『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ【13】


2カ月か…。ずいぶん時間がかかりましたね。中盤くらいまでは展開も少なく、ストーリーは遅々として進みません。ひねった比喩やつながりのわからない文章、哲学的会話、科学用語、文学作品の引用などが頻出し、かと思うと突如生々しい感情表現に出くわしたりして、文章をきちんと追おうとするとなかなか難解でした。
でも、それほどややこしく感じなかったのは、語られているお話がシンプルだからでしょう。人工知能の成長、恋愛の始まりから終わりまで、物語の作られ方などなど。骨格は別に難しくはありません。何より、ラブストーリーですからね。特に後半は、こうした物語が動き出し、ゆるやかに結びついてゆきます。この小説に何度も出てきた言葉ですが、与えられた信号を脳の中で結びつけ意味を見出す働きを、「連合」と言うそうです。それにならって言えば、この小説自体が、まさに「連合」を起こすようにつながっていくのです。
パワーズの文体にも触れておきましょう。何気なく出てきたあるフレーズや単語が、まったく別の文脈でふいに登場し、物語が立体的に立ち上がってくる瞬間がいくつもあります。例えば、Cが子供の頃口にした「いい子お外」というフレーズが、この小説では何度も変奏されます。そうすることによって、個人的な思い出が、まるで人間の本質的に持っている希求のように思えてくる。これも、ひとつの「連合」ですね。パワーズは、立体写真の「視差」のメカニズムについて語っていますが、これはまさに言葉における「視差」みたいなものでしょう。
こうした小説の構造や文体から立ち上がってくるのは、主に「記憶」や「物語」といったテーマです。といっても、はっきりとした答えが書いてあるわけじゃありません。それについて思考すること自体が、小説として描かれている。わかったような気になるためのお話じゃないんですね。「わからない」ということに、何度も立ち戻るような小説。
結論が書かれていないから、僕らも考える。思いを馳せる。つまり、小説内部だけで完結するのではなく、読者に働きかけてくるような作品なんですよ。

南に向かう列車を思い描いて欲しい。

思い描いて欲しい。思い出してごらん。さあ、どう思う? 君ならどうする? そう語りかけられている気がしてくる。だから、読んでいる僕の脳内でもいくつもの「連合」が起き、いろんな想いが浮かんでは消えてゆきます。ささやかな思い出、愛したり別れたりすること、会話のもどかしさ、家族の近さと遠さ、読書の快楽、36歳になるということ、さびしいのは何故か、などなど。わからないことに立ち戻りながら、何度も浮かんでは消えていくあれやこれや。


最後に、南に向かう列車の行き先について。
負傷兵たちを乗せたこの列車が向かうのは、病気を癒してしまう架空の国「イタリア」でした。そこでは、穏やかな陽射しの降り注ぐ野外カフェで、気がすむまで読書をすることができるとか。
どうもパワーズは、読むこと、書くこと、愛することに、癒しのイメージを重ねているように思えます。「癒し」って言っちゃうと、ちょっと安っぽいかな。この小説の中にいいフレーズがありました。「最も苦痛に満ちた痛み止め」。
訳者の若島正氏も解説で書いていますが、ひりひりする切なさに満ちたこの『ガラテイア2.2』自体が「最も苦痛に満ちた痛み止め」になっています。主人公の「僕=パワーズ」にとって、この小説を物語ることが、痛みをひととき和らげることになるでしょう。そして読者である僕にとってもまた、これは一種の痛み止めだったのかもしれません。読後感が意外にもさわやかだったのは、そこいらへんに理由があるんじゃないかな。


ということで、『ガラテイア2.2』については、これでおしまいです。