『青い脂』ウラジーミル・ソローキン【1】


青い脂
読書モードになってるんで、どんどんいっちゃおうかな。チェコの次はロシアだろ。どうせならすごそうなヤツを読みたいな、ということでチョイスしました。今回は、最近出たばかりのほやほやの新刊。ガイブン界隈では結構話題になってる小説、
『青い脂』ウラジーミル・ソローキン
です。
青いブタが描かれた表紙も不気味だし、帯では円城塔岸本佐知子が絶賛してるし、紹介文を読んでもどんな小説かさっぱりわからないし。こーゆー作品にチャレンジせずして、何が読書ブログだよ、とのっけからテンション上がりまくりです。
では、いきます。扉に掲げられたラブレーニーチェの引用を受けて、いざ本文。


ということで、読み始めてみたものの、まいりました。これは難物だわ。何が書かれているのかほとんどわからない…。例によって冒頭を引用します。ルビやら傍点やら()が多用された作品で、そのすべてをブログで正確に再現はできませんが、それを踏まえて、まあ、読んでみてくださいよ。

一月二日
やあ、お前(モン・プティ)。
私の重たい坊や、優しいごろつきくん、神々しく忌わしいトップ=ディレクトよ。お前のことを思い出すのは地獄の苦しみだ、リプス・老外(ラオワイ:よそ者)、それは文字通り重いのだ。
しかも危険なことだ――眠りにとって、Lハーモニーにとって、原形質にとって、私のV2にとって。
まだシドニーにいて、車(トラフィック)に乗っていた頃、私は思い出しはじめた。皮膚を透かして輝くお前の肋骨を、お前のほくろ、あの《修道士》を、お前の悪趣味なタトゥー=プロを、お前の灰色の髪を、お前の秘密の競技(ジンジー:遊び)を、「俺の星にキスしな」というお前の汚らわしいささやきを。
いや、違う。
これは思い出じゃない。これは私の一時的な、カッテージチーズみたいな、脳(ブレイン)=月食(ユエシー)プラスお前の腐ったマイナス=ポジットだ。
私の中で脈打つ昔の血液だ。泥んこまみれの岸の上でお前が糞して放尿している、私の濁った黒龍江(ヘイロンジァン)だ。
そう。先天的な自尊心(シュトルツ)6にもかかわらず、お前の友はお前がいなくてつらい。肘も睾丸(ガオワン)も輪(リング)もなければ、最後の叫び声も臆病なぴいぴい声もないんだから。

意味、わかります? わかんないよね。ぶっ壊れた異常な文体だということしかわからない。わからないということしかわからない。ロシア文学だってのに、頻出する中国語。だけじゃないか、英語やフランス語、ドイツ語らしきものも混じってる。そして何より、この作品でしか使われないような意味不明の造語や慣用句がてんこ盛り。
巻末には一応作者による用語解説がついているので、それを参照してみましょう。「リプス」とは「二〇二八年のオクラホマにおける核災害の後、ユーロアジア人たちの会話の中に現れた国際的罵言」のこと、「Lハーモニー」とは「生物や物質が持つシュナイダー野の平衡度」とのこと、「V2」とは「ヴェイデの女性度の指標」のこと。ああ、なるほど、…ってならないよ! 解説を読んでも何のことやら意味不明。しかも、注すらない謎の単語も多い。わざとやってるとしか思えません。かなり悪質ですよ、ソローキンは。
というわけで、最初の1ページでビビってたんですが、こういうときは気にせず読むしかありません。細かな意味は置いといて雰囲気だけで読む。そしてある程度進んだところで、もう一度最初から読み返してみる。そしたら、あれ? おぼろげながら世界観が見えてくる。ああ、無理してでも読んでみるもんですね。すべてがわかったわけじゃないんですが、ひとまず現時点で見えている設定を押さえておきましょう。
まず、手紙という形式をとっていること。日付に始まり署名で終わる。そんなパートがひたすら続きます。これは、ボリスという人物が上海出身の恋人だか愛人だかへ宛てて連日送り続けている手紙、というわけです。「お前がいなくてつらい」とかなんとかメロメロなことを書いてるかと思うと、いきなり嫉妬心を剥き出しにして相手を罵ったりします。総じてやけに熱っぽいというか、はっきり言って情緒不安定です。「モン・プティ」という具合に相手への呼びかけが何度も出てくるんですが、そのバリエーションも読みどころ。手紙のたびに、「優しいごろつきくん」「つれない蝶々くん」「べたべたしたクズ野郎」と、毎度呼び方が変わるのが可笑しいです。挙げ句の果てには、「チョコレートの小山羊ちゃん」とか「汗ばんだシラミの卵」と呼びかける。何ですか、そりゃ?
手紙から少しずつ、ボリスの境遇が見えてきます。舞台は未来。ボリスは言語学の研究者で、シベリアにある遺伝子研18という研究施設に派遣されたため、恋人と離ればなれになってしまったようです。この研究施設、遺伝学者や医者なんかも働いていてそれ以外はみんな軍人。何の研究をしてるのかわかりませんが、軍事関係ってことなのかな? ちなみに、手紙の輸送には鷲ほどの大きさに改良されたクローン伝書鳩を使います。この辺も面白いですね。その他にも、移動用の飛行橇とか壁を覆う胎生組織とか、奇怪なガジェットが何の説明もなしにちょこちょこと出てきます。
もう一つ、手紙からうかがえるのは、この未来社会の性に対する考え方。非常にオープンでフリーダム。マルチセックスということが当たり前になってるようです。と言われてもよくわからないので、ってことで巻末解説を見ると、マルチセックスの種類には「空中(アエロ)セックス、STAROSEX、ESSENSEX、3・プラス・カロリーナ」などがあるとのこと。ああ、やっぱり読んでもわからないや。わかりませんが、この世界では複数の相手と関係を持つことはそれほど珍しいことではなさそうですし、いろんな形のセックスが行われているっぽい。ちなみに、ボリスの手紙の相手の恋人は男性です。つまり、この世界では同性愛なんか特別なことじゃないんでしょうね。この辺がわからないと、ピンとこないフレーズも多いので、押さえておいたほうがいいでしょう。
ということで、性に対するほのめかしがやたらと多いのも、この作品の特徴です。引用部の「最後の叫び声」や「臆病なぴいぴい声」ってのは、ベッドの上での声でしょう。アナルセックスを思わせる、肛門ネタも異常に多いです。淫語の隠語だらけ。「俺の星にキスしな」ってのは、「Kiss my ass」の言い換えというか、やっぱりバック方面のことなんでしょうね。他にも、「遺伝子研18は尻を思わせる二つの巨大な円丘の間に隠されている」なんていう表現が出てきたり、太字の「O」という奇妙な記号が出てきたり。ボリスが前立腺のことをやたら気にしているのも、可笑しいです。
あとは、「リプス」についても書いておきましょう。ボリスの手紙には、何かというとこの「リプス」が挿入されます。「リプス・老外(ラオワイ:よそ者)」「リプス・你媽的(ニーマーダ:くそったれ)」「リプス・大便(タービエン:糞をする)」などなど。用語解説では、「国際的罵言」とありましたが、単なる罵倒語というよりもうちょいいろんな意味合いを含んでいそうな単語です。英語でいうところの「Fuck」みたいなものかな。サミュエル・L・ジャクソンなんかが映画で、会話の途中にやたらと「ファッキン」「ファッキン」言ってたりするでしょ。ああいう感じ。もしくは、北野武映画の「バカヤロウ、コノヤロウ」みたいな。


と、長くなりましたが、今のところ読み取れるのはこれくらいかな。さて、この遺伝子研18に7体の「個体(オブジェクト)」が届きます。トルストイ4号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号。聞いたことない名前もいくつかありますが、すべてロシアの文豪の名前だそうです。これらは、遺伝子操作で生み出されたクローンみたいなものらしい。まあ「個体」としか呼ばれてないんで、「クローン」って言い方が正しいかどうかは微妙なんですが。というのも、彼らの外見は本人たちとは似ても似つかないんですよ。

もう少し詳しく説明しよう。まず、トルストイ4号。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの第四代目再構築物(リコンストラクト)。クラスノヤルクのGWJで人工孵化された。はじめの三体はあまりうまく行かず、相関率が四十二パーセント以上にならなかった。このトルストイ4号は七十三パーセント。こいつは男性で、体重が六十二キロあるのに、身長は百十二センチだ。頭と手が不釣り合いなほど大きく、体重の半分を占めている。手はオランウータンのようにどっしりしていて、白く襞がある。小指の爪は五元硬貨サイズ。どでかいリンゴもトルストイ4号の拳の中では跡形もなく消え失せる。頭は私の三倍もある。顔の半分を占める鼻は、曲がってでこぼこしている。濃い剛毛の眉、涙の滲んだ小さな目、巨大な耳、それから、一本一本がアマゾンに生息する水生の蛆虫を髣髴(ほうふつ)とさせる、膝まで伸びたどっしりとした白いあごひげ。

人工的に孵化させたってのが、何とも気色悪い。それぞれの個体の号数は、何体目の実験体かを示しているようですね。「相関率」ってのは、どこまでコピーできてるかということでしょ。トルストイっぽさ73%、みたいな。でも、この描写を読むとほとんど化け物です。頭と手だけがやたらにでかいトルストイ。何よりひげがイヤですね。蛆虫のように太くて白いひげが膝まで伸びてるって、それはもうひげっていうより何かの塊です。あ、だから「どっしりと」しているのか。
そんな調子で、それぞれのクローンの様子が描写されます。ナボコフはなかなか実験に成功しなかったみたいで、7号でようやく相関率89パーセントを達成。外見は、「ちぢれた赤毛の太り気味の女性」で、輪郭がはっきりしないほど常に筋肉をぷるぷる震わせ、汗をぴちゃぴちゃ垂らしている。パステルナークは1号で成功。キツネザルにそっくりで、「鼻でラッパのような音を出す」。そして、プラトーノフ3号はなんとテーブル型! 僧侶たちに体を拭いてもらってたとか、もうメチャクチャです。
いやあ、やらかしますね、ソローキンは。ああ、可笑しい。文学を神棚にまつってご大層に拝める気なんか、さらさらないんでしょう。はっきり言って、非常に冒涜的です。もうちょいソフトな言い方をすれば、悪ふざけが過ぎる。もちろん、誉めてるんですよ。普通じゃない小説だということはここまで読んだだけで十分わかってます。だったらもう、とことんやって欲しい。頼むぜ、リプス!
さて、個体が届いた翌日は大吹雪のせいで作業がストップ。ボリスは部屋でウォッカを飲んで暇をつぶしています。そこへ、同僚やら大佐やらがやってきて、だらだらとお喋りをしては出て行く。この会話がまた、意味不明で困ります。あけすけな下ネタやうわさ話をしている風なんですが、よくわからない。「ひょっとしたらあたし、パンニクーベルなのかも。でも、あの人のバッテリー操作はひどく覚束ないわ。何かのレトロ=プラスよ」とか、「出張中の女性たちが南京虫を連れていないとは残念だ!」と言って、みんなで笑うんですよ。何それ、笑うところなの? そして、会話の中にこんなセリフがスルッと出てくる。

「S油粘土(プラスティリン)と青脂(せいし)3を比較するのは誤手(まちがい)だな」

あ、「青い脂」だ。油と脂は別物だ、ということでしょうか。しかし、これ以上会話の中で「青脂3」について言及されることはありません。詳しいことは、もうちょっと読まないとわからなさそうです。


ということで、今日はここ(P33)まで。しょっぱなから読みづらい! でも、しょっぱなから面白い! そうそう、こういう本を読まずして何が読書ブログだよ。と、この先もテンションを上げていきたいと思います。