『メイスン&ディクスン』トマス・ピンチョン【6】


離れ離れになってしまった、メイスンとディクスン。さて、どうなることやら、ということで、続きです。


「14」の章。
ディクスンはケープ・タウンへ戻って、かつてのホスト・ファミリーだったフローム家へ。その主である、フロームコルネリウスに誘われて、ディクスンは娼館へと連れていかれます。もちろん娼館ですから、あんなことやこんなことなどいやらしいメニューが勢揃いしているわけですが、中にはかなり特殊なコースもあります。その一つが、カルカッタ(甲谷陀)で土牢に閉じ込められた捕虜が窒息死したという「ブラック・ホール(黒穴)」事件を再現したもの。

館での官能筋書(エロチック・シナリオ)の一覧(メニュー)に「黒穴」が入っていることに、この世界の果てに在っては誰も驚きはしない。住人も、訪問者も、更には感受性高尚な一握りの水夫達も、暇を見つけて又やって来ては、華奢な偃月刀を光らせた、藍色の腰布(ドーティ)と頭布(ターバン)に身を包んだ優雅な乙女(ニンフ)達によって「捕虜」扱いされ、裸にされ、嬉々として縮尺模型の監房へと、可能な限り大人数の、欧州人捕虜仲間を演じる奴隷と共に詰込まれるのである、――甲谷陀の黒穴体験の真の実感を得るには三十六人が最適人数だとされる。

不謹慎極まりない話ですが、狭い部屋にぎゅうぎゅうに押し込められ、捕虜扱いされることでエクスタシーを感じるわけです。そういう性的趣味が存在することは理解できなくもないですが、この娼館ではそれなりに繁盛しているらしい。つまり、この地ではそれが特殊な趣味ではないということなんでしょう。やっぱり、奴隷制のせいかな。普段主人として振る舞っている人々が、ここでは捕虜になるんですよ。
ところで、ちょい前に時計が会話するシーンがありましたが、この章でも時計について言及されている箇所がありました。当時のオランダ(和蘭陀)時計は、針が短針のみだったとか。ですから、フローム家の娘たちは、ディクスンが持っていた長針と短針のある王立協会の時計が珍しくってしょうがない。

目下和蘭陀人の間では、当地でも本国和蘭陀でも、針が二本ある時計への熱狂が俄に高まっているのである。この調子ではやがて、尋問の最中でも、質問が発せられる度、行為が為される度に、誰かが必ず二本針の時計によって正確な時間を記録するようになるであろう、――と云っても誰かがそれを後で検査するからでなく、恐らくは最先端の計測機械によって被尋問者を怯えさせる為に、又、何はともあれ一分単位の正確さが事実可能になったのだし、記録簿にも分を書込むだけの余白はあるのだからという理由で。従って、近隣にある時計は全て、尋問用時計の有力候補である。

ディクスンたちの二本針時計は、天体観測の正確な記述に必要なんですよ。でも、オランダで流行しているのは、そうした必要に迫られてのことじゃないんですね。むしろ、正確な時計があるから、時間を記録するという発想が生まれる。
しかもそれは、支配の道具として使用される。たかが時計の話ですが、これを現代に置き換えてみれば、パソコンがそうですよね。「最先端の計測機械によって被尋問者を怯えさせる」にはもってこいじゃないですか。時計はすべて「尋問用時計の有力候補」という皮肉。


「15」の章。
またしても、聖ヘレナ島のメイスンです。マクスラインの提案で、彼とメイスンは風がびゅうびゅう吹きつける島の反対側へ、観測所を移すことになります。しかし、この地は、人が住むにはふさわしくない場所のようです。常に止むことのない風にさらされて、人々は精神に変調をきたしてしまいます。メイスンはこんな風に語っています。

「ふぅむ、そうそう、昨日わんわん吠えながら駆回って、大家のお上さんを噛んだとかいうあの農夫、――実に愉快でしたが、――商いを司る上で正気なる謹直さが重んじられるジェームズ町では、ちょっとした狂気でも疎まれるということはありましょうが、逆にここ風上側では謹直なる人びとが疎まれる訳で、寧ろ、これ程まで風に曝され己の無力さを思い知らされる場にあっては、四六時中愚行に走ることこそ唯一の防御策、――かくして互いに十哩(マイル)と離れておらぬにも拘らず、双方不信を抱きあう別個の国家が出来ておる様子。(後略)」

要するに、この地では狂わずにいるほうが難しいと。やがてこの聖ヘレナの風上の地で、メイスンは2年前に亡くなった妻、レベッカの亡霊と会うようになります。最初のほうの章でほのめかされていましたが、メイスンの心には常にレベッカの死が重くのしかかっていたようです。それが、この風にやられて顕在化したのかもしれません。
まあ、わかりませんが。メイスンがおかしくなっちゃったのかもしれないし、本当に亡霊が現われたのかもしれません。時計がお喋りするような小説ですから、亡霊くらい出てきてもおかしくはない。


「16」の章。
時間は前後しますが、この章では、メイスンがディクスンへ、レベッカとのなれ初めを語るシーンから始まります。このエピソードが面白い。
二人が出会ったのは、五月祭の「チーズ(乾酪)転がし」でのこと。チーズ転がしって、たまにテレビで紹介されたりするイングランドのお祭ですよね。丸いチーズを丘の上から転がしてそのスピードを競うっていうもの。チーズは、通常の2倍の大きさのダブルグロスターっていうチーズを使うそうです。ところがこの年は、なんと「オクトゥプル(八倍)グロスター」が作られたとか。

これぞ狂気の沙汰と見做す者もある。分別のない、信仰も怪しい教区牧師が、地元の乾酪職人達を嗾け、力を合わせてこの偉業を為遂げるよう仕向けたという話。昔ながらの一倍(シングル)グロスターを、厚さのみならず縦横高さ全てに於て八倍に膨らませ、二倍(ダブル)、三倍(トリプル)どころかクィンセンテナリデュオデシマル、即ち五一二倍グロスターが出来上った訳で、――出来立ては重さほぼ四屯(トン)、その後少し縮んでも、この前代未聞の乾酪製造のため町外れに特別に造られた大きな納屋から出て来た姿は、高さ優に三米(メートル)に達していた、――ゆっくりと熟してゆく中、何か月にも亘って、驚異の乾酪は噂の種を提供し続けた。近頃はもう、逸る気持ちを抑えられぬ群衆が納屋の入口に群がり、さながら王室の跡取り誕生が間近に迫ったような有様。英国(イングランド)のこの地方にあっては、民衆の集まりはしばしば、地元の仕立屋達に胃腸上の、かつ精神上の苦悩をもたらすため、軽騎兵の小隊も控えている。乾酪が遂に、そろそろと公衆の面前に運び出された現場に居合せた者達が記憶するところでは、誰もが一斉に息を呑み、一拍の沈黙が生じた後「いや、――大きいとは聞いてたけど、まさかここまで――」……「一体どうやって教会まで持ってくんだ?」……「どんな味なのかな?」等々口々に声を上げたという話。
従来、教会で浄められ、教会の敷地内を三周儀礼的に転がされたのち丘を転がされてゆく乾酪は、ごく普通の大きさの二倍のグロスターであって、それが年代物の車輪付き輿に載せられて運ばれるのであるが、この怪物にはそれでは到底間に合わない。やっとのことで、誰かが巨大なコッツウォルド荷車を持出してきた。煉瓦の赤、空の青、この二色に塗り分けられ、車輪の輻(スポーク)と●(リム)も同様に塗り分けられた代物だが、乾酪も負けずに鮮やかな橙(だいだい)、これを一種の積降し台で慎重に転がして荷車に載せ、何か危険で大きな動物を縛り付けるみたいに、頑丈な太索(ふとづな)を使って直立状態に固定したのだった。荷車の側面は板ではなく細い棒が並んでいる為、野次馬達からも乾酪の全貌が見えた。
ランドウィック教会までの行進は、永らく記憶に残る見世物であった。富めるも貧しきも、近隣の民が総出で沿道を埋め、大いなる乾酪がゆらゆら揺れながらその姿を現すと、みな畏敬の念に包まれて無言で迎え、――やがて、道の凹みに行逢う度に益々輝きを増してゆくその偉観に、不思議と静謐な気持に導かれたかのように、民等は乾酪とその運搬人に声を掛け始め、声は程なく万歳に、更には頌讃(ホナサ)に変っていった。呑助達が酒場から転がり出て来て、通りすがる壮大な食品に乾杯する――「サァみんな、偉大なる〈八倍〉を祝って万歳三唱!」娘達は投げ接吻(キッス)を送る。地元の若者達は時おり荷車に飛乗り、道の凸凹が取分け甚しくなった際に荷がぐらつかぬよう手を貸す、――これでいつの日か、彼(か)の名高き五月祭の日に俺は大いなる乾酪の道行きに付添ったんだぜと吹聴出来るというもの。

面白いんで、長々と引用してしまいました。ちなみに、「●」となってるのはPCで出なかった漢字。車偏に「網」の右側を合わせた漢字で、ルビは「リム」と表記されてます。
それはともかく、縦横高さすべて通常の8倍、ということは、質量で言うと8×8×8=512倍! かけ算でふくらむ、ホラ話的なバカでかさが可笑しい。ピンチョンの根っこには、きっとこの手のトールテイル的なるものがあるんでしょうね。メガロマニア。しかも、ちっちゃなくすぐりをちょこちょこと入れてくるところがおかしいです。地元の人々が、口々に大きさに驚いているところで、「どんな味なのかな?」とトボケたことを言って落とす。味は一緒でしょ、たぶん。
人々は、チーズのできあがりを「王室の跡取り誕生」のように待ちわび、できあがったチーズを「何か危険で大きな動物を縛り付ける」かのように荷車に乗せ、道行くチーズを見ては「万歳三唱!」。長くなるので引用しませんでしたが、このあと、人々は八倍チーズを讚える歌まで歌い出します。もう、これはチーズであってチーズじゃないですね。偉大な神のようでもあり、恐ろしい怪物のようでもあり。
この巨大チーズの日に、メイスンとレベッカがどのように出会ったかは書きませんが、いかにも「お話」といったご都合主義的な出会い方です。思わず「嘘だあ」と言いたくなる。
というのも、実はこのエピソードの冒頭から、メイスンが事実を歪めて話しているということがほのめかされているんです。つまり、このなれ初め、どこまで本当なのか怪しい。どうもメイスンは、レベッカに対して何か負い目があるようなんですよ。何かを隠すための作り話のように思えてくる。嘘をつくならもっともらしくやればいいものを、ピンチョンは巨大なチーズで背後の真実を覆い隠す。そこが、面白いんですが。
このあとも、メイスンが彼女の亡霊に対し、「僕は君を裏切った、」なんてことを言うシーンも出てきたりします。レベッカが亡くなった原因も、何かいわくがありそうだなあ。まあ、まだ今のところはわかりませんが。
そんなこんなで、この章は、メイスンがマクスラインから逃げ出すシーンで終わります。彼はマクスラインに対し、こうまくしたてる。

「正直申上げて、私、あんた程〈風〉に対する抗力を持ち合せておりません。この〈風〉には頭がおかしくなってきそうだ。」更に一言付加えるなと胃が警告している、「あんたには頭がおかしくなってきそうだ。」
メイスンは躊躇わず砂利浜に駆下りてゆき、狼煙を熾しに掛る。上着で扇いで、通り掛る沿岸船に向けて、風下まで乗せて行ってくれぬかと要請する。値段が殆ど犯罪的なのは覚悟の上。

ああ、言っちゃった…。となってからの展開の早さ! のろしを上げて船を呼び、船に乗ってさっさと島の風上側から立ち去ります。さらば、風。そして、さらば、マクスライン。


「17」の章。
やっと、風上側を離れた場所に来て、船を降ろされたメイスンは、「ジェンキン耳博物館」なる場所にたどり着きます。訳者の柴田元幸さんによる註では、「史実ではロバート・ジェンキンズ。この小型商船船長がスペイン船の侵入を受け拷問されて耳をちぎられ、一七三八年、英国下院においてその耳を提示したことが、英国とスペインの戦争が起きる一因となった」とのこと。つまり、その耳が展示されている博物館というわけです。
博物館とは言うものの、どうひいき目に見てもこれはただの見世物です。エレファントマンの頭蓋骨とか、そういう類いのもの。しかも、この博物館の経営者であり案内人でもあるニック・モーニヴァルという人物がまた、うさん臭いんですよ。芝居がかった調子で耳の由来を滔々と語り、ことあるごとに金を要求し、それがひと通り終わるまで解放してくれない。
哀れなメイスンは、そんなペテンじみた耳博物館に足を踏み入れてしまいます。せっかくマクスラインから逃げてきたのに、また変なヤツにつかまっちゃったというところでしょうか。しかも、このジェンキンズの耳、まるで生きているみたいなんですよ。

「お気付きになりましたな。」モーニヴァル氏は語りを中断する。「結構。一向に感付いて下さらない方もいらっしゃいましてね。そうです勿論聞いておりますとも耳ちゃんは、――そもそも耳とは何の為に?――それに正直な話、此処ではやることといっても碌にありませんしねえ……一寸見(ちょっとみ)には小っぽけな、塩漬の代物かも知れません、が、耳ちゃん実は、貪欲にして飽くことを知らぬ器でしてね、――人の言葉を幾ら聞いても聞足りないときてまして、何だって聞きます、何語(なにご)でもいいのです――私も折に触れて朗読してやらねばならんのですよ、聖書、月距表、『蒼ざめた伊達男』、手当たり次第何でも……尽きることのない、耳ちゃんの大いなる飢えなのです。」
「『耳ちゃん』?」
「何て呼べばいいんです? 『鼻ちゃん』?」
「いや……只その、失礼を申上げてはと思いまして、――」メイスンの視線は一層狂おしく辺りを飛回るものの、出口は未だ見付からない。

「耳ちゃん」って…。オカルトチックな雰囲気や、厳めしい歴史物語にふさわしくない呼び方です。ピンチョンはすぐこういうふざけたことを言うんですよ。しかも、この耳ちゃんに朗読してやるものが、「聖書、月距表、『蒼ざめた伊達男』」と、なんだかメイスンに関係ありそうなチョイスです。考え過ぎかなあ。
このあと、またしても時間は飛んで、メイスンがディクソンに耳博物館での出来事を語ってるシーンになります。ここで、王立協会がアメリカの領主から受けた依頼のことが話題になります。その依頼はと、「最新の手段を用いて境界線を定めて戴きたい、等緯度線を五度、即ち百里(リーグ)、荒野を東から西に掛けて引いて戴きたい」というもの。おおっ、やっと、やっとのことで例の「メイソン・ディクソン線」が出てきました。ディクスンは、言います。

「じゃあわし等、また二人とも行かされるかも知れんですね……? そうでしょ。うぅ、何てこったい――亜米利加道中膝栗毛。」

柴田訳、面白いなあ。「亜米利加道中膝栗毛」、弥次喜多ですか。


ということで、今日はここ(P264)まで。2月中にアメリカ上陸まで行けるかなあ。