『フェルディドゥルケ』ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ【5】


おおっ、転調。こりゃ、面白い!
この小説半ばの第8章で、そう言いたくなるような展開がありました。必ずしも読みやすいとは言えないぐだぐだした一人語りが、ここへ来てググっと動き出します。よっ、待ってました。
ということで、今回は8〜10章まで一気に行きます。


ということで、「8 フルーツ・ポンチ」の章です。
ユーゼフは日々、下宿でムウォージャック家の人々と一緒に寝起きし、学校で10代の子供たちと一緒に授業を受けます。ズートゥカに恋するあまり、すっかり「おちり」を貼り付けた17歳になじんでしまっている。でも、彼女はユーゼフのことなんか、ハナから相手にしていません。嫌ってるんならまだマシですが、そもそも眼中にない。
彼女の周囲の目を気にしない自然な振る舞い。それこそが、若さ、つまり「現代性」です。一方ユーゼフは、それに憧れ、称賛するあまり、彼女に比べて俺ときたら…というように、びくびくと人の目を気にして、不自然な気取りを身につけた古風な少年となっていきます。そのため、どんどん現代性から離れていくという、悪循環…。

しかし、彼女はおれを求めなかった! おれの顔をつらにした! しかも、日ごとに日ごとに、ますますもってすさまじくなる一方のたいそうなつらをおれにあつらえてくれたのだ。
オオ、嘘いつわりなどあるものか――どんなに彼女がこの顔かたちのことでおれを苦しめぬいたことか! アア、他人につらをおし付ける人間ほど、残酷なものをおれは知らない。そうした人間にとっては、滑稽(こっけい)さ、醜悪さ、愚劣さのどぶ泥に人を突き落とせさえするならば、万事オーケー、つまり、その人間の美しさを他人の醜さがひき立てることになるからだ。

「つら」とは、つまり滑稽さ、醜悪さ、愚劣さをぶら下げた顔というようなことでしょうか。自ら選んだものではなく、関係性のなかで無理矢理押し付けられるというのが、「つら」の特徴です。このように、ユーゼフはピンコに、ズートゥカやムウォージャック家の人々に、みっともない子供にさせられていく。どんどん妙な圧力に逆らえなくなっていきます。
ユーゼフはいやになるくらい受け身で常に混乱状態にあります。ところが、これがくるっと反転する瞬間が訪れます。思わず、喝采を叫びたくなるような展開。それは、ムウォージャック家の昼食の席で起こります。
ちなみに、この家の主ムウォージャック氏の妻は、ムウォージャコーヴァ、娘ズートゥカは、ムウォージャクーヴナと表記されています。ポーランド人の名字には、何かこういう法則があるんでしょうか?
ムウォージャック氏は、パリで学んだ自由人、インテリの技師です。オシャレでユーモアを解するリベラリスト。ムウォージャコーヴァは、社会運動に夢中の進歩的な夫人。第1章に出てきた「文化おばさん」という言葉を思い出させるような人物です。昼食の席で、この現代的な一家は、自らの現代性を高らかに謳い上げるのに夢中です。
娘に恋人がいないか探りを入れようとした夫人は、理解のある母親としてこう言い放ちます。

「ズータ、ひょっとその人と約束でもしたんじゃない? すてきじゃない! 一緒にボートでも漕(こ)ぎにいくっていうの――一日じゅう? それとも、ウィークエンドに遠出して、夜も戻らないってわけ? そんなら、戻らなくてもいいのよ。」愛想よくこう言った。「遠慮なんかいるもんですか、戻りなさんな! お金はどうするの、持っていかないの、男に払わせるつもり? それとも、こっちが大きな顔をしてられるように、男のぶんも払ってやるか? そんなら、お金はあげますよ。でも、わたしが思うには、二人ともお金なしでなんとかしてみようっていうんでしょ、エッ?」

ズートゥカは、そんな男がいるとはひとことも言っていないのに、明らかに暴走気味です。「戻りなさんな!」って…。一方、ムウォージャック氏も負けてはいません。妻の発言に乗っかって、さらに暴走し始めます。

「そうさ、そんなことちっとも悪いことじゃない! ズータ、もし私生児が産みたければ、産めばいい、いつでもどうぞ! なにが悪いというんだね! 処女崇拝は昔のことだ! われわれ技術者たち、新しい社会現実の設計者たちは、昔の土百姓どもの処女崇拝など認めんよ!」

ここは、笑いました。この人、何言っちゃってるんでしょう? 飛躍しすぎです。私生児も何も、まだ娘に恋人がいるかどうかすらわからないっていうのに…。
そんなとき、ユーゼフが意図せず発したひと言が、この場のバカバカしさを際立たせることとなり、途端に皆、自らの現代性を自然に誇示することができなくなってしまいます。そのひと言はここには書きません。書きませんが、くだらないよ。「たかがそれだけの言葉で?」ってなセリフです。
ユーゼフは、自らの言葉が彼らにそれほどの影響を与えたことに驚きます。これまで妙な圧力の前になすすべもなく受け身で流されてきた彼が、この一家に圧力を押しつける側になってしまったのです。受動から能動へ、ユーゼフは自分に行動する力が戻ってきたことを実感します。

もしもたとえ一瞬のあいだにせよ、このおれがいまのこの悲嘆、哀愁、欠乏、貧困をかなぐり捨てて、勝利のかちどきにとってかえたりしたならば、戻ってきたおれの能力もたちまちにして消えてしまうにちがいない。なぜならば、まことにふしぎきわまるこの力は、あけっぴろげのあきらめきった無力無能に根をおいていたからなのだ。そこで、おれは、この貧しさに身をかため、しかも、この身はゼロ、もうなんだっていいんだということをこのうえもなくはっきりとしめすために、デザートのフルーツ・ポンチのなかへパンくずやら、ごみやら、指でこねて丸めで作ったパンの玉やら、なにやかや、みそもくそも一緒に投げこむと、匙でグジャグジャかきまぜ始めた。

素晴らしいっ! 無力無能な人間だからこそ効果的なこの反撃。今まで圧迫に苦しんできたからこその、この判断の的確さ。ユーゼフの意味不明の行動に、ムウォージャック家の人々は恐慌をきたします。徹底的に無関心だったあのズートゥカですら、そそくさと立ち去るしかありません。やったね、ユーゼフ!


このあと、9章・10章とユーゼフの反撃は続きます。もはや、ムウォージャック家の現代性は恐れるべきものでも、憧れるものでもありません。このあたりは、これまでの停滞が嘘のようにぐいぐい読めちゃいます。面白い、面白い。
「9 覗き見 そして ひきつづく現代への探索」。

どうして彼女を傷つけたらいいか? どうして距離をおいたまま感覚的に、というのは、つまり、おれが彼女のそばにいず、しかも、彼女一人だけのときに、その純粋さを濁すことがてきるか? 『おそらく』とおれは貧しげに考えた。『覗き見と立ち聞きしか手はあるまい。』

「あるまい」って、妙な確信が可笑しいんですが、ここには、エロティックな意味はこめられていないようです。ただ、現代的な女学生であるズートゥカに、「つら」を押しつけてやろうっていうことなんですよ。見られてる、聞かれてると思うと、人は自然に振る舞えなくなります。意識してないっていう振りをする時点で、意識してることになるわけで、どんどん不自然な「つら」になっていく。ユーゼフは、さんざんこうした目にあってきました。そして、ここへ来て、それがそっくりそのままムウォージャック家へと反転させられるわけです。
さらに、ユーゼフは、ズートゥカの留守に彼女の部屋へ忍び込み、ストーキングまがいのことをします。ここで見つけた諸々に対する反応も、それぞれ可笑しいんですが、その中からひとつ紹介。テニス靴にカーネーションの花が一本投げ込まれているのを見つけて…。

なんという手腕! 靴の中に切り花を一本投げ込みながら、一石でもって二鳥をしとめた――スポーツでもって愛に鋭さをそえ、愛をもってスポーツに興趣をそえたのだ! (中略)スポーツの汗と花を結び付けることによって、自分の汗というもの全体に好ましさを与えたのだ。香りたかくスポーティな印象を。オオ、なんという名人芸! 古風で単純な人間どもがつつじの鉢植えなどをかざっているとき、靴に――スポーツのにおいのしみた靴に花を一本投げ入れるとは! このろくでもないあまっちょめ! それも、おそらくなにかの拍子に、無意識にやってのけたことなのだろう!

いちいち大げさです。ピンコによれば、現代性とは「足」のことでした。ふくらはぎ、ふくらはぎ! ユーゼフは、テニス靴の現代性を称賛しつつ、こいつは手ごわいぞって思っている。それにしても、興奮すると、同語反復になるクセがありますね、この小説の人たちは。
そして、10章の章題は、「勇み足 そして 新しい罠」です。足、ですよ、足。
ここでユーゼフは、ズートゥカの部屋で見つけたあるものを利用して罠を仕掛けます。どんな罠かは、ないしょ。書かないほうがいいでしょう。
この罠のせいで、ムウォージャック家は大騒ぎになります。そして、ようやくユーゼフはこの家を、自らの意志で立ち去ることにする。家を出るユーゼフを見つけたミェントゥスが一緒についてくるところで、この章は終ります。

「逃げるんだな? そんなら、おれも逃げる。一緒に行こうぜ。女中をな、手ごめにしてやったがよ、けど、ちがう、これとあれとは同じじゃねえ……作男だ、作男! おめえがよけりゃ――いなかに逃げよう。行こう、いなかに。作男がよ、むこうにはいる! いなかさ! 一緒に行こう、いいな? 作男んとこ、ユージョ、作男んとこ、作男んとこへよ!」

「作男」ってのは、耕作人のこと。何故か、ミェントゥスは作男に憧れてるんですよ。うーん、まだひと波瀾ありそうですね。


ということで、今日はここ(P328)まで。急にテンポがよくなってきました。前半の読みづらさを我慢してきた甲斐があるってものです。それにしても、この転調はかなり興奮しました。フルーツ・ポンチ! お見事です。