から見えるのが「駐車場のコンクリートの屋根」って…。ヴィム・ヴェンダースの映画に出てきそうな雰囲気。こんなしょぼくれた部屋にいたら、旅に出る前の期待が一気にしぼんでいってしまいます。このまま何もせずに帰るのはイヤだ。冒険をしなきゃ。セックスの冒険をしなきゃ。ということで、「僕は若さが濃密に集まっている場所を見つける必要があった」となる。本人は大真面目なんでしょうけど、「若さが濃密」ってのが、可笑しいですね。しかも、妄想が先走っちゃってる。「ピルを携えたサラエヴォの若者のために、処女を守っている」って、そんなわけあるか。
このあと、「僕」は街へと繰り出すんですが、大通りの風景もなんともさびれた感じで、ようやく見つけたバーでは髭を生やした男が一人ビールを飲んでいるだけ。公園で見かけた二人連れの女の子のあとをつけていったら、彼女たちと合流した男に追いかけられる始末。この場面もヘモンの描写力が存分に発揮されていて素晴らしいんですが、やってることはストーキングだよね。
ホテルに逃げ帰った「僕」は、今度は別の部屋に泊まっているアメリカ人の妻と逢い引きをすることを妄想します。彼女が僕の部屋に忍んでくるはずだという、手前勝手な思い込み。セックスへの期待でパンパンになっちゃって、まともな判断ができないんでしょう。「アメリカ人」というのもポイントかもしれません。「天国への階段」のスピネッリもそうですが、刺激的だけど最終的には交われない存在としてのアメリカ。その越えがたい距離。
結局、このセックスの冒険は、先走る妄想としょぼくれた現実の間で不発に終わります。そのとき「僕」がノートに書き付けたのが「愛と障害」という題の詩です。書き出しはこうです。「世界と僕の間には壁があり、/僕はそれを歩いて通り抜けなければならない」。いや、わかるよ。わかるけど、そんなにカッコいいもんじゃなかったでしょ。
この作品の終わり方は、とても鮮やかです。

その日、母は僕がムルスカ・ソボタではいていたデニムのズボンを洗った。コインポケットのピルは溶け――銀紙とプラスチックのかたまりしか残らなかった。箱形冷凍庫は十七日後に届いた。僕らは詰めこめるだけ詰めこんだ。子牛肉、豚肉、羊肉、牛肉、鶏肉、ピーマン。一九九二年春に紛争が始まり、サラエヴォの電力供給は途絶え、箱形冷凍庫のなかのものはすべて溶け、一週間もたたないうちに腐り、やがて消滅した。

「人生の洗濯もの」がピルを溶かし、紛争が地に足のついた生活の「すべて」を溶かす。「すべて」という語が、この作品には三回登場します。最初は夜行列車で耳にしたクイズの答として、次は酔っ払いにかける慰めの言葉として。そして最後の最後に登場する、この「すべて」の不穏な予感。


ということで、今日はここ(P68)まで。不発の青春。自意識過剰な青年の、ときにみずみずしくときにうっとおしい語りが面白いです。早く彼に童貞を捨てさせてあげたい。

『増補 夢の遠近法 初期作品選』山尾悠子【2】


増補版の続きです。「遠近法・補遺」は、山尾悠子作品の中でもべらぼうに好きな「遠近法」の続編。というか、ページ数の都合で入りきらなかったエピソードをまとめたもの。当然、面白いに決まってるわけで。

《腸詰宇宙》において、垂直の空洞を囲む回廊群はよく劇場の桟敷席になぞらえられることがある。天体や機械仕掛けの《神》の通過、《蝕》など、すべて動的な変化が奈落の空間の属性であるとすれば、対する観客席的要素こそが回廊群の属性であるからだ。《劇場》の比喩の発生源が、いったいこの閉鎖的宇宙のどこにあり得たのかというのか、それは不明なのだが。

上下に無限に伸びる円筒状の世界。それが「腸詰宇宙」です。我々が暮らす世界とは異なる秩序で作られた世界なわけで、そもそも「劇場」なんてものが存在しない世界なんですよ。なのに、どうして劇場になぞらえることができるのか? まるでナンセンスな言葉遊びのようですが、その答えはあとで考えましょう。
「遠近法・補遺」では、この世界の滅ぶ様が描かれています。では、どのようにして終末へと至るのか。13歳の少女がふいに前世の記憶を取り戻したことから始まります。彼女は、世界の経年劣化ぶりを目の当たりにしてショックを受ける。ちょっと長めに引用します。

数十世代にわたる生活の澱(おり)――その手垢と脂(あぶら)と排泄物に汚染された、今や飴(あめ)色の岩肌、それをまず少女は指摘した。またその不潔で陰湿な黝(くろず)みを。人々が華麗と信じている欄干群の浮彫りも、細部が摩滅した今では襤褸の花綵(はなづな)であるに過ぎない。またそれらの肌という肌に華々しい領土地図をひろげた蘚苔類の存在を少女は指摘した。湿気のしみに縁取りされた蒼黒い苔と石黴は、互いの領土を侵犯しあいながら悲惨に繁殖し、今やさながら臭い汁を持つ疥癬(かいせん)の瘡蓋(かさぶた)のようだと少女は糾弾するのだった。その臭気に瘡(かさ)に覆われて、さらに執拗な葉脈状の罅割れがあった。無惨な傷や亀裂や毀(こぼ)れは、疲れた中年女の朝の顔のように、今や恨みがましげな隙間風を光景の隈々(くまぐま)に与えていた。一層に五十本ずつ、上下の回廊群におよそ数千本は数えられる人像柱の群でさえ、貌や腕が欠けこぼれ、すでに総体的な崩壊の途上にある。後悔の狼煙(のろし)をあげる、無言のオペラの彫像群のように。
聞き続けるうちに、人々は世界を眺める自分の眼が変化していくのを感じた。言葉という言葉を駆使して再構築されていく世界を、人々は同時にその眼で追っていった。そこに新しく展けていく宇宙の姿は、陰惨に疲労して、もはや救いがたい残骸のように消耗していた。この明白な事実に気づきもしなかった、昨日までの自分を人々は疑問にさえ思った。また前日までのそれに比べて、今朝の光量は著しく減退し、陰気にくすんでいるように思われた。言葉の破壊力がそうさせたのだ。

画数の多い漢字が頻出します。まるで、ページが黒ずんだ黴や苔に浸食されていくようです。さらに、禍々しい比喩に満ちた描写の迫力。読んでいると、すっかり古びてしまった回廊がまざまざと目に浮かんできます。この世界が、何かおぞましいもののように思えてくる。
ありもしないものを描写の力でイメージさせるのであれば、目の前の世界を変えてしまうことだってできるでしょう。少女の指摘を聞いた腸詰宇宙の人々は、もうかつてのように世界を眺めることはできなくなってしまうんですよ。「滅ぶ」という観念を植え付けられてしまう。知ってしまったら、もう消すことはできない。これこそが、「言葉の破壊力」です。そして、そこから世界は崩壊を始めるのです。
そして、このちくま文庫の帯に引用されている必殺のフレーズが登場します。

 誰かが私に言ったのだ
 世界は言葉でできている

言葉で作られた世界は、言葉で滅ぼされる。山尾悠子は、そういう作家です。ここではないどこかの世界をひたすら描写し、最後には破壊してしまう。ほとんどの作品に、こうしたカタストロフが待っています。「破壊王」とは山尾悠子自身のことかもしれません。
巻末の「自作解説」で山尾悠子はこの引用部について、「比重はもちろん一行目のほうにある」と書いています。「誰かが私に言ったのだ」。そう言えば、前作にあたる「遠近法」は、他者から渡された未完の草稿というスタイルで書かれた作品でした。つまり、「世界は言葉でできている」という言葉も、誰かの言葉なのです。腸詰宇宙にはありえない「劇場」という比喩がそこで使われているように、世界の外には世界を作る言葉を操る者がいる。そしてその言葉を操る者の世界もまた、誰かの言葉で作られている。このように、無限の入れ子となって世界はどこまでも作られ、そして滅ぼされていく。
なんという壮大なビジョンでしょうか。それが20ページにも満たない短編に閉じ込められていると思うと、言葉で作り出す世界の広がりの大きさに眩暈を覚えます。やっぱりすごいわ、山尾悠子


ということで、『増補 夢の遠近法』はこれでおしまい。次はガイブンを読むぞ。

『増補 夢の遠近法 初期作品選』山尾悠子【1】


増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)
もう2015年ですか。去年は忙しくてあんまり書けなかったなあ。毎年思うんですが、今年はいっぱい読んでいっぱい書きたいなと。
ということで、今回は助走のつもりで、これ。
『増補 夢の遠近法 初期作品選』山尾悠子
です。
1年と少し前、憑かれたように読み耽った山尾悠子の『夢の遠近法』が、つい最近、文庫になったんですよ。しかも、増補版として「パラス・アテネ」と「遠近法・補遺」の2編を追加収録。山尾悠子自身による巻末の「自作解説」も、新たに2編分書き下ろされています。なので、この増補分を読んで、僕が以前書いた『夢の遠近法』の感想に追加しておこうかなと。実はもう読み終えちゃってるので、「読んでる途中で書いてみる」というわけにはいきませんが、まあそれはそれ。
わずか2編ですが、そこは山尾悠子、濃いです。


パラス・アテネ
収録作の中で最も長い、中編サイズの作品。プロローグに当たる冒頭の場面から、もう持っていかれます。

月が西の空に仄白くなりつつある時刻、長い旅の途上にあったその隊商は、まだ夜の残る森の奥で大虐殺のあとに行き当たった。野面(のづら)には血に飽いた豺狼の群がわくわくと背を波うたせて駆け去っていくのが遠望され、振り返れば、辺境の野の果てには落日に似たすさまじい朝焼けがあった。不眠の要塞都市のあげ続ける狼煙(のろし)が地平に薄くたなびいて、その時森の奥処(おくが)に立ちすくむ人間たちの眼には、それはこの世の果ての遠い朝火事かと映ったのだ。
小暗い森の底を縫ってうねうねと続く道沿いに、屍体の群はほぼ一町に渡って散乱し、その数は百数十まで数えられた。荷を略奪された跡があり、また屍には矢傷と獣の爪跡との両方がある。おおよそは、遠い内乱を避けてこの地の都市へと逃げこもうとしていた難民の一行が、昨日辺境に多く出没する野党の類に襲われて全滅し、その後夜のうちに群狼に踏みにじられたものと思われた。――ほとんど日の斑(ふ)も漏れこまない葉ごもりの影へと、人々は松明の焔を走らせながら蹌踉と歩いた。

なんだか血なまぐさい書き出し。「豺狼」という言葉は、初めて見ましたが調べてみたら「やまいぬとおおかみ」のことだそうです。実はこの作品、最初の数ページ読んだだけで、何度も「狼」の文字が出てくることに気づきます。「豺狼」「群狼」が出てくる他に、「狼煙(のろし)」なんて文字にまで狼が入っている。このあとも、直接的には狼を表さない「狼瘡」「狼狽」といった語も見られます。もうもう狼憑きですよ。よろめくことを表す「蹌踉」という単語まで、狼の仲間に思えてきてしまいます。
このあと、森の虐殺現場にひとり無傷で助かった幼児が発見されます。この幼児を、隊商は「土地神」と崇め旅の守り神として連れていくことにします。そういうことになってるらしいんですよ、いつの時代のどこなのかよくわからないこの世界では。この幼児は、発見された地の名前をとって「豺王(さいおう)」と名付けられます。ここで僕はまた、さっきの「豺狼(さいろう)」という言葉を思い出してしまう。わずか一音違い。「王(おう)」と「狼(ろう)」が重なり合い、「狼(おおかみ)」の中に「王(おう)」も「神(かみ)」も含まれている。やまいぬの王を表す「豺王」は、王であり神であるからして狼じゃないかとか、あれこれ考えてしまったり。
この冒頭の場面は4ページほど続きます。その最後の部分がこれ。

狼除けの鋳物の鐘が鳴り、人間たちの足は再び動き始めた。遠音に吠えかわす豺狼の声を耳に、森を抜け平原を行く隊商の先頭で、幼児はひとり仄かに微笑していた。この微笑は、人間たちの眼にはとまらなかったし、その意味を知る者も一人もいなかったに違いない。幼児の姿は、生まれおちて以来この輿の上に暮らしてきた者のように見えた。幼児自身、何故自分の顔に微笑が宿って消えないのか知らなかった。理由のない笑みのためにますます細められた幼児の眼は、ただ行く手の野の果てに湧く雲だけを鏡のように映していたのだったが、しかしこの時、背後の森の真上に残った半欠けの白い月球が、半眼の狼神の片目のように地表を行く人間たちの背をはるかに見送っていたのだ。
それから、十年たつ。

シビレます。「狼除け」「狼神」と、ここでも狼づくし。狼の群れが行をまたぎ、ページを駆け抜けていくかのようです。さらに、幼児の細い眼が半月に重なり、狼神の目となって幼児たちの隊商を見つめる。この眼のイメージの連鎖にうっとり。これですよ、これが山尾悠子の修辞です。「人間たち」という奇妙に距離のある言い方も気になりますね。まるで、狼の目から見ているかのようです。この人間たちの群から、豺王と呼ばれる「幼児」だけがくっきりと区別されている。豺王は人間よりも狼に近い存在だからでしょうか。
そして、最後の一文。「それから、十年たつ」。「たった」じゃなくて「たつ」ね。この切れ味。「たった」なら、起きたことを記述しているだけですが、「たつ」の場合はそう書いたことでそれが起こるという感覚があります。そして、3行ほどあけて次の場面へ。このわずか3行の空白で、十年の月日が流れたのかと思うと、クラっとします。小説というものの、マジカルな力に触れたような気分。
ここまでが、プロローグ。これ以降、土地神である豺王の数奇な運命が語られていきます。豺王を守り神とした旅の一行は都を訪れ、「夏の離宮」と呼ばれる場所で待たされます。

足留めの不安な一日が不安なままに暮れるまで、人々はその不安の源を確かめようとするかのように、顔を合わせると額を翳らせて不穏な噂ばかりを囁きあっていた。十数年来燻(くすぶ)りつづけている内乱の噂、大陸を大きく横切ってこの山間の小王国いも侵入し始めているという天刑病の噂、冬に入ってからますます頻発するようになっている狼の害について。その名のとおり元々は夏の避暑用に前世紀の始め建てられたという夏の離宮では、いくら炉の薪をかきたてても、絶えず隙間風が忍び入ってくる。その中で、人々は昔ここに幽閉されていたはるか先代の狂王の伝説を囁きあい、さらに声を低めて二位について語りあっていた。

「夏の離宮」という魅力的な名前の場所が、寒々とした幽閉場所となるというのがいいですね。それにしても、この情報量の多さ! 噂として語られる、内乱、天刑病、狼、さらに狂王の末裔である「二位」について。これらは、すべてこのあとの展開に関係してきます。
二位とはこの地の領王の三人の子供のうちの一人。他に、「一位」と「三位」がいるわけですが、世継ぎが誰になるかという問題を孕んでいます。二位は機を織る才能の持ち主で、狂人として扱われこの夏の離宮に追いやられているらしい。このあたりから、登場人物がどんどん増えてきてややこしくなっていきます。異人宮という場所には、狼領から送られてきた「正一位」と「従一位」という男女の双子が幽閉されています。「○位」だらけで混乱しそうになるのを整理しながら読んでいくと、まさに機を織るように、様々な物語の糸が絡み合っていく。
そして物語は、領王が催す年越祭の宴へ。「のちに夥しい人死にが出ることとなったこの年越祭の狂気じみた夜、豺王は一位に命じられて玉座の間に伺候した」という一文から、この場面は高いテンションでもって語られていきます。

夕方から吹雪が始まり、日没より早く都には夜が降りていた。日中、吹きすさぶ強風の絶え間には王宮の外から遠く切れぎれに祭儀の鐘の音が聞かれたが、吹雪になった頃からそれも途絶えた。ただ、高い窓から遠く見渡すと、四つ辻ごとに年送りの篝(かがり)火が高く火の粉を飛ばすのが見え、今夜全都が一夜を徹して眼ざめているだろうことが窺われた。何度かは、その火の粉が飛んだのか屋根屋根の稜線の一劃から小さく火の手が上がるのが見え、強風の中にたちまち燃えひろがって半鐘が長く尾を曵いた。

「年越祭」というのがいいですね。雪に包まれた都の人々は、眠らずにそのときを待っているんですよ。そして、火。プロローグの火事のような朝焼けに始まり、松明、炉、灯明などなど、火のイメージがあちこちに出てくるんですが、この場面の屋根を走る火の手も鮮烈です。雪の白さの中に、火の赤が燃え上がる。白と赤の対比は、この作品のテーマにも深く関わっています。

――狼領の血筋につらなる者は、多くは成年に達する年齢で繭籠もるものです。たいていは、春に。短くて三日、長ければ数年かかって繭から新生して現われる……しかし、これほど定まった法則を持たない現象というものはこの世にまたとありますまい。

繭を作り新生する一族。これまた、この作品のキーとなる設定です。新生して姿が変わる者もいれば、変わらない者もいるとか。ともあれ、繭が紡ぐ白い糸はこの作品に「白」を呼び込み、機織りの糸のイメージと呼応しながら、徐々にこの冬の場面を覆っていきます。
さらに、この繭籠もりには「月と狼神と繭が赤くなる時、すなわち創世記の神々が地上から滅びて千年ののちにこの世に現われる破壊神の伝説」というものがあるんですよ。「この神は天から降りるのではなく、地上に人として生まれてのち、赤い繭の中から四つ脚の姿となって出現する」んだそうです。白い繭と赤い繭。白い月と赤い月。雪の都を染める火と血の赤。
と、ここまでで物語の半分。厳しい冬から、場面は春へと移ります。またしても森から始まり、豺王はさらわれたとされる二位を探して、この世を統べる千年帝国の都へと入ります。この帝都では、もうすぐ行なわれる千年祭典で賑わっている。この森→都→祭という流れが、冬の場面ときれいに対比しているところがポイントです。こういう「形式」への指向が山尾悠子だなあと思ったり。

港を望む丘陵からは、夜の海峡を絶えず押し渡っていく船群の、おびただしい檣頭の燈が見渡された。その遠い海面に満ちているであろう帆柱の軋り音(ね)や櫂漕ぐ男たちの叫喚、蓋を打ち割られてゆたかに滾(たぎ)り溢れる酒の繁吹、船腹を打つ潮の音を、丘の上に立つ者たちは幻のように聞いたと思った。海峡の両岸に谺する砕ける波の咆哮のなか、やがて帆に海風を孕んで、船団は大洋をめぐる古代潮流に乗って次々に行き過ぎてゆく。そして季節風の渡る丘を下って、燈火と雑踏の影に満ちた街衢(がいく)に降りたった者たちは、そこにも数知れぬ潮流の幻を見たのだった。四つ辻ごとに足を止めて道の両端を埋める群衆の中、高い輿に乗って煌々(きらぎら)しい帽子の先端や旗先ばかり覗かせてゆったりと過ぎ行く貴人の行列は、暗い潮を渡っていく帆柱の列に似たのだ。数限りなく街に立てられた松明や篝(かがり)の焔は、人の面ばかりを烈々と照らして、その背後には奥の知れない闇を曵く。時にわけもなく入り乱れて、口々に叫びかわしながら街の一端から一端へと駈けすぎていく群衆の頭上に、月は赤く染まってはるかに海峡を照らしていた。

千年祭典の前夜の場面です。この濃密な描写に、ただただうっとり。音と火が交錯する様は、年越祭の導入とよく似ています。ただし、冬の厳しさはここにはありません。何かに憑かれたように浮き足立つ春の喧噪が、この祭を支配しています。海上が陸上が重なり、船と群衆がひしめき合う。そして、頭上へと視線を送れば千年紀を迎え赤い月が上っている。冬の場面が「白」に覆われているとすると、春の場面はもちろん「赤」です。そして冬を引き継ぐように、狼は跋扈し、機織りの音が響き渡ります。
ここから先は、読んでのお楽しみ。二位を追いかける豺王と千年祭典のきらびやかな描写が、猛々しいまでのテンションでカットバックのように描かれていきます。赤い月は赤い繭から破壊神が生まれる証。果たして破壊神とは何者なのか? 千年祭典の花火が上がります。


ということで、「パラス・アテネ」についてはこれでおしまい。著者の解説によると、これは『破壊王』という連作の一作目として構想されたものだとか。続く作品は「火焔圖」「夜半楽」「繭」だそうだ。これらもいずれ読んでみようと思ってます。
長くなっちゃったので、「遠近法・補遺」についてはまた次回。

『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ【4】


小学生くらいの頃かな、「子供会」のキャンプ的なものに何度か参加したことがあります。親と離れて、数名の引率の大人と十数人の子供たちが一週間程度キャンプをする。親が勝手に予約してくるんですが、人見知りな子供だった僕はこれがイヤだったんですよ。知らない子たちの間に入っていくのが不安だし、親から一週間も離れて暮らすのも不安だし、一緒に参加した弟がせめてもの救いといった気分。ところが、子供ってのはたくましいもんで、すぐに慣れちゃうんですね。友達もできて、親の前では決して口にしないような「悪い言葉づかい」で冗談をキャッキャと言い合ったりして。こうなると、一週間なんてあっという間で、最後には「まだ帰りたくなーい」となる。
マイケル・オンダーチェの『名もなき人たちのテーブル』を読んでいて、何十年かぶりにそんなことを思い出してしまいました。いや、当時のことなんてほとんど覚えていないんですが、それでも不安だった気持ちがいつの間に嘘みたいに消えてしまったことは覚えてる。おそらく、マイケルの旅もそんな感じだったのでしょう。最初は恐る恐るだったのに、あっという間に嵐の中で危険な度胸試しをするまでになる。どうしてそんなことが可能だったかといえば、僕の場合と同様で、友達ができたからです。
いつもより駆け足で書いちゃったのであまり触れられなかったんですが、マイケルと共に行動していたふたりの友人、ラマディンとカシウスの存在は、この小説の中で非常に大きな位置を占めています。ラマディンは病弱で、思慮深く心優しい少年です。体の弱さを抱えているおかげでしょうか、自分をいたわるように他人をいたわることができる。カシウスはマイケルたちより1歳年上で、学校では有名な問題児でした。教師をからかい突拍子もないいたずらを仕掛ける、根っからの「反体制」。しかしその敵はあくまで権力を持つ者であって、、決して大人しいラマディンをバカにするようなことはしません。まるで正反対のこの二人と、「マイナ」ことマイケルは船で行動を共にします。
マイケルとは、作者マイケル・オンダーチェと同じ名前ですが、著者は本書の最後にこう記しています。「ときに回想録や自伝を思わせる体裁と背景を用いているが、船長や乗組員、乗船客から語り手に至るまで、すべて架空である」。まあ、「作者=小説における語り手」じゃないなんてことは当たり前なので、そんなに力んで強調しなくてもという気はしますが、確かにオンダーチェ自身の境遇と重なる部分は多いことも事実。ともあれ、この作品の「作家による回想記」というのはポイントでしょう。回想という形式が、この小説に独特の立体感を与えているんですよ。
少年時代のマイケルは船で見聞きし体験したことの意味を、はっきりとは把握していません。ただ「耳と目をしっかり開けて」おいただけです。その様々な体験の意味は、大人になった彼が回想することで立ち現れてくる。例えば、マザッパさんが聞かせてくれた軽口やミス・ラスケティの忠告の意味が、あとからわかってくるように。後半、船で起きた事件の謎が現在と過去のパートを行き来するによって明らかになっていくというのも、その一つですね。
その渦中にいるときはそれと意識できず、あとから振り返ってわかることといえば、「少年期の終わり」もそうでしょう。「あのときに子供時代が終わったんだなと」とわかるのは、その時が過ぎ去ってしばらく経ってからです。子供が大人になるほどの時が流れたということを思うとき、湧きあがってくるあの感慨は何なんでしょうか。それは自分のことに限りません。子供の頃しか知らない相手の大人になった姿を見ると、わけもわからずしみじみしてしまいます。大人になったラマディンやカシウスについて書かれている箇所を読むと、そうした感慨がひたひたと迫ってきます。
マイケルは気づいたのでしょう。あのとき三人の少年は、共に少年期の終わりを迎えたのだと。そして、彼らの行動にはあの船の上での数週間が大きな影響を与えていると。そして、回想することで、再度そこで育んだ友情の意味を見つける。

僕たち三人が三人とも、自分より危なっかしく見える誰かを守りたがったのは、いったいどういうことなんだろう。

少年たちは、それぞれがそれぞれのやり方で、キャッツ・テーブルで学んでいたのです。あの「何の権力もない場所」で。子供のうちから社会の階層をまざまざと見せつけられ、それでもそんなものをものともせずに遊び回ってた彼らもまた、キャッツ・テーブルの一員だったのです。
あのあと僕らは、どんな人生を送ってきたのだろう。ああ、もう一度君と話をしてみたいよ。それは単なる郷愁や悔恨とも違う、山田太一が「生きるかなしみ」と表現するようなものかもしれません。時が、人生が過ぎていくということにまつわる「どうしようもさ」。
目をつぶると、夜の港から出る船の明かりが浮かんできます。


ということで、『名もなき人たちのテーブル』については、これでおしまいです。

『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ【3】


読み終えてしまいました。第43章以降、急激にミステリー的な展開を見せはじめ、その興味に引っ張られてぐいぐいぐいと。とは言うものの、謎が解決してめでたしめでたしというわけではなく、人生って何だろうというような深い余韻が残ります。


でもその前に、前回の続きから。
船はポートサイドの町に立ち寄り、そこでキャッツ・テーブルのメンバーの一人、自由で陽気なピアニストのマザッパさんが下船してしまいます。彼の中で何があったのかはわかりませんが、去ってしまった。マイケルら少年たちは、いかがわしい話すら目配せするように教えてくれる彼のことが大好きでした。だから、すっかりしょげかえってしまう。

僕は、ミス・ラスケティがマザッパさんの下船で打ちひしがれ、青ざめた顔をしてテーブルに現れるものとばかり思っていた。ところが、旅が続くうちに、彼女は仲間うちでいちばん不思議で、驚くべき存在になっていく。彼女の発言には茶目っ気たっぷりのユーモアが感じられた。僕たちのそばに来て、マザッパさんがいなくなったことを慰めてくれ、自分も寂しいと言った。その「も」という言葉が宝物に思えた。

こういう大人がそばにいることで、彼らはどれだけ救われたことでしょうか。これが、キャッツ・テーブルの素晴らしいところです。「自分も寂しい」というこの「も」だけで、ミス・ラスケティがマイケルたちの寂しさを理解し、彼らを仲間として扱っていることが伝わってきます。こうしたセリフは、「お前たちはどのくらいバカなのか?」という強権的な態度で接してくる船長の口からは、決して出てこないものでしょう。
これ以降、ミス・ラスケティがいかに魅力的な人物かが、徐々に明らかになっていきます。「最近やっとわかったのだが、マザッパさんとミス・ラスケティは、当時ずいぶん若かった。(中略)ふたりとも三十代だったに違いない」。幼い頃は、30代がえらく大人に思えるものです。でも、それを回想しているマイケルは、彼らの年をすでに追い越してしまったのでしょう。だからこそ、彼らが自分のことをどのように扱ってくれていたのかが改めて理解できる。
ミス・ラスケティは、マイケルのことをあれこれ気にかけてくれます。

僕はどこにいてもこんなふうだった。ミス・ラスケティに言われたからだ。「耳と目をしっかり開けておかなきゃだめよ。世の中、何でも勉強なんだから」と。そして、セント・トーマス・カレッジの古い試験問題集を、耳にしたあれこれで埋めつづけた。

実はこの作品には、この「試験問題集」からの抜粋が3カ所に挿入されています。これ、マイケルがノートに書き込んだ「小耳にはさんだ会話メモ」なんですが、あとから振り返ってみるとあのときのことを言ってたいたのかってなセリフがあったりして、非常に興味深い。「本当だよ――ストリキニーネは、噛みさえしなきゃ、飲んでも大丈夫なんだ」、こんなセリフがどんな場面で話されたんだろうと想像してみるのは楽しいですね。
マイケルは当時の自分を振り返り、「耳にしたことを何でもほかのふたりに伝える、グループの九官鳥(マイナ)」と語っていました。小耳に挟んだセリフから、あれこれ想像するのが好きな少年だったのでしょう。ミス・ラスケティのアドバイスは、この世間知らずの少年を案じていると同時に、後に作家になるマイケルにも向けたメッセージのようにも思えてきます。
ということで、マザッパさんを失ってキャッツ・テーブルの面々はすっかり気落ちしてしまいました。そこで、彼らを慰めようと、植物学者のダニエルズさんは食事会を企画します。ダニエルズさんは、自身が船倉に作っている植物園にメンバーを招待する。船の底にある庭! なんて魅力的なイメージ! まるで、ウェス・アンダーソンの映画に出てきそうな、閉鎖空間の中の小宇宙です。

ダニエルズさんに導かれて角を曲がると、目の前に彼の庭が広がり、そして料理がいっぱいに並ぶテーブルがあった。ぶつぶつ言っていた声がぴたっと止まった。どこかで音楽が鳴っている。またしてもミス・クィン・カーディフの蓄音機の出番で、今回は戦争の別の部門で働く荷役のところから拝借してきたのだった。エミリーはレコードの山から、いろいろなSP盤を選びだした。マザッパさんが残していってくれたものもあるそうだ。

オロンセイ号での食事をすべて振り返ったとき、真っ先に思い浮かぶのは、正式な食堂で、船長からはるかに遠い、もっとも恵まれない席で食べたときのことではない。船の奥深く、長方形に照らされた場所での食事だ。タマリンドのジュースが配られたが、おそらく一フィンガー分のアルコールが入っていたに違いない。僕たちのホストがとっておきのたばこをくゆらせると、かがみこんで足首の丈の植物を観察していたミス・ラスケティが、顔を上げて空気の匂いをかいだ。

それから僕たちは、新たな〈キャッツ・テーブル〉で食事を囲んだ。頭上に吊るされた明かりが揺れていた――なぜかその夜は船倉にそよ風が吹いていた。それとも、海のうねりのせいだったのか。僕たちの背後には、ミドリサンゴの葉が暗く茂り、黒ヒョウタンノキが一本生えていた。テーブルには水のボウルが置かれ、花が浮かべてあった。

誰ひとり、せかせかすることのない食事会だった。前に乗りだして光に当たらなければ、みんな影におおわれ、姿も見えなかった。それぞれが夢うつつのように、ゆっくりと動いた。蓄音機のぜんまいが再び巻かれ、インドネシアのライムが回された。
「マザッパさんに」ダニエルズさんがそっと言った。
「サニー・メドウズに」みんなも応じた。

「サニー・メドウズ」とは、マザッパさんの芸名です。レコードの山にも、マザッパさんの名残がある。わずか数週間の船旅で一緒になっただけの相手だけど、みんな穏やかに彼のことを懐かしんでいる。なぜなら、キャッツ・テーブルの仲間だからです。他のテーブルでは、こうはいかないでしょう。
「誰ひとり、せかせかすることのない食事会だった」というのがいいですね。世の中の時間から切り離されているような感覚。船長の席との距離で決まる序列から離れた場所にある、シェルターのような空間。そこでは音楽が流れ、タバコの煙が漂い、ボウルの水がきらめき、時折植物に噴射される霧が体を濡らす。
またしても、僕のツボである、暗がりの中の明かりの描写が印象に残ります。暗い船倉を抜けたところにある、明かりに照らされた空間。頭上の明かりは裸電球みたいなものでしょうか。船の揺れに合わせて、ゆらめいています。それが、キャッツ・テーブルの面々を包み込む、やさしい明かりとやさしい影を生み出しているのです。
この席で、エミリーが連れてきた耳の不自由な少女アスンタが、驚くべき事実を発表します。ここから物語は急速にミステリー的な様相を呈し始める。もちろん、少年たちにその全貌がわかるわけではありません。ただ、それがずーっと引っかかっていたマイケルは、当時のことを回想しながらそこで起きたことを物語として紡いでいく。
大人になった彼の元にどんな手紙が届いたか、誰と話をして誰とは話ができなかったか。そしてそこから、どんな事実が明らかになるのか。それは、これから読む人のお楽しみとして取っておきましょう。ふいに映画監督のダルデンヌ兄弟の名前が出てきて、その辺にも「現在」の空気を感じたりするんですが、それもとりあえず置いておきましょう。ただ当時の船での出来事は、少年たちに、そして従姉のエミリーにも決定的な影響を与えてしまう。例えば、やんちゃで反抗的な友人カシウスにも。

おそらくカシウスは、あの晩、船の上で、子ども時代の残りを失ってしまったのではないか。彼がいつまでもあの場にたたずんでいたことを思いだす。もう僕たちのそばには来ようとせず、紺色に輝く海をじっと見つめていた。

このあと、語り手である大人のマイケルはこう続けます。「カシウスが本を読むのか、それとも読書なんて軽蔑しているのか、見当もつかない。とにかく、この文章は彼のために書くのだ。若き日の、もうひとりの友のために」。これには胸を打たれます。彼はこの小説を、当時船旅を共にした音信不通の友人への手紙だと言うんですよ。また、「ラマディンの穏やかな優しさに学んでいなかったら、今になってカシウスに近づこうとは考えなかっただろう」とも。
わずか3週間の友情を、再び呼び覚まそうとするマイケルの言葉には、僕らはずいぶんと遠くへきてしまったね、というしみじみとした感慨が漂っています。これは、わかるなあ。僕もいい歳ですからね。子供の頃の友人に会うことができたら、何ともいえない感慨を抱くことでしょう。当時と今が二重写しになったような、不思議な感覚を覚えるんじゃないかな。その二重写しのわずかなズレに、何十年もの時間が折り畳まれている。
最終章は、船が目的地であるイギリスの港に到着する場面です。そこで、マイケルはラマディンやカシウスとも、エミリーとも、キャッツ・テーブルの人々とも離ればなれになってしまう。陸地から切り離されていた世界は、またこちら側の時間に沿って慌ただしく動き始める。終わりがくるということのどうしようもなさ。時が流れるということのどうしようもなさ。船旅の終わりはまた、少年期の終わりでもあったのです。


もっと船の旅を続けていたかったけど、小説の終わりもまたやってきます。『名もなき人たちのテーブル』読了です。

『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ【2】


前回までのあらすじ、のかわりに前回ささっと通り過ぎちゃった第20章から引用しておきます。客船に乗り込んだ少年たちの日々は、こんな具合だったと。

この船で繰り広げられる日常を把握したいなら、もっとも間違いのない方法は、時間の流れに従って行き来する人の動線を描いてみることだ。人によって色を変え、日々の動きを表せばいい。マザッパさんがお昼に起きてからたどる道や、モラトゥワのアーユヴェーダ医がヘクター卿の世話を離れてぶらぶら歩く道。犬を散歩させるヘイスティさんとインバニオさん。フラビア・プリンスとブリッジ仲間は、〈デリラ・ラウンジ〉へのんびり出入りする。明け方にはオーストラリアの少女がスケートでくるくる滑る。ジャンクラ一座の大きな舞台やちょっとした余興。それに僕たち三人は、はじけた水銀みたいにそこらじゅうを飛びまわる。プールに寄ったら次は卓球台、そのあと舞踏室でマザッパさんのピアノのレッスンを眺めて、ちょっと昼寝をしてから片目のアシスタント・パーサーとおしゃべりし――去り際にはガラスの目玉の観察を怠りなく――そしてフォンセカさんの船室に一時間以上おじゃまする。こうしたでたらめな行動パターンがすべて、カドリール〔四組の男女のカップルが方形に組んで踊る社交ダンス〕のステップのように予想のつくものになった。

人々の日々の動線を描くと、ちょっとした人物相関図や船の地図ができあがる。こういうイメージ好きです。ジャック・タチの映画とか、まさにこんな風に撮られてるでしょ。僕はタチの映画を観るといつも「ダンスのようだ」と思うんですが、オンダーチェも乗客の行動を振り付けられたダンスに例えている。わかる、わかるなあ。


では続きです。
まずは、オロンセイ号で映画上映が行なわれる場面から。甲板にシーツのスクリーンを張っての野外上映。ああ、心躍りますね。この、野外上映ってヤツに僕は弱い。いわゆるツボってやつです。前回「夜に光が灯っている場面」が好きだと書きましたが、野外上映もそのひとつ。しかも、みんなで映画を観るってのは、ある特別な時間を共有することでもあるわけで。
マイケルたち3人の少年にとっては生まれて初めての映画。彼らはかぶりつきに陣取ります。「スピーカーがパチパチとやかましい音をたて、スクリーンにいきなり映像が浮かびあがった。そのまわりを、暮れなずむ紫色の空が取り巻いていた」。もう、これだけでグッときちゃうんですが、もうちょっと引用してみましょう。

星がしだいに消えゆくなか、ゆっくりと進む船の上で、映画は二カ所で上映されていた。一等船室の〈パイプ・アンド・ドラムス・バー〉では三〇分早く始められ、四〇人ほどのきちんとした身なりの乗客たちが静かに鑑賞していた。一巻目が終わると、フィルムを巻き戻して金属の容器に入れ、屋外上映のために甲板の映写機まで運んだ。そのあいだ一等船室の観客は、二巻目を見るのだった。おかげで二カ所の音声が混ざりあって、予想外の混乱が生じた。海風がとどろくので、どちらのスピーカーも音量を最大にしていたから、場面にそぐわない音に攻められつづけた。緊迫したシーンを見ているのに、将校たちの浮かれ騒ぐノリのいい音楽が聴こえてきたりする。それでも、僕たち野外上映組には、夜のピクニックの雰囲気があった。全員にアイスクリームが配られ、一等船室のフィルムが終わってこっちの映写機にセットされるのを待つあいだ、ジャンクラ一座が余興を演じた。巨大な肉切り包丁を使って曲芸しているまさにそのとき、一等船室のスピーカーから、襲いかかるアラブ人たちのすさまじい雄叫びが聞こえてきた。ジャンクラ一座はそんな叫びをこっけいな身ぶりでまねしてみせた。続いてハイデラバード・マインドが進み出て、前の日に誰かさんのなくしたブローチが、映写機のレンズの上にのっていると告げた。こうして、一等船室ではイギリス軍が容赦なく虐殺されるシーンを見ているとき、こちらの観客からは大喝采が湧きあがったのだ。

一等船室と甲板の二カ所で、時間差を設けて上映するというのが面白い。甲板のスクリーンは、いわば映画版のキャッツ・テーブルでしょう。でも、前回も触れたように面白いことは「何の権力もない場所」で起こるんです。「夜のピクニック」とあるように、甲板での野外上映は祝祭的な雰囲気に包まれている。映画のみを静かに鑑賞するのではなく、周囲の環境も含めた「出来事」としての映画体験。そこでは、時間差上映のせいで音声が入り混じることすら、愉快なギャグに変わるのです。
しかし、船に嵐が近づいたため、上映は途中で終了となってしまいます。そしてこのあと、嵐の中でマイケルとカシウスは命がけの経験をすることになる。少年ならではの無鉄砲さではあるんですが、危機一髪です。さらに何章かあとでは、ラマディンが途中の寄港地で見つけた犬を船内に連れ込んだために、事件が起こります。詳しくは書きませんが、泥棒男爵のエピソードも含め、罪や死といったものが少年たちをかすめていく。いきいきとした船旅に、うっすらと影が漂い始めます。
こうした一連の出来事によって混乱を抱えたマイケルは、たまたまオロンセイ号に乗船していた従姉のエミリーを尋ねます。彼女は、やさしくマイケルを慰める。

一瞬、眠ってしまったらしい。エミリーは僕から離れず、片手を反対の肩のうしろに伸ばしてコーヒーのカップを取った。すぐにごくりと飲む音が、彼女の首から僕の耳に伝わってきた。彼女のもう一方の手は、まだ僕の手を握っていた。これまで誰もしたことのない握り方で、たぶん本当には存在しない安心を与えようとしていた。

自分は無防備に世界にさらされている。おそらくマイケルは、そのことに気づいてしまったのでしょう。船の上でのきらめくような自由は、一方で誰からも庇護されず海の上へと放り出されている状態でもある。大人になるっていうのはそういうことかもしれないけど、そのことに足がすくむ。
もちろん、エミリーだってマイケルより年上とはいえまだ少女です。それでもマイケルを慰めようとしている。コーヒーを飲む「ごくり」という音が生々しいですね。空気ではなく体を伝って聞こえてくる音の、思いもよらぬ近さ。それは、スキンシップの近しさでもあります。「たぶん本当には存在しない安心」だとしても、エミリーはマイケルの手を握ることで、何とかそれを伝えようとしている。ああ、キュンとくるじゃないですか。
さて、船はスエズ運河までやってきました。夜、この運河を通り抜ける場面がまたいいんだ。何度も言うようですが、これまた夜と明かりとざわめきと、っていう僕のツボにどんぴしゃり。ありありと情景が浮かぶような描写が、とにかく素晴らしいんですよ。たっぷり引用しましょう。長いぞ。

それは眠らぬ夜だった。
三〇分もしないうちに、船はコンクリートの埠頭に沿ってじりじりと進んでいた。埠頭には木箱が積み上げられて巨大なピラミッドになり、男たちが電気ケーブルを抱えたりカートを押したりしながら、ゆっくりと動くオロンセイ号の横を走っていく。硫黄色の光がところどころに射す下で、緊迫した作業が手早く進められる。どなり声や口笛が響き、その合間に犬の吠える声が聞こえた。ラマディンは、アデンで乗せた自分の犬が岸に戻ろうとしているのだと考えた。僕たち三人は手すりから身を乗り出し、空気を思いきり吸って体内に取りこんだ。その夜は僕たちにとって、旅のもっとも鮮やかな記憶として残ることになる。僕の夢にはときどきあの光景がひょっこり現れるのだ。自分たちは何をしていたわけでもないが、絶間なく変わる世界が船の前を横切っていった。暗闇は変化に富み、暗示に満ちていた。見えないタグボートがいくつも橋台をこするように進む。何台ものクレーンが低く下げられ、通り過ぎざまに僕たちの誰かを釣り上げようと待ちかまえている。外海を二二ノットの速度で走ってきたが、今はノロノロ運転の自転車並みになり、まるで巻物を少しずつひらくようなスピードで、よろめくように進んでいく。
荷物がつぎつぎと前甲板に投げこまれる。ロープを手すりに結わえつけ、それを使って水夫が陸に飛びおりて、通行許可証に署名する。絵画が一枚、船から降ろされるのが見えた。横目でちらっと眺めたら、どうも見覚えがある。一等船室のラウンジにあったもののようだ。なぜ船から絵なんか持ち出すんだろう。目の前で繰り広げられていることがすべてちゃんと法に従っているのか、それとも狂気じみた犯罪なのか、僕にはわからなかった。動きを監視している役人はほんの数人だし、甲板の照明はすべて消され、何もかもがひっそりと進められているのだから。見えるのはブリッジの明るい窓だけ。そこでは相変わらず三つのシルエットが、まるで船を動かすあやつり人形みたいに、水先案内人の命令に従っている。水先案内人は何度か外の甲板に出てきて、闇に向かって口笛を吹き、陸にいる人物に指示を出した。それに応じて口笛が鳴ると、鎖が降ろされて水音が響き、船のへさきが急にがくんと動いて、方向が変わるのだった。ラマディンはまだ犬を探して、船の端から端まで走りまわっていた。カシウスと僕は、へさきの手すりに危なっかしく腰かけ、眼下にとぎれとぎれに広がる絵のような光景をこの目で見ようとした――屋台で食べ物を売る人、たき火のそばで語らう技師たち、ゴミを降ろす作業。あの人たちもこうした出来事もすべて、二度と見ることはないとわかっていた。そして僕たちは、ささやかだが大事なことを理解した。じかに関わらずに通りすぎていく、興味深い他人たちのおかげで、人生は豊かに広がっていくのだ。

荷物の積み降ろしをしながら、船は「まるで巻物を少しずつひらくようなスピードで、よろめくように進んでいく」。ゆううっくりとしたその動きには、夢幻性のようなものが宿っています。埠頭のところどころに明かりが灯され、そこでは人々が忙しく働いている。船から見下ろせば、照らされるいくつもの光景がゆるやかに移ろっていくように感じられたでしょう。なるほど、巻物ね。
船と埠頭との間の距離感も、また夢のようです。男たちの声や口笛、犬の鳴き声などのざわめきを、少年たちはどこか遠いものとして聞いている。目の前を通り過ぎていくざわめきの中にあるのは、「眠らぬ夜」に働く大人の世界です。でも、「自分たちは何をしていたわけでもないが」とあるように、その世界に入っていくには彼らはまだ幼すぎる。そんな遠さ。
最後の一文もいいですね。「じかに関わらずに通りすぎていく、興味深い他人たちのおかげで、人生は豊かに広がっていくのだ」。ここで挙げられている「興味深い他人たち」は、いずれも高い地位についているタイプの人々ではありません。でも、その夜、少年たちの記憶にしっかりと刻まれることになる。もう一度、あのフレーズを思い出しましょう。「面白いこと、有意義なことは、たいてい、何の権力もない場所でひっそりと起こるものなのだ」。
ところで、この作品は大人になったマイケルの回想として描かれていますが、このあたりから、大人になってからの彼の境遇が徐々に明らかになっていきます。ラマディンの妹のマッシと結婚したとかね。さらに、カシウスとラマディンのその後も語られます。果たして、彼らはどんな人生を送りどんな大人になったのか。

人は時として若いうちに、生まれもった本当の自分を見つけることがある。最初はささやかな芽生えにすぎないが、やがて大きく育っていく、そんなものに気づく場合だ。船上での僕のあだ名は?マイナ?だった。本名に近いけれど、宙に一歩を踏み出して、特別な何かを垣間見るような趣があった。鳥が地上を歩くとき、首をかすかに回すような感じだ。しかしそれは当てにならない鳥で、その声はよく響くわりに信用しきれない。当時の僕は、耳にしたことを何でもほかのふたりに伝える、グループの九官鳥(マイナ)だったのではないか。ラマディンがうっかりそう呼んだのだが、カシウスはそれが本名によく似ていると気づき、そのあだ名で呼びはじめた。
僕を?マイナ?と呼ぶのは、オロンセイ号で出会ったふたりの友だけだった。イギリスの学校に入ってからは、もっぱら名字だけで呼ばれた。だから、電話を取って?マイナ?と言われたなら、ふたりのどちらかに決まっている。

あたりを見回し信用ならないことをお喋りする九官鳥というのは、後に作家になるマイケルにふさわしいあだ名と言えるでしょう。あだ名が偶発的に生まれ定着する、その時その場に居合わせたものだけが共有できる親密さというものがあるのでしょう。非常に限られた一時期の、非常に限られた仲間。
「電話を取って?マイナ?と言われたなら」とありますが、実はマイケルはカシウスとは音信不通、しばらくは連絡を取り合っていたラマディンとも疎遠になっていきます。そういうものだといえばそういうものなんですが、人生とは止まることなく過ぎ去っていくものなんですよ。それこそ「巻物を少しずつひらくようなスピードで」。


ということで、今日はここ(P178)まで。第38章まできました。船旅はもう少し続きます。