「ミルハウザーまつり」を終えて


さてさて、3つの短編集を読んだわけですが、まとめて読むと、ミルハウザーが好みのモチーフを、飽きもせずにくり返しくり返し描いていることがよくわかります。どの作品も、金太郎飴のように似ているんですよ。だからこうやって立て続けに読んでいると、ある程度のストーリー展開は想像つくし、正直、ちょっと飽きるところはあります。
でも、ミルハウザーの本当の魅力は、別のところにあるんじゃないかな、というのが僕の感想。ストーリーを追ってぐいぐいページをめくるような読み方には、向いてないんですよ。そうじゃなくて、作品を作り上げる精緻な手つきをじっくりと味わうのが、ミルハウザーの楽しみ方じゃないかと。
『ナイフ投げ師』の訳者あとがきで、柴田元幸氏はこう書いています。

対象が自動人形であれ百貨店であれ奇術であれ、彼ら広い意味での芸術家の、その危険なまでに精緻な芸に似ているものを作品中に探すとしたら、まっさきに目につくのが作者ミルハウザーの精緻な文章であることは、ほぼ自明の事実だろう。

ミルハウザー好みのアイテムリストを作るとすれば、例えばこんな感じなるでしょう。人形、ゲーム、本、写真、博物館、マンガ、手品、見世物、玩具、月、百貨店、遊園地、地下…。もう少し大きな枠で考えれば、芸術、舞台、物語、手技、建築、からくり、ミニチュア、ニセモノ、夢などなど。要するに、人工物や虚構の世界が大好物なんですよ。もちろん小説もまた虚構なわけで、ミルハウザー作品は、作品中に出てくるそれら人工物の似姿になっているわけです。
稲垣足穂からレーモン・ルーセルまで、こうした人工物を愛する作家はいろいろいますが、ミルハウザーが特徴的なのは、その仕組みについても強い興味を持っていること。まるで、時計を分解するように、その構造を様々な角度から解き明かそうとしているように見えるんですよ。人形の根源的な魅力とは? 人が見世物に求めるものは? 地下世界の意味は? そんな自問をくり返し、人工物・虚構世界のからくりや本質について考えている。
虚構世界の仕組みについて考える作品はどうしたって、小説についての小説、フィクションについてのフィクションといったニュアンスを帯びることになります。いわゆるメタフィクションってやつですね。ミルハウザー入れ子や逆説、断片スタイルなどの手法を取るのは、こうした小説の構造に意識的だからでしょう。
したがって僕らは、作品を磨き上げる手つきの見事さだけじゃなく、同時にそれを分解・分析する様子も見せられることになります。これが、ミルハウザーの面白さです。からくりを組み立てるだけじゃなく、それを分解する時計職人のような繊細な手つき。その鮮やかさに、僕は酔っ払うんですよ。
ちなみに、僕が一番好きなミルハウザーの中短編作品は、今回の「ミルハウザーまつり」じゃなくて、以前に読んだ『三つの小さな王国』収録のこれ。
「j・フランクリン・ペインの小さな王国
これは、僕が考えるミルハウザーの魅力が全部入っていて、かつストーリーも面白いという大傑作です。


ということで、ミルハウザーまつり、これにて終了。
次回は、久々に、日本の小説にいきたいと思います。短編ばかり読んでたので、分厚い長編がいいな。ということで、町田康の『告白』にします。どうぞよろしく。