『ノーホエア・マン』アレクサンダル・ヘモン【4】

アレクサンダル・ヘモンは、サラエボ出身で、20代のときにジャーナリストとしてアメリカに滞在中、ボスニア戦争が勃発。帰れなくなっちゃって、それ以降、英語を習得しアメリカで作家になったという経歴の持ち主だそうです。なるほど、と思いながらも、ひとまず自伝だとかなんとかいう言葉は慎んで先を読みましょう。
折り返し地点となる第四章は、わずか4ページ。でも、ギュギュっと思いの込められた4ページです。これはキました。胸に迫るものがあるというか…。


「4 ヨーゼフ・プローネクによる翻訳/サラエヴォ、1995年12月」。
1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結した年の年末です。この章は、ヨーゼフ・プローネクの元に届いた手紙を彼自身が英語に翻訳したもので、ここだけ違うフォントが使われています。手紙の主は、サラエヴォ時代の友人ミルザ。一緒にバンドを組んでいた親友ですね。
ミルザは、戦争時代の話をあれこれ綴ります。そのエピソードも生々しいんですが、僕がグッときちゃったのは、例えばこういうところ。

しゃべりすぎですか。でも、ほかになにを話せばいいかわからないです。いまの僕には戦争しかないです。違う話をしたいけれども、映画は見ないし、音楽は聞かないし、本も読まない。違う、本は一冊読んだ。『パブロ通りのヒーローたち』という、子どものころ読んだ本だ。君も知っていますか、要塞を作ってよその子と戦う少年たちの話です。トレスカヴィツァにその本を持っていった。君はトレスカヴィツァを知らないです。僕らはサラエヴォで育ったアスファルトの子どもだ。きっと、トレスカヴィツァは想像もできないです。荒れていて、本当になにもない。岩と崖と谷と穴だけの三百年前にできた山です。

バンド仲間だった友人が、「音楽は聞かない」と言ってるんですよ。ツラいなあ。戦争が彼の生活を変えてしまった。荒れ地のように、戦争以外は何もないものに変えてしまった。「僕らはサラエヴォで育ったアスファルトの子どもだ」というところに、第二章で語られた彼らの青春時代がよぎり、何とも言えない切ない気持ちになる。ああ、ミルザのそばにヨーゼフがいたならどんなに救いになっただろう、と思わずにはいられません。「しゃべりすぎですか」? ミルザには、ヨーゼフに聞いて欲しいことがいっぱいあるんでしょう。
章題にあるように「翻訳」というのがミソです。プローネクは、アメリカで英語を使って暮らしている。そんな彼の翻訳のつたなさが、よけいに二人の間の距離を感じさせるんですよ。「君はトレスカヴィツァを知らないです」というフレーズの、たどたどしさ。戦場に放り込まれたミルザも痛ましいけど、そんな友人からの手紙を読んでいるヨーゼフも痛ましい。辞書を引きながら、一語一語を英語に置き換えていくとき、プローネクはどんなことを思っていたんでしょうか。それを想像すると、またしても胸が詰まります。
手紙の最後に、ミルザはこうつけ加えます。

追伸 ハッピー・ニュー・イヤー!

幸せな年になりますように。英語を母語とする人にとっては何でもない言葉かもしれませんが、おそらくプローネクにとっては、多くの意味が込められた言葉として響いたに違いありません。新しい年はきっといい年になるよ、君にとっても、僕にとっても。


というところで、今日はここ(P140)まで。まあ、4ページ進んだだけですが。言語の問題は、この作品全体を貫くテーマでしょうね。主人公の手で翻訳された手紙、という凝った仕掛けからもそれが窺えます。ちなみに、この作品を訳している岩本正恵さんも素晴らしい。微妙なたどたどしさを丁寧に日本語にしています。このあとの章では、また文体が変わるんでしょうね。ちょっと楽しみです。