『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン【1】


愛と障害 (エクス・リブリス)
年が明けて何日も経たない頃、翻訳家・岩本正恵さんの訃報を知りました。僕は岩本さんの訳した本をそれほど多く読んでいるわけではありませんが、このブログで紹介したアレクサンダル・ヘモンの『ノーホエア・マン』はとても印象深いものでした。ヘモンは母国語ではない英語で書いており、異なる言語のズレに非常に意識的な作家です。その選び抜かれた言葉が繊細に訳されていて、素晴らしかったんですよ。そこで、昨年岩本正恵さんが訳したヘモンの短編集を読んでみようと思います。
『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン
です。
実は、僕がヘモンに興味を持ったのは、都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』でこの短編集が紹介されていたのがきっかけ。でも、その当時はまだこの本は訳されてなかったんですよ。それが岩本さんという理想的な訳者の翻訳で読めるわけで、期待大です。
白水社の「エクス・リブリス」シリーズの一冊。帯には「ボスニア出身の鬼才による、〈反〉自伝的短篇集」とあります。「〈反〉自伝的」というのが曲者です。『ノーホエア・マン』も自伝のように見えるけどそうじゃないというような、微妙なバランスの作品でした。このあたりが読みどころかな、とアタリをつけておきますが、どんなもんでしょうか。
あと、シンプル過ぎるタイトルも気になります。レポートのような題というか。もうちょっとそそるタイトルにすればいいのに、と思うんですが、最後まで読んでみないとその辺は何とも言えませんね。
では、いきます。


「天国への階段」

コンラッドの小説そのままの、完璧なアフリカの夜だった。湿気のせいで空気はねっとり静止していた。夜は焦げた肉と豊穣のにおいがした。外の闇は広大で、刃を受けつけない。僕はマラリアに罹ったように感じたが、ただの旅の疲れだったようだ。ベッドの上の天井に、数百万匹ものヤスデが集まっているさまを思い描き、窓の下の木々には、もちろん、貪欲に翼をはためかせるコウモリの群れを思い描いた。なによりも悩まされたのは、たえまなく響くドラムの音だった。ドラムの響きは、朗々と、緩慢に、重苦しく僕のまわりを漂った。それが戦いを意味するのか、平和を意味するのか、祈りを意味するのか、僕にはわからなかった。

冒頭です。ヘモンはサラエヴォ出身で、現在アメリカ在住。なのにいきなりアフリカというのが、ちょっと意表を突かれます。しかも、「完璧なアフリカの夜」ですよ。この一言で、熱っぽくまとわりつく深い闇が一気に広がります。コンラッドの小説が何を指すか、わかる人にはすぐピンとくるでしょうが、『闇の奥』ですね。アフリカの闇の奥にざわざわと蠢いている、生き物たちの濃密な気配。そこに、ドラムが鳴り響く。これ、アフリカの太鼓かと思わせといて実はそうじゃないんですが、それは後々明らかになります。
語り手の「僕」は、サラエヴォの16歳の少年。1983年の夏、外交官の父親の提案で、家族そろってアフリカのキャシサで過ごすことになった。その一夜目が、冒頭の場面です。「僕」は、ナイーブな文学少年といった感じで、わざわざアフリカ旅行に『闇の奥』を持ってきちゃうようなタイプ。でも、ちっとも読み進めることができません。ついでに言うと、彼は、恋人のアズラへ手紙を書く代わりに毎日日記をつけると約束しているんですが、こちらも一向に書き進めることができません。なんか、微妙に自己像と行動がズレている。
キャシサでの一夜目、ドラムの音を響かせていたのは、スピネッリというアメリカ人でした。なんだかインチキ臭い兄ちゃんといった雰囲気の人物です。アフリカでの日々に退屈した「僕」は、このスピネッリの元に入り浸ります。16歳の少年にとって、ちょっと悪そうな年上の兄ちゃんというのは魅力的に見えるものです。若い頃って、ヤバそうなものほど興味があったりするでしょ。セックス、ドラッグ、ロックンロール! わぁお刺激的!

スピネッリは、高校では煙草を売りさばき、地理の教師とやりまくった。ヒッチハイクアメリカじゅうを旅して、オクラホマではインディアンと酒を飲み、彼にもらったキノコを食べると、霊の棲むところに飛んだ――霊は尻がでかくて穴がふたつあり、どっちも同じようにクソのにおいがした。アイダホでは、一日じゅう空を見上げて、黒いヘリコプターの一団が襲ってくるのを待ちかまえている男と洞穴で暮らした。メキシコからテキサスに家畜を密輸し、テキサスからメキシコに車を密輸した。それから陸軍に入って、きついところに配置されないようにチンポコにタマネギをなすりつけて、ヤバい病気に感染しているように見せかけた。ドイツでは娼婦と遊びまくり、モンテネグロのディスコではポン引きをナイフでずたずたにしてやった。そのあとアフリカに来て、アンゴラに潜入してサヴィンビの解放戦線を助け、イスラエルのやつらと特殊部隊を訓練し、ダーバンでは色じかけのスパイ作戦をした。スピネッリの語りはどんどん横へ広がり、時間軸を無視して彼の人生を動き回った。

この武勇伝、どうにもこうにもハッタリ臭い。でも、「時間軸を無視して彼の人生を動き回」る縦横無尽の語りが「僕」を魅了したのでしょう。時間軸に沿って並べ直してみれば、あからさまな矛盾やごまかしがあることに気づくかもしれません。ただ、目の前で彼が語ってる間は、そんなことはどうでもよくなってしまうのです。スピネッリは、アフリカ政府の仕事をしていると語りますが、それもどこまで本当か疑わしいです。その上、ふざけてアフリカの子供に車をぶつけるというちょっとどうかと思うような行為をしてみせたるような、なかなかろくでもない人物です。
やがて、スピネッリは「僕」にガールフレンドのナタリーを紹介し三人でつるんで遊ぶようになります。部屋で彼が「僕」にマリファナを教えたとき、バックに流れていたのはこんな曲でした。

「ロック史上最高のブリッジだ」とスピネッリは言った。彼はふたたびティンパニを攻撃し、曲が先に進んでも攻撃を続けた。僕はそのビートに聞き覚えがあった。最初の晩に僕らをおびえさせたビートだった。
「なんていう曲?」と僕はきいた。
「『天国への階段』」とスピネッリは答えた。
「アフリカっぽいね」
「アフリカじゃない。ボンゾだ。一〇〇パーセント白人さ」

この前には、「移民の歌」の出だしの絶叫をマネしてふざける場面があります。そして、マリファナにぴったりの「天国への階段」へ。ご存知、レッド・ツェッペリンですね。ボンゾは、ツェッペリンのドラマーです。これが、冒頭で響いていたドラムだったというわけ。アフリカのように思えるけど「一〇〇パーセント白人さ」というセリフは、意味深ですね。アフリカにいながらにして傲慢なアメリカ人として振る舞うスピネッリの姿が、そこに重なります。移民としての歌を歌うのではなく、100%アメリカのドラムを響かせる。
このあと、「僕」はマリファナでヘロヘロのところを両親に見つかってしまいます。これは決まりが悪い。僕も高校時代、両親の留守中に部屋でべろんべろんに酔っ払い、じゅうたんをゲロまみれにしちゃったことがあります。親は特に説教したりはしなかったんですが、決まりの悪さでのたうち回りたいような気分でした。ヘモンは、このなんとも居心地の悪い10代の感覚を、みずみずしく描いていきます。一人称で語りながら、やらかした自分を甘やかさない距離感があるんですよ。
ドラッグとロックンロール、あと足りないものといえば、もちろんセックスです。「僕」は童貞で、サラエヴォにいる恋人アズラにも、スピネッリとつるんでるナタリーにも、悶々とした気持ちを抱いています。この悶々とする気持ちと、家族にそれを知られたくないという気持ち。童貞ならではのこの曰く言いがたい感覚が、このあと「僕」にある行動を取らせます。そのとき、彼は心の日記にこんな風に記すんですよ。「大好きなアズラ、僕の道は木の葉に覆われてしまった。ふたたび君に会うことができるだろうか」。うわー、この鈍くさい文学青年臭。この自意識こそがイタいわけで。結局、この手のイターい失敗をくり返しながら、大人になっていくしかないんでしょうが。


「すべて」
これは、都甲さんの『21世紀の世界文学30冊を読む』であらすじが紹介されていた作品。語り手の「僕」が、両親に命じられ大型の冷凍庫を買いに行くという話。安い冷蔵庫を求めて夜行列車でハンガリーの国境近くのムルスカ・ソボタという街へ向かい、翌日に店まで行って代金を払ってくるというのが、課せられたミッション。この街がサラエヴォからどの程度離れているのかイメージしづらいんですが、一泊旅行くらいの距離ということでしょう。

母は、僕を箱形冷凍庫作戦に従事させることにみずから賛成票を投じたにもかかわらず、僕を旅に出すのを心配した。僕は期待で胸がいっぱいだった。ムルスカ・ソボタという町の名はエキゾチックで、危険な響きがあった。ひとりで家を離れ、ひとりで旅をするのは初めてだったし、たくさんの詩が湧くような、さまざまな経験ができる初めての機会だった。僕は芽生えたばかりの詩人だった。何冊ものノートに、十代のあこがれと、(つねにあこがれの裏にある)押しつぶされそうな退屈をつづった詩を書いていた。僕は遠征の装備を整えた。新しいノート、予備の鉛筆、ランボーの詩集(僕の聖書)――非情の大河を下りゆき/船曵きに引かれていたことも、やがてわからなくなった。マルボロ数箱(いつものしけたドリナではなく)。そしてレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』と交換で手に入れた避妊用ピル一錠。僕の関心はセックス・ピストルズに移っていたので、このツェッペリンの二枚組アルバムはもうどうでもよかった。

いわゆる「はじめてのおつかい」、初の一人旅です。これは楽しみ。親元で暮らす若者にとって、誰からも干渉されずに好きなことができるチャンス。すっかり忘れてましたが、僕にもそんな時期がありましたよ。初めての一人旅、初めての一人暮らし、あちこちにまだ「初めて」がいっぱいあった時期。若いっていいなあ。
持っていくものリストが面白いですね。新しいノートやいつもより高い煙草からは、よーしやるぞというような高揚が伝わってきます。「僕」が「天国への階段」の主人公と同一人物だと考えると、旅には必ず本を持っていくタイプのようです。コンラッドからランボーへ。ついでに、ツェッペリンからピストルズへ。若い頃って、好きなものがくるくる変わるんですよ。
そして、何と言っても「ピル」! 引用部のあとには、こんなフレーズが続きます。「僕は意に反して童貞で、骨は多情な肉をまとっていた」。要するに悶々としているわけです。そしてこの旅で、童貞を捨てようと考えている。ムルスカ・ソボタの「危険な響き」に惹かれるというのは、そこに性的なものを感じているということでしょう。詩がどうのこうのと言ってますが、実は「やる気」まんまんです。はじめてのおつかいのはじめてのセックス。ジョニー・ロットンのシャウトのように、ピストルを爆発させたくてたまらない。

一九八四年のことだった。僕はひょろ長くやせていた。足が痛かったけれど、小さなバスでは伸ばせなかった。ふくらみかけのにきびに膿が溜まり、恣意的な勃起が進行中だった。これが若さだった。不安に絶えずつきまとわれていた僕は、そのつらさが自然である場所を、自分の傷に、重たい空気と海に浸れる場所を心に描いた。けれども父と母は、僕を善い場所に、快い場所に導いて、普通の人間にするのが自分たちの務めだと信じていた。父と母は自然な会話を仕組んで僕の将来に触れ、望みはなにか、人生や大学の計画はどうなっているのか明言させようとした。それに対し、僕はランボーのわめきから派生した言葉で応じた。ランボーは、われらの世界のうちにその時々に目覚める未知なるものの量を、香り、音、思索の上に発する思索、等々、その全てを包括する魂を嘆いた。当然、父と母は僕がなにを話しているのかさっぱりわからず、怖れをなした。親は子どものことをなにも知らない。子どものなかには、自分は理解可能だと両親に思わせる者もいる。だが、それは策略だ――子どもはつねに親の一歩先にいる。僕の魂の独白に、しばしば父は幼いころに十分にベルトでお仕置きしなかったことを悔いた。母は僕の詩をこっそり読んだ――僕がそれに気づいたのは、ノートのページに心配した母の涙の跡があったからだ。箱形冷凍庫計画の目的は、ひとえに父が言う「人生の洗濯もの」(とはいえ、父のものはすべて母が洗濯していたが)に僕を向き合わせることだと僕は知っていた。父と母の存在を形づくる、凡庸でありふれた日々の仕事を経験させ、それが必要であることを学ばせるためだった。食べものを集めて貯蔵することが、人生を組み立てる中心原理である人々からなる大きな共同体がある。父と母は、僕にその仲間入りをさせたかったのだ。

「天国への階段」からカウントすると、1984年の語り手の「僕」20歳前後ということになります。「恣意的な勃起が進行中」か…。あるある、僕にもそんな時期が…、ってのはもういいですね。親に対してランボーで答えるっていう子供っぽさも、可笑しいですね。大人にはランボーなんてわかりっこない、と思ってるんですよ。まあ、実際わからないわけですが、わかったところでそれがどうした、という話だったりもします。
というのも、親にとっては、そんなことよりも箱形冷凍庫に象徴されるような、まっとうな「共同体」のほうが大切なんですよ。「詩だって? そんなもので腹は膨れやしないじゃないか」と口にしたわけではありませんが、ランボーかぶれの息子に「食べること=地に足のついた生活」の大切さを学ばせたいのでしょう。これは僕としても身につまされる話で、今でも実家に帰ると、両親が「自然な会話を仕組んで」「人生の洗濯もの」に向き合わせようとする。もういい大人なのでいちいち反発したりはしませんが、まあ面倒であることには変わりはない。ランボー的なものだけじゃ生きていけない、というのはわかってるんですけどね。むう。
語り手の「僕」は、「箱形冷凍庫作戦」に乗っかりながらも、両親の計画に屈するつもりはありません。箱形冷凍庫より、セックスの冒険のほうが遥かに興味があるんです。そしてムルスカ・ソボタに到着。「僕」は、ホテルにチェックインします。

ムルスカ・ソボタで、僕はホテルの部屋の逃れられない悲しさに真に向き合った。これまで一度も書くために用いられたことのないメモ用紙を持つ精神。地獄のような紫色の花が描かれたベッドカバー。魂のない海辺のリゾートを写した白黒写真。手早い雑なセックスを連想させる、しわの寄った紙が内側に敷かれたゴミ箱。窓からは駐車場のコンクリートの屋根が見え、まんなかの大きな水たまりが、砂漠の湖の蜃気楼のように光ってゆらめいていた。この悲しみの洞穴で、僕がひとりで夜を過ごすなどありえなかった。僕は若さが濃密に集まっている場所を見つける必要があった。魅力的なスロヴェニアの女の子が集まって立っていて、スロヴェニアの若い男の不器用な口説きをためらいなく拒みつづけ、ピルを携えたサラエヴォの若者のために、処女を守っている。

東欧のわびしいホテルの様子が伝わってくる描写です。窓から見えるのが「駐車場のコンクリートの屋根」って…。ヴィム・ヴェンダースの映画に出てきそうな雰囲気。こんなしょぼくれた部屋にいたら、旅に出る前の期待が一気にしぼんでいってしまいます。このまま何もせずに帰るのはイヤだ。冒険をしなきゃ。セックスの冒険をしなきゃ。ということで、「僕は若さが濃密に集まっている場所を見つける必要があった」となる。本人は大真面目なんでしょうけど、「若さが濃密」ってのが、可笑しいですね。しかも、妄想が先走っちゃってる。「ピルを携えたサラエヴォの若者のために、処女を守っている」って、そんなわけあるか。
このあと、「僕」は街へと繰り出すんですが、大通りの風景もなんともさびれた感じで、ようやく見つけたバーでは髭を生やした男が一人ビールを飲んでいるだけ。公園で見かけた二人連れの女の子のあとをつけていったら、彼女たちと合流した男に追いかけられる始末。この場面もヘモンの描写力が存分に発揮されていて素晴らしいんですが、やってることはストーキングだよね。
ホテルに逃げ帰った「僕」は、今度は別の部屋に泊まっているアメリカ人の妻と逢い引きをすることを妄想します。彼女が僕の部屋に忍んでくるはずだという、手前勝手な思い込み。セックスへの期待でパンパンになっちゃって、まともな判断ができないんでしょう。「アメリカ人」というのもポイントかもしれません。「天国への階段」のスピネッリもそうですが、刺激的だけど最終的には交われない存在としてのアメリカ。その越えがたい距離。
結局、このセックスの冒険は、先走る妄想としょぼくれた現実の間で不発に終わります。そのとき「僕」がノートに書き付けたのが「愛と障害」という題の詩です。書き出しはこうです。「世界と僕の間には壁があり、/僕はそれを歩いて通り抜けなければならない」。いや、わかるよ。わかるけど、そんなにカッコいいもんじゃなかったでしょ。
この作品の終わり方は、とても鮮やかです。

その日、母は僕がムルスカ・ソボタではいていたデニムのズボンを洗った。コインポケットのピルは溶け――銀紙とプラスチックのかたまりしか残らなかった。箱形冷凍庫は十七日後に届いた。僕らは詰めこめるだけ詰めこんだ。子牛肉、豚肉、羊肉、牛肉、鶏肉、ピーマン。一九九二年春に紛争が始まり、サラエヴォの電力供給は途絶え、箱形冷凍庫のなかのものはすべて溶け、一週間もたたないうちに腐り、やがて消滅した。

「人生の洗濯もの」がピルを溶かし、紛争が地に足のついた生活の「すべて」を溶かす。「すべて」という語が、この作品には三回登場します。最初は夜行列車で耳にしたクイズの答として、次は酔っ払いにかける慰めの言葉として。そして最後の最後に登場する、この「すべて」の不穏な予感。


ということで、今日はここ(P68)まで。不発の青春。自意識過剰な青年の、ときにみずみずしくときにうっとおしい語りが面白いです。早く彼に童貞を捨てさせてあげたい。