『空気の名前』アルベルト・ルイ=サンチェス【3】


うわー、すごいすごい。これは読ませるなあという章に突入しました。これまでで一番長い章ですが、僕の好みドンピシャリです。もう、舌なめずりしながらたっぷり引用したい。なので、今回はこの章だけでいきます。


「VII 水の中の月」。
まず、この章の冒頭。

モガドールの島を囲む白い城壁は、夜になると明るく輝く。船乗りたちは、月のようだ、水の上で俺たちを呼んでいる、と陽気になって島に近づいていく。長いあいだ白い町を離れ、海を漂っていると、不安が募り、やがてすっかり打ちのめされてしまう。だから、彼らは星よりも郷愁に導かれて戻ってくると、懐かしい城壁のアーチや門の下に、マストを垂直に立てた船を収め入れるのだ。帰路が長いときは、裸体の町という奇妙なイメージが、港で待っている恋人のように、夜、彼らの夢を襲う。月の色をした、熱い欲望で濡れた肌。
町が見える前から、船乗りたちは町の存在をはっきりと予感する。しかしそうして町を感じることは、彼らの気持ちを落ち着かせるどころか、まっしぐらに飛ぶ盲目の鳥のように彼らを追い立てる。そしていきなり町が聞こえてくるのだ。モガドールは、いくつもの声が響きあう町、城壁はその歌を増幅し調整する唇だ。城壁の六百六十六の塔のひとつひとつに、風見鶏のように風で回る、なかが空洞のドラゴンの石像が置かれている。石像は後ろ足のあいだの漏斗で町の音を集め、アラベスク様式の複雑な歌に変えて口からはき出している。その歌を初めて聞く者は、感極まって涙を流すという。

モガドールが「水の中の月」に例えられています。章タイトルはここから取られてるんでしょうね。さらに、モガドールの白さは女性の裸体と重ねられています。船乗りたちには、町が欲望に濡れちゃってるように見えるんですよ。「城壁のアーチや門の下に、マストを垂直に立てた船を収め入れる」って、まあ、やらしい。
さらにそのあとの、ドラゴンの風見鶏、というのも面白いですね。そうそう、町の特徴を示すこういう描写を読みたいんですよ、僕は。風はこの作品に何度も出てきますね。塩の薄板を舞い上がらせたり、ファトマの体を撫で回したり。そして、ここでは風が町のざわめきを集め、ドラゴンの咆哮へと変えるんです。いや、咆哮というより歓喜の喘ぎ声かもしれません。風はいつも欲望を喚起します。そして、そんな風の中にファトマはひとつの声を聞き取る。

それは女の声だった。カディヤの声。町のあらゆる音のなかに紛れこんでいた。今やファトマに、あらゆるものの嘆きに注意深く耳を傾けるよう促していた。彼女の耳のカタツムリの空っぽの殻が、空気の表皮の震えと不安げなざわめきを受け止めるために、まるで性器のように花開いた。

ああ、ついにその名が口にされました。カディヤ。恐らく彼女こそがファトマにとっての「空気の名前」、欲望の対象なんでしょう。耳が「性器のように花開いた」というのもまたエロティックなイメージですが、僕は「耳のカタツムリの空っぽの殻」というところに注目したい。またしても螺旋です。この作品では、螺旋や渦巻きは欲望の道筋となっています。
ファトマは町の中心にある公衆浴場(ハンマーム)を訪れます。かなりたっぷりと描かれるこのハンマームの場面が、素晴らしくいいんですよ。僕はもうメロメロになってしまいました。では、まずは「ハンマームってどんなところなの?」という話から。

モガドールのすべての女たちと同様、ファトマはよくハンマームに通った。ハンマームは、午前中は女の身体のためだけにその湿った空間を開放し、午後の湯を、男たちの策略のざらつきをなめらかにするために残していた。
朝のハンマームはどんなところかって? 秘密の喧噪だ。叫び声、湯に溶けた石鹸、絡まる長い髪、燻蒸に使われた薬草、ザクロの粒が盛られた大皿に載った一房のオレンジ、厚ぼったい唇からのぞくハッカとハシッシュ、慌ただしく行われる脱毛、湿気で膨張した木のサンダル、髪を染めるための赤土、かじりかけのモモ、ふっくらした花々、鮮やかな色の化粧タイル、水面に映る月のように動く、湯に浸った裸体。

午前は女湯、午後は男湯。温泉宿でも、時間によって男湯女湯が入れ替わるってのはよくありますね。この作品で描かれるのは、朝のハンマーム。女たちの世界です。ずらずらとイメージが列挙されていきますが、挙げられるもの一つひとつが詩情たっぷりで、うっとりしてしまいます。匂いと音と色がたちこめる湯気の中にひしめいている。「湿気で膨張した木のサンダル」とかいいなあ。「かじりかけのモモ、ふっくらした花々」というあたりは、裸体の比喩のようにも思えます。そして、またまた出ました、「水面に映る月」。この作品では、町と女が重ねられているということを、再確認しておきましょう。

ハンマームの外では違法なことも、内側では、果皮が空気中で溶けだし、どこから実が始まるのかわからなくなった果物のようにどろどろに崩れていく。徐々に高まる室温、湯気のなかから、まるでその湯気でできているかのように姿を現わす身体、人々の声とその反響、ツボを心得たマッサージ、大いなる倦怠感とまどろむ興奮、これらは、ハンマームの常連客があてもない旅の途中で通過する千の幸福な前段階のいくつかにすぎない。休息と清潔さは、ハンマームから得られる多くのもの一部であるかもしれないが、最初に求められることではないのだ。

もうちょっとハンマームの実態に踏み込んでみると、なかなか怪しげな場所だということがわかってきます。お風呂につきものの「休息と清潔さ」は「最初に求められることではない」とのこと。じゃあ、何を求めて人々はここにやってくるのでしょうか? 「外では違法なこと」を求めてるんですよ。それ以上は詳述されませんが、これだけ好色な空気が立ちこめていればだいたいわかるでしょ。あれですよ、あれ。
このあと、ハンマームをさまようファトマの後を追うようにして、ハンマームの内部が次々と描写されていきます。脱衣所に並ぶ衣類、窓ガラスからの光、壁の模様、そうしたものに目をやりながら、僕らも彼女と一緒にこの浴場の奥へと進んでいく。これは読みどころですよ。

その部屋の湯はそれほど熱くなかった。続く三つの部屋で温度は徐々に上がり、最後の中央浴場では、真ん中に置かれた大きな噴水盤が煮えたぎる湯を溢れさせていた。ファトマは異なる温度をひとつひとつ滑るように通過していった。それが夢うつつの場所に向かって開かれる最後の扉に続く階段だと知っていた。毎日長い時間、窓から眺めていたものによく似たあの夢うつつに。
中央浴場に入ると、巨大な噴水盤は強烈な印象を与えた。天井から湯が煮えたぎる滝となって落ちてきているかのようで、空間いっぱいに湯気の波を送りだしていた。噴水盤を囲んで石造りの獅子像が置かれ、桶に湯を汲むためにはその上に乗らなければならない。獅子の口からは水銀のような液体が吐きだされ、曲がりくねった水路を通って浴場全体を巡っていた。ゆっくりと流れる液体には入浴客の裸体が映っていた。獅子の尻からは、よい香りのする色のついた濃密な湯気が流れでていた。

徐々に体を熱に慣らしていく。これまたじらしのテクニックでしょうか。一気にいかないんですよ、この作品は。スローモーションのように時間がひたすら引き延ばされる。もう少しあと少しという時間がどこまでも続いていく。中央浴場の巨大な噴水盤もいいですね。石像に乗らなきゃ届かないってことは、人の背丈より高いんだろうな。浴場全体を巡る液体、香りと色のついた湯気…。もうたまりません。読んでいるこっちが「夢うつつ」ですよ。

ハンマームの入り口から大噴水盤のある浴場までの通路はひとつしかなく、少しずつ変わる温度に身体を慣らしながら進む。湯が大量にあふれでる浴場から先は、並んでいる扉の数が増え、日の当たる庭園や泉に出入りすることができた。そのハンマームには部屋が全部で二十五あるといわれていた。一部は有力者専用で、一部は隔離用の部屋だ。皮膚病患者、まだ出血が止まらない宦官、肥満を恥じる者、暴力を抑えられない者、外国人、愛撫を売ることを拒否する者、水が大嫌いで、ただ大勢の人と出会う目的でハンマームに来る者のための特別な空間だった。

列挙パターンが好きなのでついつい引用したくなっちゃうんですが、隔離用の部屋というのも面白いですね。さりげなく出てくる「愛撫を売ることを拒否する者」というフレーズから、この場所では普通は愛撫を売っているということが窺えます。「水が大嫌い」なのに浴場は訪れたいというのは一見おかしな話に思えますが、お客は必ずしも「休息と清潔さ」を求めてるわけじゃないと考えれば腑に落ちます。
それにしても、この公衆浴場はどれだけ広いんでしょう。二十五の部屋を抱え、庭園や泉まである。ああ、もっとこの中を巡りたい。そんな僕の欲求に応えるように、このあとファトマはこうした部屋のいくつかを通り過ぎます。そのどれもが魅力的なんですが、キリがないのでこの辺にしておきましょう。そして、この章の最後にこんなことがほのめかされます。

もし城壁のドラゴンの合唱隊が、音を、その歌う身体で受け取るより前に感じることができたならば、今このときいっせいに咆えだし――月に向かって咆える狼の群れのように――ファトマに警告しただろう。カディヤがすぐそばにいると。

カディヤとの邂逅が近づいている。もうすぐファトマに忘れられない快楽が刻まれることになる。あまりになめらかに場面が変わっていたのでなかなか気づかなかったんですが、このハンマームの一連のシーンは回想シーンのようです。にもかかわらず、過去と現在と未来が不思議に溶け合ったような書き方になっている。湯気の中で混ざり合っている。すべての輪郭が溶けて揺らいでいるような、このもやーっと感。別の言葉でいうならば「夢うつつ」ですね。


ということで、今日はここ(P67)まで。今まで意識したことなかったんですが、「公衆浴場もの」って僕のツボかもしれません。以前読んだ金井美恵子の『噂の娘』の銭湯のシーンにもうっとりさせられたものです。ああ、世界が浴場だったらいいのに!