『増補 夢の遠近法 初期作品選』山尾悠子【2】


増補版の続きです。「遠近法・補遺」は、山尾悠子作品の中でもべらぼうに好きな「遠近法」の続編。というか、ページ数の都合で入りきらなかったエピソードをまとめたもの。当然、面白いに決まってるわけで。

《腸詰宇宙》において、垂直の空洞を囲む回廊群はよく劇場の桟敷席になぞらえられることがある。天体や機械仕掛けの《神》の通過、《蝕》など、すべて動的な変化が奈落の空間の属性であるとすれば、対する観客席的要素こそが回廊群の属性であるからだ。《劇場》の比喩の発生源が、いったいこの閉鎖的宇宙のどこにあり得たのかというのか、それは不明なのだが。

上下に無限に伸びる円筒状の世界。それが「腸詰宇宙」です。我々が暮らす世界とは異なる秩序で作られた世界なわけで、そもそも「劇場」なんてものが存在しない世界なんですよ。なのに、どうして劇場になぞらえることができるのか? まるでナンセンスな言葉遊びのようですが、その答えはあとで考えましょう。
「遠近法・補遺」では、この世界の滅ぶ様が描かれています。では、どのようにして終末へと至るのか。13歳の少女がふいに前世の記憶を取り戻したことから始まります。彼女は、世界の経年劣化ぶりを目の当たりにしてショックを受ける。ちょっと長めに引用します。

数十世代にわたる生活の澱(おり)――その手垢と脂(あぶら)と排泄物に汚染された、今や飴(あめ)色の岩肌、それをまず少女は指摘した。またその不潔で陰湿な黝(くろず)みを。人々が華麗と信じている欄干群の浮彫りも、細部が摩滅した今では襤褸の花綵(はなづな)であるに過ぎない。またそれらの肌という肌に華々しい領土地図をひろげた蘚苔類の存在を少女は指摘した。湿気のしみに縁取りされた蒼黒い苔と石黴は、互いの領土を侵犯しあいながら悲惨に繁殖し、今やさながら臭い汁を持つ疥癬(かいせん)の瘡蓋(かさぶた)のようだと少女は糾弾するのだった。その臭気に瘡(かさ)に覆われて、さらに執拗な葉脈状の罅割れがあった。無惨な傷や亀裂や毀(こぼ)れは、疲れた中年女の朝の顔のように、今や恨みがましげな隙間風を光景の隈々(くまぐま)に与えていた。一層に五十本ずつ、上下の回廊群におよそ数千本は数えられる人像柱の群でさえ、貌や腕が欠けこぼれ、すでに総体的な崩壊の途上にある。後悔の狼煙(のろし)をあげる、無言のオペラの彫像群のように。
聞き続けるうちに、人々は世界を眺める自分の眼が変化していくのを感じた。言葉という言葉を駆使して再構築されていく世界を、人々は同時にその眼で追っていった。そこに新しく展けていく宇宙の姿は、陰惨に疲労して、もはや救いがたい残骸のように消耗していた。この明白な事実に気づきもしなかった、昨日までの自分を人々は疑問にさえ思った。また前日までのそれに比べて、今朝の光量は著しく減退し、陰気にくすんでいるように思われた。言葉の破壊力がそうさせたのだ。

画数の多い漢字が頻出します。まるで、ページが黒ずんだ黴や苔に浸食されていくようです。さらに、禍々しい比喩に満ちた描写の迫力。読んでいると、すっかり古びてしまった回廊がまざまざと目に浮かんできます。この世界が、何かおぞましいもののように思えてくる。
ありもしないものを描写の力でイメージさせるのであれば、目の前の世界を変えてしまうことだってできるでしょう。少女の指摘を聞いた腸詰宇宙の人々は、もうかつてのように世界を眺めることはできなくなってしまうんですよ。「滅ぶ」という観念を植え付けられてしまう。知ってしまったら、もう消すことはできない。これこそが、「言葉の破壊力」です。そして、そこから世界は崩壊を始めるのです。
そして、このちくま文庫の帯に引用されている必殺のフレーズが登場します。

 誰かが私に言ったのだ
 世界は言葉でできている

言葉で作られた世界は、言葉で滅ぼされる。山尾悠子は、そういう作家です。ここではないどこかの世界をひたすら描写し、最後には破壊してしまう。ほとんどの作品に、こうしたカタストロフが待っています。「破壊王」とは山尾悠子自身のことかもしれません。
巻末の「自作解説」で山尾悠子はこの引用部について、「比重はもちろん一行目のほうにある」と書いています。「誰かが私に言ったのだ」。そう言えば、前作にあたる「遠近法」は、他者から渡された未完の草稿というスタイルで書かれた作品でした。つまり、「世界は言葉でできている」という言葉も、誰かの言葉なのです。腸詰宇宙にはありえない「劇場」という比喩がそこで使われているように、世界の外には世界を作る言葉を操る者がいる。そしてその言葉を操る者の世界もまた、誰かの言葉で作られている。このように、無限の入れ子となって世界はどこまでも作られ、そして滅ぼされていく。
なんという壮大なビジョンでしょうか。それが20ページにも満たない短編に閉じ込められていると思うと、言葉で作り出す世界の広がりの大きさに眩暈を覚えます。やっぱりすごいわ、山尾悠子


ということで、『増補 夢の遠近法』はこれでおしまい。次はガイブンを読むぞ。