『青い脂』ウラジーミル・ソローキン【3】


おっと、ここで転調。あの読みづらい書簡形式でずっといくのかと思いきや、文体が突如三人称にスイッチします。でも、終わってしまえばあの文体が妙に恋しく思えてきたりして。
あ、あと、前々回、ボリスの職業を言語学者と書きましたが、実際は「生命文学者(バイオフィローログ)」でした。専門は「言語促進」。ってそれが何なのかはよくわかりませんが、こういう情報があとから出てくるんだよな。これは、手紙でボリスが語らなかったことを、三人称で補足しているということでしょう。ちなみに、フルネームはボリス・グローゲルです。
では、いきましょう。


トルストイ4号の執筆から2カ月半後、久々にボリスは手紙で研究所の様子を報告します。研究所の面々は、プロジェクトの成功を祝してカクテルパーティを開く。例によって、あけすけな会話を交えながらのばか騒ぎ。ところが、そこに謎の男たちが突入してきて…。というところで、文体が三人称に変わります。手紙にパーティの様子が記されていたと思ったら、それが途切れて、いきなり変わるもんだからちょっと面食らいます。別の視点が急に侵入してきたという感じ。
他者の視点が入ることで、ようやく青脂の概要が言葉として語られます。例えば、侵入者がボリスを詰問するシーン。

グローゲルは自分の細い指を見た。
「それは……LW型物質だ」
「ロシア語で話せ。LW型とは何だ?」
「超絶縁体だ」
「超絶縁体とは何だ?」
エントロピーが常にゼロに等しい物質だ。その温度は常に不変であり、供与体(ドナー)の体温に等しい」

ボリスが例によってわけのわからない言い回しをしては、侵入者に「ロシア語で話せ」と叱られるのが可笑しい。なーんだ、みんながみんなあんな言葉遣いをしてたわけじゃなかったんですね。後にわかってきますが、彼らの使っている言葉は「新露語(ノヴォルースキー)」、侵入者たちの言葉は「旧露語(スタルス)」だそうです。ということは、この侵入者たちは守旧派ってことですね。ちなみに彼らは、彼らは性の自由を極限まで謳歌し、新露語を使う研究所員たちを「インバイ」と名付けています。
とは言え、正しいロシア語で説明されたとしても、やっぱり青脂の正体はよくわかりません。青脂は、青く発光しており、毒性はなく、燃えることも凍ることもありません。切ったり粉々にすることはできるけど、消すことはできない。だから「月の反応器(リアクター)」に使えると説明されたりもするんですが、ピンとこない。この隔靴掻痒感。ずーっと後のほうには「かりに我々の世界が凍りついて氷の塊になり、あるいは燃え盛る太陽に変わってしまうにしても、青脂は永久にそこに残っているのです」というセリフも出てきます。これ、放射性物質を連想させますね。まあ、無理にそう読む必要もない気はしますが、青い発光はチェレンコフ光を思わせるし、チェルノブイリを経験したロシアの小説だし…。


研究所に侵入した男たちは、青脂を奪って逃走します。彼らは隠れ家に到着し、仲間に盗んできた青脂の入ったトランクを渡す。トランクを手にした者は、昇降機で地下へ降りまた別の仲間にそれを渡す。渡された者は、さらに昇降機で地下へ。また別の仲間にトランクを手渡す。こうして手から手へ、地下からさらに地下へと青脂はリレーされていきます。どうやら、彼らは一つの地下組織を形成しているらしい。
さて、この地下巡りの最中に、地下で暮らす人物が書いた小説が挿入されます。この「水上人文字」という小説内小説が、また面白いんですよ。シンクロナイズドスイミングをしながら人文字を作り、隊列となって文章を構成したまま川を下るという話。よくまあこんな妙ちきりんなことを考えるもんです。

それでもなお、イワンは部隊の中で腕利きの泳者と目されており、すでに六年もの間、引用文における最も責任重大な場所を任されていた。
そして今日、彼が泳ぐパートは読点(コンマ)だった。

泳者にとってコンマ役は花形のようです。だからどうした、って言わないで。僕だって何のこっちゃと思いながら読んでるんですから。彼らは「河川扇動部隊」に属している。ということは、彼らが泳ぎながら作る「引用文」はアジ演説みたいなものでしょうか。要するにマスゲーム。ソローキンはたぶん、全体主義をからかってるんでしょうね。
さらに地下巡りは続きます。トランクリレーの反復は、この地下施設の異様な深さを想像させます。もっと下へ。もっともっと下へ。「え、まだこの下に地下室があるの?」とクラクラしてきます。その上、深く降りていくほどに奇怪な人物が出てくる。例えば「童子」と呼ばれる者たちがいます。彼ら、子供かと思ったらあごひげを生やしてたり、はげ頭だったりして、しかもとんでもない巨根の持ち主だとか。その童子たちの着替えのシーン。

衣装部屋から走り出してきたのは、スパンコールできらきらと輝くぴちぴちの衣装に身を包んだ六人の召使だった。彼らは手にスプレーを持ち、後ろに純金製の小さな低い乳母車を引いていた。召使たちの後に続いて三人の少年が走り出てきて、童子たちから寛衣(キトーン)を脱がせた。童子たちは複雑な形の安楽椅子から腰を上げた。彼らの巨大な性器が床に転がった。(中略)召使たちはさっと性器の下に乳母車を入れ、童子たちは入浴の後で赤く膨らんだ性器を載せた乳母車を押しながら、衣装部屋へ向かった。召使たちは歩きながら童子たちの性器にスプレーを吹きつけにかかった。

どんだけでかいんだ! 立ち上がると巨根が床についちゃうんですよ。なので、それを乳母車に乗っけて自分で押して歩く。バカバカしいなあ。赤ん坊くらいの大きさってことでしょ。心底くだらない。でも、こういうほら話のようなバカバカしさ、嫌いじゃないです。というか、大好物。
このあとわかるんですが、この地下組織、「ロシア大地交合者教団」というカルト教団なんですよ。いわば、大地信仰。しかも、ただ信仰するだけじゃありません。「大地交合者」ですからね。大地とまぐわうんですよ。下の話ばかりで何ですが、冷たく堅いシベリアの大地にぶっ刺すわけです、股間のアレを。大地なんていうどでかいものと交わるわけですから、巨根じゃないと保たないのかもしれません。
というところで、またしても小説内小説が登場。タイトルは「青い錠剤」。青は青脂と通じているのかな? これがまた小説としてすごく面白い。主人公は、潜水服を着て錫の板のチケットを手にモスクワのボリショイ劇場へと入場します。何で潜水服? その謎はすぐに解けます。

ボリショイ劇場のホールはモスクワ下水道の主要排水溜になっている。糞便文化に皮相的にしか通じていない連中は、下水道の中身は一寸先も見えないほどの大量の排泄物だと考えている。それはまったくの誤りだ。糞便はたったの二十パーセントだけ。残りは液体である。それは濁ってはいるが、しかし強力な照明をつければ、絨毯の敷かれた床から天井の有名なシャンデリアまで、ホール全体を見渡すことが十分に可能なのだ。
ホールの空間は青く光り、浮かび上がる無数の泡に貫かれている。上方では乱流が集まった糞便を散らばらせているが、それは糞便がホールの空間内で均等に配分されるようにするためであり、そのおかげで天井桟敷の人々も見ることができるのである。

ひやー、またぶっ飛んでる! 汚水で満たされた劇場で、水中オペラを鑑賞するんですよ。いや、水中オペラはまだいいですよ。でも、何故に糞便をそこに溶かすのか? 「糞便はたったの二十パーセントだけ。残りは液体である」。ああ、それならまあいいか、…とはならないでしょ。しかも、「ホールの空間内で均等に配分」って。明らかに、糞便ありきの発想。悪趣味もいいところです。これは、ブルジョワ好みの「お芸術」への嫌味でしょうか。それとも、単にスカトロ趣味なだけなのか?
さて、この作品が暗示するように、青脂入りトランクを託された童子はタイムマシンらしきものに乗って、「一九五四年のモスクワ、ボリショイ劇場」へと送られることになります。青脂自体がわけがわからなすぎるんで、タイムマシンごときでは驚きませんよ。未来なんだからタイムマシンくらいあるでしょう、ってなもんで。さあいざ、1954年へ。


ということで、今日はここ(P179)まで。文体が変わっても、悪趣味でお下劣でめちゃくちゃなのは変わらないんですね。リプス! 望むところです。