『空気の名前』アルベルト・ルイ=サンチェス【1】


空気の名前 (エクス・リブリス)
白水社から刊行されている「エクス・リブリス」は、未知の作家の海外小説を次々と訳してくれるという魅力的なシリーズ。ということで、今回は、つい先日その「エクス・リブリス」から出た小説を読みます。
『空気の名前』アルベルト・ルイ=サンチェス
です。
ルイ=サンチェスはメキシコの作家だそうですが、舞台となるのはイスラム文化の息づく北アフリカの町。南米? イスラム? アフリカ? 海外文学で僕が最も読んでいるのは英米系の作品ですが、イスラムとかアフリカになると、ちょっとピンとこない。パラパラとページをめくると、あちこちにアラビア文字らしきものが配されているし、扉にはマルグリット・ユルスナールの文章が掲げられているし、まったくどんな小説か想像がつきません。表紙はイスラム風の街路の風景写真で、なんだかとっても地味そうです。
ところが、ところがですよ。読み始めてすぐに、独特の詩的な文体に漂うエキゾチシズムにやられてしまいました。これ、いいかもしんない。長編としてはかなり短めの作品ですが、読み飛ばさないよう味わいながら読みたいタイプの小説じゃないかな。よし、読んでる途中で書いてみよう。
ということで、いきます。


「1 空気の手のなかで」と題された第一部の「I 突然の動かない表情」の章。
冒頭に配された三つの断章から。

そんなふうに見ていては、水平線は存在しない。視線が水平線を作るんだ。まばたきするたびに崩れる一本の線。

昼のあいだは空と海が分けあう線、夜がひそかに帳を集めにくるころには消えてなくなる線を、彼女はじっと見つめていた。闇が訪れるとその視線は、星々が描くひと筋の線、遠い海面に映る明るい線に向けられた。

彼女のまぶたの上を飛び交う虫さえ、まっすぐにのびたその視線の糸を断ち切ることはできなかった。何も、彼女の睫毛を不安げに震える羽に変えることはなかった。

まず、「まばたきするたびに崩れる一本の線」に、クラっときます。水平線が「崩れる」というイメージに、足場が揺らぐような感覚を覚える。さらに、水平線が様々な言葉で言い換えられていきます。分けあう線、消えてなくなる線、明るい線…。昼から夜へ、線が姿を変えていく。そして、ここにもう一つの線があります。水平線をじっと見つめる「視線」です。
いいなあ。視線と水平線、交差する二つの線。ここまで線のことしか書かれていませんが、線が交錯することのスリルっていうのかな、ちょっとドキドキするような感じがあります。でも、水平線に何があるというのでしょう?
窓辺でずっと海を見つめている娘の名前はファトマ。それを不審に思った祖母は「ラ・バラッハ」というカードで、彼女のことを占います。このカードは、おそらくタロットカードのようなものでしょうね。そして、祖母はファトマの内に「欲望」が芽生えていることを知ります。んー、性愛への渇望みたいなことでしょうか? わかりませんが、その強い希求が水平線を見つめる視線に表れている。
さらに、「おまえの内にいる鳥は螺旋を描いて飛んでいる」「螺旋といっしょにあるのは数字の九」「お前は途中で他人の夢のなかに入る」「網と魚のフグが二、三匹見える」と祖母の占いは続きます。何だか謎めいていますが、どうやらファトマは「鳥」に象徴されるものを螺旋状に追いかけている、ということらしい。螺旋か…。これもまた一つの「線」の運動ですね。
面白いのは、ファトマたちが暮らすモガドールという町もまた、螺旋構造を持っているということ。町の大通りは「カタツムリ通り」と名付けられているんですよ。

タツムリ通り、通称大通りは、円を描きながら島を取り巻く城壁から中央広場までをつなぎ、広場にはいくつかの公衆浴場と、この港町に共存する三つの宗教の三つの寺院が建っていた。モガドールの住民にとって町は世界の姿そのもの、人間の外的な生と精神的な生の見取り図だった。円形の城壁にある四つの市門の上の四つの塔は、東西南北を示していた。「もし世界を表象する文字を選び取ることができるなら、世界全体は胡桃の中に収めることができる」、これはモガドールで大切にされている格言だ。大通りが一周するごとに泉が湧きでている。泉は、水があらゆるもの、あらゆる人を洗い流しながら、螺旋を描いて公衆浴場(ハンマーム)まで続いていることを示していた。

この部分は、読んでいて最初に「これ、好きかも」と思った箇所です。渦を巻く大通り、東西南北の門、中央にある公衆浴場。ああ、そそるわぁ。この手のちょっと不思議な都市構造って、僕の大好物なんですよ。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』とか、最近だとブノワ・ペータース&フランソワ・スクイテンのバンドデシネ闇の国々』とか。まあ、このモガール自体はそこまでシュールな町というわけではありませんが、小説の中にしかない町という気配がぷんぷんする。そういうところにとても惹かれます。
この先、若い娘の内にある性への欲望が描かれる、かどうかはまだわかりませんが、一方でこれは都市小説かもしれないという予感はします。そして、その予感は次の章でさらに強くなる。


「II 風の中の秘密」の章。
乾いた風が吹く秋の訪れ。この章で、ファトマが見つめる光景が素晴らしいんですよ。

百の噂が町を飛び交うなか、午後の風は、一年のあいだに城壁に堆積した塩を動かし、石の上から白く長い薄板を浮き上がらせた。城壁から塩の薄板が剥がれる瞬間、子供たちは駆け寄ってそれを受け止め、両手にその脆い板を載せて、そろそろと自分たちの家に向かった。しかし同じ風に奪い取られてしまい、それを持ったまま家にたどり着くことはできなかった。塩の薄板が宙に舞い上がると粉々に砕け、その微細な粒子は、空気とさえ見分けがつかなかった。
ファトマは、子供たちが薄く張った膜を石の上からそっとすくい上げるのを眺めた。窓から見ると、膜は太陽に照らされ、きらきらした点が散りばめられているようだった。子供たちの手のなかで音も立てずに砕けると、一瞬、光り輝く雲が彼らの姿を覆ったが、子供たちが両手を振り回し、もはや見えなくなったものを捕まえようと躍起になっているあいだに、雲は消えた。

はい、「これ、好きかも。いややっぱこれ、好きだわ」とダメ押しされた箇所がここ。「塩の薄板」という脆くも美しいイメージに、すっかりやられてしまいました。この塩は風に乗って海から運ばれてきたんでしょうね。この塩の変化が素晴らしい。薄板になり粒子になり雲になりまた風に帰っていく。夢のような儚さにうっとりさせられます。
もう、こういうエピソードだけ読んでいたい。そうやって、ひたすらモガドールの町を散策したい。石造りの城壁、海からの風、そうしたちょっとしたものから徐々にモガドールの町が見えてくる。ああ、エキゾチックだなあ。


ということで、今日はここ(P20)まで。まだたったの20ページだし、ファトマの欲望の理由についても何もわかっちゃいません。でも、そんなことよりモガドールです。モガドールについて、もっと知りたい。