『告白』町田康【1】


告白
別に海外文学ばかり読むって決めてるわけじゃないんですよ。「読みたいけどなかなか手を出しづらい本を読む」っていう主旨に合っていれば、日本ものだって読みます。
ということで、今回は、680ページという分厚さがハードルになりそうなこれ。
『告白』町田康
です。
町田康は大好きで初期のものはその都度読んでたんですが、出版点数が多いのと、テイストがどの作品も似てるので、いつしかマメに追っかけるのを止めちゃってました。なので、『告白』は僕にとっては久々の町田節です。
この作品、最近文庫になったようですが、僕は間の悪いことに、その直前に古本屋でハードカバーを買っちゃったんですよ。これ、持ち歩くのはけっこう大変。大変ですが、そんなことを言ってたらいつまでたっても読めないので、がんばりますです。


では、冒頭からいきます。ちなみに、ブログでは読みづらいので引用のルビは適当に間引いています。

安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分(すいぶん)の百姓城戸(きど)平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられぬ乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。
父母の寵愛を一心に享(う)けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。
あかんではないか。

いきなりです。始まってまだ数行なのに、そんなこと急に言われても困りますよ。息の長い文章がつらつらと続いたあとの問いかけ、そして改行して「あかんではないか」。不意に出てくる関西弁の、このリズム。タメのあとのハズし。笑えます。
なぜ熊太郎がそんなに親に大事にされたかというと、生みの母親を早くに亡くし、父親も父親の後妻もそれを不憫に思ったからなんですが、どうやらそれがよくなかったらしい。

人間というものは不可思議なもので大事に慈しんで育てればよいかというと必ずしもそうではなく、「かしこいな。かしこいな」とちやほやすると、あほのくせに自分はかしこいと思い込む自信満々のあほとなって世間に迷惑を及ぼす。
ところが、「あほぼけかす」「ひょっと」「へげたれ」などと罵倒されて育つと、己の身の程を弁(わきま)えるのと、なにくそ、と思う気持ちがちょうどよい具合にブレンドされて世間の役に立つ人間になる。
熊太郎は、ことあるごとに、「かしこいな」と言われ、ちょっと紙にいたずら書きをしただけで、「字の稽古をしてえらいな」とほめそやされる、茶碗を割ると、「活発な」と褒められるなどして成長したので、十やそこらでとてつもなく生意気な餓鬼に成り果てていた。

書かれていることはそんなに目新しいことじゃないんですが、妙に可笑しいのは、「あほのくせに自分はかしこいと思い込む自信満々のあほ」とか、「ちょうどよい具合にブレンドされて」とか、「とてつもなく生意気な餓鬼に成り果てて」とか、フランクな言い回しが所々に挿入されているせいでしょう。文章がギクシャクしてるんですよ。まるでパンク歌手がかしこまった紋付きを着ているみたい。もちろん、わざとやっているんですよ。これが、町田康の文体の魅力ですね。
それにしても、「ひょっと」「へげたれ」のマヌケな語感。意味はわかりませんが、罵倒語なんですよね、きっと。関西では普通に使う言葉なのかな?
以降、熊太郎の少年時代のエピソードが綴られていきます。まあ、ヒネた小生意気な子供なんですが、面白いのは彼が自分の外面と内面のギャップについて常にくよくよ悩んでること。「ところで俺は十歳の餓鬼やのになぜこんな思弁的なのだ」なんてことを、思弁的に考えたりするんですよ。それなりに聡明と言えば言えるし、面倒臭いガキだと言えばそうとも言える。
やがて熊太郎は、村のガキ大将になりますが、それは熊太郎がケンカに強かったからではなく、「きっと強いだろう」というイメージを他の子供たちに植え付けることに成功したことによります。そうすると、熊太郎はそのイメージが壊れることを恐れるようになる。難儀な話です。

そもそも俺は弱い。その弱い俺が強くみえるのはこれひとえに大楠公流の奇知・奇略によってである。大楠公は寡兵(かへい)であった。衆寡敵せずといって、これは大楠公には悪いが、ある意味、弱いということである。しかし藁人形で見方が大勢いるように見せかけたり、煮え湯や人糞、巨岩を敵兵目がけて男としたりするのは弱い者が強い者に勝つための奇知・奇略、つまり俺の角力や腕殴と同じことだ。では大楠公はなぜそんなことをしたのかというと、もちろん勝つためである。ではなぜ勝たなければならなかったのかというとそれは忠ゆえである。じゃあ俺はなんなのだ。俺はなんのために奇知・奇略を駆使して強いと思われなければならない。忠か。それは違う。俺が強いふりをして鹿造に勝って天子様が嬉しい訳がない。それは違う。では孝かというとこれも違う。というか逆に不孝だ。では俺は自分が勝ってよい気分になるためにこんなことをしているのか。俺は人を殴って気持ちがいいのか。というとこれも違う。それは多少はよい気分かも知れぬが、やはりそうはいっても人を殴るのはなんか厭(いや)だ。そもそも俺は直線的な力の行使が非常に苦手なのだ。しかしそれにつけてもこの思考の流れはいったいなんなのだろうか。俺はやはりどこかおかしいのではないだろうか。近所の人間はおそらく誰もこんなことを考えていないだろうし、もちろんこんなことを話題にすることはない。おそらくこのような思考をするのはこの辺では俺だけだ。みよ、こいつらの顔。いい年をして洟(はな)を垂らしている。しかしそれはそうとして問題はなぜ俺はこんな奴らに気を遣ってうた歌いながら竹むまから落ちたり、奇知・奇略を使ったりしているのかということだ。それがまるで分からない。

長い引用で恐縮ですが、ずるずると続くこのねじれた思考が熊太郎の特徴です。大楠公とは、楠木正成のこと。熊太郎は、自分を大楠公になぞらえているんですよ。といっても、誇大妄想的なものではなく、もっといじいじしてる。「直線的な力の行使が非常に苦手」なのは、こうやっていじいじ考えるタチだからですね。そしてさらに、ふいに「この思考の流れはいったいなんなのだろうか」と、自己言及の迷路に入り込んでいく。
「いい年をして洟を垂らしている」ってのが、可笑しいです。それはいいじゃん、今は。まあ、周りがこういうヤツらばかりだから、かろうじて熊太郎の奇知・奇略が通用してるんですが。でも、熊太郎が内面を吐露できるような話し相手がいたら、彼ももう少し違ってたかもしれませんね。それができないからこそ、彼の内面はどんどんおかしな方向にねじれていき、外面はどんどん粗暴なガキ大将になっていく。
このあと、赤松銀三という村人の水車が壊される事件が起き、水車の側にいた熊太郎ら子供たちに容疑がかけられます。

「おどれらわしとこの水車になにしたんじゃ。潰れとるやないけ。ただで済むとおもてけつかんのか」
狷介な銀三に怒鳴られ鹿造はひどいこと怯えた。
鹿造は尻の穴がすくすくするように感じ、また周囲から自分が浮き上がっているようにも感じた。指先が膨張して芋のようになったり、ぎゅんと収縮して針のようになったりした。いずれも怖ろしさのあまり精神が動揺した揚げ句の感覚の変調である。そして鹿造はなぜか、「茶渋が落ちるの」と呟いた。まったく意味不明であった。

このシーンも可笑しい。銀三の汚い河内弁もいいですが、壊れた水車を前にして、「茶渋が落ちるの」ってのもわけがわからない。錯乱以外の何物でもありませんが、それにしたって、意味不明すぎます。こういう絶妙なフレーズを選ぶところに、町田康のセンスが窺えますね。
そして、熊太郎ら子供たちは、親たちに命じられ、水車を壊した真犯人を探して村の外へ出掛けることになります。


ということで、今日はここ(P62)まで。この作品、文体のリズムに乗ってすいすい読めちゃいそうな予感。