『フェルディドゥルケ』ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ【4】


前章の挿話を経て、また本編に戻ります。と言っても、それほど読みやすくなるわけじゃありません。やっぱり要領を得ない一人語り。まあ、じっくり行きましょう。


「6 誘惑 そして ひきつづく若さの呪縛」の章。教室にピンコが現れた、その続きから。
ピンコは教室からユーゼフを連れ出し、「おまえを下宿につれていってやる」と言います。ユーゼフは自分の家があるにもかかわらず、ピンコの紹介するムウォージャック家に下宿させられるとのこと。ここで、ユーゼフの大人ぶった態度を改めさせ、若者らしい若者にしようという魂胆らしい。ユーゼフ、もう30歳なのに…。
ちなみに、このムウォージャック家には、女学生の娘もいるとか。ムウォージャック家に到着した二人をまず出迎えたのが、この女学生ズートゥカ。彼女は若者独特の素っ気なさでピンコに応対します。何を聞かれても「別に」って答えるようなあの態度です。そして差し延べた手を不作法に振り払われた大人は、妙にぎくしゃくした態度を取る。ピンコも同様に、やたらと彼女に媚びたような態度を取り始めます。あれ? あの教師然とした態度はどこに行っちゃったんでしょう? 若さを前にへどもどする老人。

ピンコはなぜこの女学生とおなじ部屋に坐っているのか? なぜ老年が女学生の若さにまじって腰をすえているのか? 助けてくれ? しかし、助けなどどこにもない、アア、本当になぜ女学生と坐っているのか? なぜかれの老年はありきたりの老年とはちがって、女学生的なのか? なんだって――女学生をかかえこんでいる老年? なんの意味だ――女学生的な老年? おれはぞっとして鳥肌だつのを覚えた。それでも、逃げることはできなかった。女学生的老年――若くて年とった老年――こうしたなんとも舌たらずなどこかに欠けたところのあるいやらしい観念が、おれの頭のなかを、かけめぐった。

ピンコの様子を見たユーゼフも混乱気味。おなじみの同語反復がぐるぐると回り始めます。それにしても、「女学生的老年」ってのは何なんでしょう? イマイチ意味がつかめない言葉ですが、大学教授とかにいそうな感じかな。それはともかく、このシーンでは、大人のはずのピンコもまた未熟さの着物を着せられてしまったように見えます。そして、ピンコは、こんなことを言い始める。

「足にきまっている。わしはおまえたちを知っているのだよ、おまえたちのスポーツ、新しいアメリカナイズされた世代の風俗習慣のことを。手よりも足のほうがいいのさ。おまえたちにとっては足がなによりも大事なのさ。ふくらはぎ! 精神文化なぞおまえたちにはなにものでもない。ただ足だ。スポーツ! ふくらはぎ! ふくらはぎ!」むやみやたらとおれの若さにこびようとする。「ふくらはぎ! ふくらはぎ! ふくらはぎ!」

「おちり」の次は「ふくらはぎ」ですか…。何でここで「ふくらはぎ」が登場するのかわかりませんが、若さの象徴かな? それに、ユーゼフもユーゼフです。「おれの若さにこびようとする」って、さっきまで「俺は大人だ!」と言わんばかりだったのに、無意識のうちにすっかり若者側、女学生側に立ってます。しまいには、ムウォージャコーヴァ夫人に「不自然に大人ぶりたがる17歳」として認識されてしまう始末。そして、一度そうレッテルを貼られると、それから逃れることは非常に困難になってしまう。

ソファーにおれは坐ったまま、ピンコが念の入った嘘(うそ)をついているのだと、叫ぶこともできなかった。そこで、坐りなおして、足をまえに突きだすと、自由奔放な外観をとりつくろうのにこれ努めた。(中略)そのとき、おれはムウォージャコーヴァが小声でピンコに言うのを聞いた。
「本当、病的ですね、あの気取りようは。先生、ごらんなさい、ひっきりなしにポーズを作って……」
おれは動くことができなかった。もし姿勢をかえたら、おれの聞いたことが分かってしまうだろう。それに、またなにかを気取った型だなどとも言われかねない、もう今は、ちょっとなにかしようものなら、すべてそれが型になるのだ。

ああ、またこのパターンですか。他人から評価されることで本来の自分の姿を見失い、自然に振る舞えなくなってしまう。この妙な圧力は、この小説にくり返しくり返し登場します。いや、「妙な」って言ってみたものの、感覚的にはよくわかる。自意識過剰になっちゃって、ぎくしゃくしちゃうことってあるでしょ。2・3章で繰り広げられた生徒たちの騒ぎも、この章でのピンコの憐れな女学生っぷりも、この圧力が原因でしょう。
こんな場所はさっさと逃げ出せばいいものを、結局、そのタイミングを失ったまま、あらら、ユーゼフはここに下宿することとなります。


「7 恋」の章。
この章では、タイトル通りユーゼフが下宿の娘ズートゥカに恋してしまいます。あーあ、恋なんてしたら、よけい自意識過剰になって妙なことをしでかすに決まってます。実際、彼女の気を引こうとしてわざと視界に入るなんて、中学生のような行動に出る。または、おじさんが舞い上がって無理しちゃってるようでもあります。大人と子供の間で宙ぶらりんの状態。ユーゼフの行動は、すべてがそんな感じですね。
もちろんそんな彼を、女学生は相手にしません。鼻も引っかけない。僕が笑ったのは、彼女には素っ気なくされ、ユーゼフが部屋で荷物を解くシーン。

「おしまいだ。」とおれはささやいた。「だいなしだ。」なぜだいなしにしてくれた? なにかが彼女の癇(かん)にふれたのだ――おれといっしょに車に乗るくらいなら、おれをひき殺したほうがいいと思っているのだ。いまおれを迎えてくれるものといったら、この壁のしたの椅子ばかり。でも、もういいかげん荷物をとかなければならなかった。トランクは部屋の真中におかれたままで、手拭(てぬぐい)もない。
椅子のうえにつつましく腰かけたまま、暗がりのなかで、引き出しに下着類をしまいにかかった。『ちゃんと整理しとかなけりゃ、あしたは学校だ。』こう思いながらも、おれはやはり明かりをつけようとしなかった

「ひき殺したほうがいい」とか、大げさです。そのくせ、最後には「あしたは学校だ」って…。しっかりして! 30歳でしょ。本来学校に行く必要なんかないのに、いつの間にかその気になっちゃってる。
そのくせ、遊びに来たミェントゥスには、涙ながらにこう訴えます。

「女学生から自由にさせてもらいたいんだよ! だって、おれは三十なんだぜ。嘘もかくしもありゃしない、本当だ! 三十歳!」

ミェントゥスは、例の作り顔合戦ではえを食べちゃった同級生。作男を理想とするちょっと不良がかった10代の少年です。そんな子供に泣きつく30歳…。しっかりして!
とまあ、ここでのユーゼフのみっともなさったらありません。一人あれこれ思い巡らしては悶々とし、次々とバカげた振る舞いをやらかします。ここには細かくは書きませんので、実際に読んでみて笑ってください。ホントに困った30歳ですよ。


ということで、今日はここ(P227)まで。わざと古めかしい言葉を使ってるんだと思いますが、訳文の妙なリズムもクセになります。「女学生」なんて、今じゃ言わないもんなあ。