『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン【3】

間が空いちゃったけど、読んでますよ。
この作品集、最初の2編はわりと普通の青春小説みたいな感じだったんですが、今回の2編はさりげない仕掛けが凝らされていて、一筋縄ではいかない作品でした。
では、いきましょう。


「シムーラの部屋」
まずは冒頭から。ちょっとした違和感がある始まりになっています。

彼はシムーラの住居の前に立ち、左手は空中に静止して、ノックをためらう。両側に二個のスーツケースがあり、片方はほつれたロープでくくられている。心臓が高鳴り、体調はすぐれず、栄養も悪い。着ている黒いコートの襟には糸くずとふけの筋があり、悲喜劇的に短い袖からは、縁の汚れたシャツの袖口が突き出ている。マイク・シムーラがドアを開けると――パジャマのズボンだけをはいていて、上半身は怖ろしい胸毛に覆われている――ボグダンはつかえながら英語のせりふを言う。「着いたばかりだな」とシムーラは意地悪な鼻声で言う。シムーラは脇によけてわれらが青年をなかに通し、ロープでくくったスーツケースは青年のくるぶしに当たり、もう一つはシムーラのひざにぶつかる。

あれっ、と思うのは現在形で書かれていること。そして、三人称で書かれていること。これは、この作品集にこれまででてきたどの話とも違う。実はこの部分は、シムーラが語り手である「わたし」に語ったエピソードなんですよ。なので、このあとすぐに一人称の語りに戻ります。それでもなお引っかかるのは、シムーラが見ていないはずの「ノックをためらう」ボグダンの様子まで描写されているからです。ボグダンにしかわからないことが書かれているという、揺らぎを含んだ一人称の語りになっているわけ。ついでに言うと、これまでの作品では「僕」だった語り手が、「わたし」になっているのも気になります。これ、原文ではどうなってるんだろう?
ボグダンはボスニアからやってきたばかりの移民で、伝手を頼ってシムーラの家に居候させてもらうことになります。このシムーラという人物は、外面はいいけど実は弱い立ち場の相手には威張り散らすようなタイプ。「あいつはおまえと同じつまらん国から来たんだ。バスニアとかいう」と語るあたりも感じ悪いし、FBI捜査官になるという夢を持っているというのも幼稚な権威主義みたいなものを感じさせます。ということで、右も左もわからないボグダンと、家主ヅラして彼にあれこれ指示しながら「住まわせてやる」シムーラの関係が描かれていきます。
シムーラはボグダンに、「この国にはだれでもチャンスがある」と語ります。ポイントは、このシムーラも、そもそもは祖父母の代にウクライナからアメリカに移り住んだ移民の末裔だということ。彼の一族はそれなりに成功してるようで、つまりチャンスをものにしたわけです。しかし移民と言っても一様ではないわけで、大家であるウクライナ出身の老婦人や、かつてシムーラの部屋に住んだこともある「わたし」など、様々な移民の姿が描かれ、次第にそれぞれのズレが浮かび上がってくる。
「わたし」が駐車場で待ち伏せしてボグダンと初めて出会うシーンにも、そのズレはくっきりと描かれています。シムーラのろくでなしっぷりを知ってる「わたし」は、話でしか聞いたことのないボグダンに実際会って伝えたいことがあるんですよ。

わたしは言うべきせりふを練習していた。彼の両親のことをたずね、寛大な援助を申し出るつもりだった。とにかくできるだけ早くシムーラの部屋を出ろと言いたかった。けれどもそのかわりに、わたしはどうしようもなく困惑したアメリカ人のように無意味にうなずき、彼の話はよくわからないが、支援と理解は示していることを伝えた。「なにを経験せずにすんだのか、あなたにはけっしてわからない」と彼は言った。「どれほど運がよかったか。あなたにはけっしてわからない」ボグダンは両親を裏庭に埋葬したときのことを語った。セルビア軍に徴兵され、デルヴェンタで戦った。とても言葉にできないものを見た。地雷原に強制的に入らされる人々。腹を切り裂かれた妊婦。錆びたスプーンでえぐられた眼球。集団墓地に小便をする同じ隊の兵士。逃げることしか考えられず、その思いがあまりに強かったので、両親が亡くなったときはほっとした――だが、彼が実際にそう口にしたのか、わたしの推測かはわからない。(中略)わたしはいかにも緊急そうな用事を口実に、近いうちにまた会いたいと熱意を示し、具体的ではない援助を申し出て、駐車場を横切って歩き出した。それから何年も、わたしは彼を避けつづけた。

同じボスニア出身者として、手を差し伸べようとする「わたし」。しかし、ここでも例の「決定的な瞬間に居合わせなかった」という問題が浮上します。ボグダンに言われるまでもなく、「わたし」はそのことを後ろめたく思っている。だから、ボグダンを前にすると「どうしようもなく困惑したアメリカ人のように無意味にうなず」くしかできない。「わたし」が悪いわけではありません。でも、同じ「バスニアという」国から来たのに、紛争を経験しなかったという一点で他のアメリカ人と同じように振る舞ってしまう。「具体的ではない援助」という言葉に込められた苦い皮肉。これ、何かしているような気持ちになりたいだけで、結局は何もしないってことでしょ。
ボグダンが語る紛争時の出来事は、耐え難いほど残酷です。しかし、「彼が実際にそう口にしたのか、わたしの推測かはわからない」という揺らぎを含んでいる。冒頭の描写からもわかるように、この作品は実際にあったかのように描きながらところどころに綻びがあるんですよ。これもまた、「その場に居合わせなかった」ことと関係があるのかもしれません。「わたし」は、見ていないものを語るということに囚われているんです。
一方シムーラがやっていることは、どこまでも具体的です。「あいつをこの社会に融和させなきゃいかん」と語る。この「融和」という考え方は一見いいことのように思えるんですが、いろいろ問題を孕んでいます。最近言われる「多様性を認める」ってのとは違うわけですよ。実際、シムーラを見ているとやけに押し付けがましい。それがどこまでボグダンのためになるのかが、ちょっと疑問です。

こうしてシムーラはボグダンを猛禽類の羽で守った。即興でアメリカ史を講義して、建国の父たちの股を飾る大きなタマをありがたく鑑賞させた。自由を憎むやっかい者から世界を救った偉大な叙事詩をいくつかに分けて語った(ベトナムグレナダ、湾岸)。アメリカ文化の豊かさを理解するためにテレビを見ろと勧めた。シムーラは、資本主義の広大なカンバスを、刷毛を二、三度さっと動かして塗りつぶした――自由市場、自由企業、そして銀行の金だ。

猛禽類の羽」ってのは上手いですね。シムーラは、弱肉強食の世界で成功を手にするなら強者にならなきゃダメだということを体現している人物なんですよ。彼の言う「融和」とは、要するにアメリカ人のようになれということです。戦争とテレビと市場によって作られた、自由の国アメリカ。それをお前も学べと。この作品の中で、シムーラはアメリカ人以上にアメリカ人らしく描かれています。結局、移民が生き残る道は、彼のようにアメリカ的な価値観を内面化するしかないのでしょうか。
このあと、シムーラがボグダンを用心棒に見せかける場面があります。ここでは、ボグダンに向かって「過去に生きるな」なんてことを言っていたシムーラが、彼をどう利用するかが描かれます。

「このボグダンは」とシムーラは言った。「バスニアから来た。あっちは戦争で怖ろしい状況だ。おまえや俺が想像もできないようなものを、こいつは見てきている。あっちでは人がソーセージみたいに切られる。だからこいつは少々不安定なんだよ。わかるか。もう心理療法ではどうにもならないんだ。だが、こうしておまえに会った今は、こいつも自分を抑えられると思うがね」
ここでボグダンは自分の役割をしっかり果たした。首の筋肉をほぐし、マイケルに向かってにやりと笑い、左の犬歯が戦争犯罪者の残忍さを示すようにきらりと光った。そして彼は「ああ」と低いスラヴ人の声で答え、トマトを二、三個つかんだ。シムーラはプエルトリカンにもたれ、勝ち誇ったように股を広げた。まるでテストステロンに満ちあふれる睾丸の大きさを見せびらかしているようだった。

「なにを経験せずにすんだのか、あなたにはけっしてわからない」と言っていたボグダンと、「おまえや俺が想像もできないようなものを、こいつは見てきている」と語るシムーラ。似たようなことを言っているのに、この隔たりはどうでしょうか。シムーラはボグダンの経験をそれっぽいイメージに落とし込み、その役を演じさせるんです。これは、「経験の搾取」とでも言うべきものじゃないか。ボグダンの意志とは関わりなく、アメリカ人にさせられたり、ボスニア戦争犯罪者にさせられたり。そしてこれは、形は違えど、移民たちが様々な場面で体験していることなんじゃないかと。
「テストステロンに満ちあふれる睾丸の大きさ」という表現は、その前に出てきた「建国の父たちの股を飾る大きなタマ」に対応していますが、明らかにアメリカ的なマチズモを揶揄した表現でしょう。おそらく語り手の「わたし」は、それになじめないでいる。そして、ボグダンも。移民たちが抱える、このどうしようもない寄る辺なさ。
それに比べて、シムーラのクソ野郎はなんてことを思ったりもするわけですが、最後の最後に出てくるほんの数行の描写で、それもまた一面的な見方かもしれないと思わせられるところが、この作品の巧みなところです。実はシムーラも同様の寄る辺なさを抱えていたのではないかという気持ちになるんですよ。もちろん、それが事実なのか「わたし」が推測してあたかも見てきたように描いているのかわからないわけですが。


「蜂 第一部」
「第一部」とありますがそこまで含めてこの作品の題名で、このあと「第二部」があるわけじゃありません。ちょっとトリッキーなタイトルですね。
この作品は、語り手の「僕」が子供の頃、家族で映画を観にいったときの思い出から始まります。映画の上映中に父親がいきなり怒り出して、観客たちに「みんな、これを信じてはいかん! 同志よ! これは真実ではない」ってわめくんですよ。うわー、気まずい。僕の父親も不器用なタイプの人なので、公共の場で場違いな振る舞いをすることがありますが、子供としてはいたたまれないわけで。
「僕」の父親は、「真実でないもの」を憎んでいるんですよ。その理由も一応は語られているんですが、それにしたって極端です。それなら映画なんか観にいかなきゃいいのに。それどころか、カメラを借りてきて、自ら「真実について」の映画を撮ろうとする。さらに可笑しいのは、その映画は台本に沿って演出されるんですよ。お父さんにとっての「真実」って何なんでしょうね。
「わが人生」と題されたその台本には、こんなことが書かれていました。

1 わたしは生まれる。
2 わたしは歩く。
3 わたしは牛の世話をする。
4 わたしは家を離れて学校に通う。
5 わたしは家に戻る。みんなしあわせ。
(以下略)

思わずズッコケてしまいます。台本ってこれ? 「わたしは生まれる」って、そりゃあ真実かもしれないけどさあ。この調子で25のシーンが台本に記されている。「わが人生」がたったの25シーン? とかなんとか、苦笑まじりに言いたくなります。でも、ちょっと待った。実は、人生なんてそんなものかもしれない。「僕」の父親にとって、人生で大切なことはこの25シーンで十分なのかもしれません。
人生の25の場面の中に選ばれた「牛の世話」が、父親にとってどれだけの意味を持っていたのか。家族ができてからの場面の台本には、「家族で海に出かける。家族で山に出かける」というシーンも出てきますが、この思い出が父親にとってどれほど大切なものなのか。さらに、台本のあちこちに「みんなしあわせ」「わたしはしあわせ」という言葉も繰り返し登場します。家庭を持って日々を営んでいることが、父親にとっては「しあわせ」であり、それこそが「真実」なのです。そしてもう一つ、この25シーンの中には、こんな一文もあります。「わたしは蜂を飼う」。

父は、自分が真実ではないとみなすものに、深く個人的に腹を立てていたのだと僕は思う。そして、父にとって、文学ほど腹立たしいものはなかった。そもそも概念からしていかがわしかった。文学はすべて言葉から――その真実の度合いは、あやふやもいいところだった――できているだけでなく、その言葉を用いて、実際にはけっして起きていないことを表現する。文学とそのまやかしの性質を嫌う気持ちは、僕が本に非常に強い興味を持ち(父は母のせいだと責めた)、その後、僕が父に関心を持たせようとしてますますひどくなった可能性がある。父の四十五歳の誕生日に、僕は愚かにも『嘘つき』という本をプレゼントした――父は題名しか読まなかった。あるとき僕は、父にガルシア=マルケスの短編小説の一節を読んで聞かせた。天使が空から落ちて、鶏小屋に入ってしまう話だ。その後、父は僕の頭の中身を真剣に心配するようになった。同じようなできごとはほかにもあり、父はそのすべてにぞっとして、自分が「真実」の本を書くという計画を気軽に口にするようになった。

「実際にはけっして起きていないことを表現する」文学。腹立たしい嘘であり、いかがわしいまやかしである文学。語り手である「僕」の父親は、そうしたものに拒絶反応を示す。そんな父親に、よりにもよって『嘘つき』という本とかマジックリアリズムマルケスとか、ほとんど挑発行為でしょ。いや、語り手の「僕」は父親を困らせようとしてるわけじゃないんですよ。彼は本気で、それらが素晴らしい文学だと思っている。そしてそのことをお父さんにもわかって欲しい。でも、父親にとってそれは「真実ではない」という一点で、ぞっとするようなものなんですよ。
文学の虚構性を嫌悪するあまり「真実」の本を書こうとするというのは、映画のときと同じパターンですね。1994年、ボスニアの難民としてカナダに移住してから、ようやく父親はその「真実」の本の執筆に取りかかります。「僕」の元に封書で送られてきたその原稿のタイトルが、これです。『蜂 第一部』。原稿は、「わが家族と蜂のあいだには忠実な絆がある」と始まりまり、父親の父親、つまり「僕」から見れば祖父が養蜂家だったという話を中心に、父の少年時代のエピソードが綴られていきます。

今、僕は父の原稿を手にしている。見ていると、父の集中力の満ち引きがわかる。腰痛の強弱も読みとれる。たとえば、十ページの最後に見られる滑らかで安定した文字は、十一ページでは曲がりくねり、余白には脈絡のない単語が(こびと……馬の調教師……スイカ……虐殺)書かれている。完結している文は書き手の不満の槍でまっすぐに貫かれ(養蜂は魅力的な夏の活動だ)、形容詞は孤独な乾いた名詞に寄り添う(「臭い」という語が「足」につきまとい、「古典的な」という語が「窃盗」につきそい、「金色」という語が「蜂蜜」に溶ける)。十三ページに向かうと、文と文のあいだの休止が長くなるのが感じられ、鉛筆で太く書かれた文字が、鉛筆を削る作業をはさんで細くなる。文の途中で休憩した形跡もあり、独立節と従属節のあいだに統語上の不一致が見られ、父の思考が分裂し、かけらが別々の方向へ飛んでいったことを示している。ときには、文はただ途絶えている。われわれは知っている、と書かれたあとにはなにもなく、述べておかなければならない、と言われても、なにを述べなければならなかったのか知ることはできない。

いいですねえ。作品としては不完全というか不恰好な原稿ですが、息子である「僕」はそこから父親の思考の流れをたどるんですよ。文体や鉛筆の文字の太さ、語の不統一などから、父親に思いを馳せる。いろいろと面倒臭い親だけど、「僕」はその面倒臭さも含めて受け入れているんだなあと思います。それは、親への愛情といってもいい。この作品集の語り手が一貫した同一人物かどうかは保留しなければなりませんが、仮に同じ人物だとして、「天国への階段」や「すべて」では父親を軽蔑していたかに見えていた語り手が、ここでは、父親の「腰痛の強弱」まで気にしている。
父親にとっての「真実」は、何よりも自分が体験した記憶に根差している。でも、「僕」にとってはそれが真実かどうかというのは、さほど問題ではないのでしょう。それよりも、文体や文字から読み取れる思考こそが父親の「真実」です。いや、勝手に読み取ってるわけだからわかりませんよ。わからないけれど、それでも書かれている内容以前に、この原稿が父親そのもののように思えてきます。

死の直前、わたしの父は、わが家の養蜂の伝統について話し合うため、私と弟たちを呼んだ。父のメッセージは
ここで『蜂 第一部』はメッセージが伝えられないまま終わる。だが、その内容を想像するのは難しくない。祖父は亡くなり、祖母も亡くなり、父は弟たちと蜂を飼った。

「死の直前〜メッセージは」までが、父親の原稿の引用。ここでも、文が途絶えている。第二部はないんですよ。でも、書かれていないことから読み取るのは、虚構と真実のあわいに文学を見出す「僕」の得意技ですからね。「父は弟たちと蜂を飼った」という簡潔な文章から、祖父のメッセージが継承されたことがわかる。
自分の父のことを書いた『蜂 第一部』という父親の原稿と、語り手の「僕」が父親のことを書いたこの「蜂 第一部」という入れ子構造が、じわじわと効いてきます。祖父は父に「蜂」を渡し、父は「僕」に『蜂 第一部』を渡す。蜂が蜜を運ぶように、家族に受け継がれていくもの。それは記憶に基づく真実であり、推測や捏造による物語でもある。父親の意図した形ではないかもしれない。でも、「僕」は父親が言うところの「真実」を、彼なりの形で受け取ったのだと思います。


ということで、今日はここ(P158)まで。次回で全部読み終わるかな。それにしても、真実と虚構がきっぱり分けられないということは、なんて豊かなんでしょうか。