『ノーホエア・マン』アレクサンダル・ヘモン【6】

読み終えました。うーん、不思議な読後感。何故かというと…、ということで最終章。


「7 ノーホエア・マン/キエフ、1900年9月―上海、2000年8月」。
いきなり時代は1900年に遡ります。そして、エヴゲーニイ・ピック、通称キャプテン・ピックという謎めいたスパイの生涯が語られます。これには戸惑いました。てっきりヨーゼフ・プローネクが登場するもんだと思ってたんですが、直接的な関係のない話が続く。どういうこと?
厳密に言うと、「ヨーゼフ・プローネク」という名前が一カ所出てきます。でも、それは僕らがこれまで読んできたプローネクとは別人のようです。もう一つ、この「エヴゲーニイ」という名前は、列車で耳に挟んだ会話で話題にされていた人物として第三章にチラっとだけ出てきてました。その他にも、見覚えのある名前がチラチラ出てくるし、見覚えのあるセリフやエピソードが変奏されてたりもします。
そして、最後の最後に、夫婦で上海を旅行中の「私」が登場する。ああ、またしても一人称です。この語り手は誰なんでしょうか? 第一章の「私」のようにも思えますが…。もう謎ばかりです。
結局、僕の知りたかったプローネクのその後はわからずじまいです。宙に浮いたまま消えてしまう。描かれるのは、名前を変え世界中を渡り歩いたうさん臭いスパイの話と、それを語る正体不明の「私」についてのみ。ぽかんとしてしまいます。
この章タイトルは、「ノーホエア・マン」、どこにもいない男です。どこにもいない誰かさん。それは、スパイであるキャプテン・ピックのことであり、国を離れてしまったヨーゼフ・プローネクのことでもあります。様々な人々が彼について語りながら、ついに自らの言葉で語ることのなかったプローネク。チラチラと姿を見せながら、ついに物語のどこかに消えてしまったプローネク。
この作品の副題は「プローネクの夢想」でした。キャプテン・ピックの物語は、プローネク自身が自らを重ねて夢見たものかもしれません。いや、夢見られていたのはプローネクのほうでしょうか。何人もの「私」が見た夢、夢の中の何人もの「私」。どこにもいないはずなのに、妙に胸をかきむしるものがある。

いまそれは、私のなかにある。胸郭に爪をたて、外に出ようともがいており、私には止めることができない。

そして夢想がほとばしる。


ということで、『ノーホエア・マン』読了です。素晴らしかった。