『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク【2】


前回読んだ、「ザ・ホルトラク」でゾンビがわけのわからないセリフを喋るシーンがあるんですが、その後の短編「大砲」の冒頭でそのゾンビが言っていたセリフと同じフレーズが出てきます。「あれ?」って思ってたんですが、この短編集を読み進めていくと、同じモチーフがちょこちょことくり返されていることに気づきます。
今回読んだ「石の動物」ではノックノック・ジョークが、「猫の皮」では動物の皮を剥ぐという行為が出てきますが、いずれも「妖精のハンドバッグ」に同様のモチーフが出てきました。それぞれの短編に直接的なつながりはないものの、ケリー・リンク・ワールドみたいなものがあるのかもしれません。あとは、ゾンビか。ゾンビもまた、リンク好みのモチーフです。
では、いきましょう。


「石の動物」
新居を手に入れた一家の話。しかし、この家で奇妙なことが起こり始める…。そもそも、家の下見のときからおかしかったんですよ。玄関にある動物の石像を見て、息子が「あの外の犬たち、嫌い」と怯えます。

「犬たちってなんのことだい、カールトン?」ヘンリーが訊いた。
「あれってライオンだと思うわ、カールトン」キャサリンが言った。「玄関脇の石のやつでしょ? 図書館のライオンなんかとおんなじよね。図書館のライオンならあんたも好きでしょ。忍耐(ペイシャス)と剛毅(フォーティテュード)だっけ?」
「あれずっと、兎(うさぎ)だと思ってましたわ」と不動産業者の女性が言った。「ほら、耳が。大きいでしょう、耳」。

犬とライオンと兎じゃ、形もサイズもまったく違います。普通、それは間違えないでしょ。まるでこの家族は、ひとつ屋根の下にいながらまったく別のものを見ているかのようです。
夫ヘンリーは、イカレた上司にこき使われ仕事に追われています。妻キャサリンは、妊娠中。4年生の娘ティリーは夢遊病で、6歳の息子カールトンは怯えてばかり。せっかくの新居なのに、どうにも噛みあわない。

最終の列車で帰った。駅に着くと、車両に残っているのは彼一人だった。自転車の鍵を外して、闇のなかを走って帰った。兎たちが目の前の道をささっと横切っていった。家の芝生で、兎たちが食べ物を漁っていた。彼が自転車を降りて芝の上を押していくと彼らはピタッと凍りついた。芝生はくしゃくしゃに乱れていた。自転車は見えない凹みの上を何度も通って上下に揺れた。たぶん兎の穴だ。玄関の両側、闇のなかに太った小男が二人立って彼を待っていたが、近寄ってみるとそれが石の兎であることを彼は思い出した。「ノック、ノック」と彼は言った。

今度は、太った小男ですか。何だか薄気味悪いなあ。だったら、まだライオンと間違えるほうがいい。しかも、兎は石像だけじゃなくなってます。いつの間にか、芝生に巣穴を掘って、すさまじい勢いで増えている。まるで、この家の主人は自分たちだと言わんばかりです。
さらには、家にあるものが次々と「憑かれて」いきます。どこがどうおかしいのかよくわからないんですが、歯ブラシが、テレビが、目覚まし時計が、いつもと違う妙な感じになっている。それにしても、憑かれた歯ブラシ、ってイヤですね。口に入れたくない。
幸せなはずのマイホーム。その歯車が少しずつ狂っていく。かくして一家は、徐々に壊れていきます。家も不可解なんですが、この一家もかなり不可解な行動を取り始めるんですよ。ヘンリーが新居のためにフル稼働で働いている間、キャサリンは、何かに取り憑かれたかのように、部屋の壁をペンキで塗り替えていきます。何度も何度も違う色を塗り重ねていく。こういうの、いやだなあ。

ペンキが食べられればいいのに、とキャサリンは思った。ペンキの缶を開けるたび、口から涎(よだれ)が出てきた。カールトンがお腹にいたときは、オリーブとヤシの新芽と何も塗ってないトーストしか食べられなかった。ティリーがお腹にいたときは、一度セントラルパークで土を食べたことがある。赤ちゃんにはペンキの名前をつけるべきよ、とティリーは言った。チョーク、ディリーディリー、キールホールド(船底くぐりの刑)。ラピスラズリリー。ノック、ノック。

何言っちゃってるんでしょう? ペンキなんて食べちゃダメです。ここで「ペンキの名前」と言ってるのは、ペンキの色名のことのようですが、こんなヘンテコな色が本当にあるんでしょうか? いや、仮にあったとしても赤ちゃんに「船底くぐりの刑」って名前をつけるなんて、どうかしてます。
建物に何かが憑いているっていうのは、ホラーではよくあるパターンです。スティーヴン・キングの『シャイニング』とか。そんな家からは逃げ出せばいいんですよ、本当は。でも、この作品の一家は、この兎だらけの庭の憑かれた新居にしがみつきます。むしろ僕には、彼らのほうがこの家に憑いているように思えてなりません。
結局、家族みんなでこの奇妙な出来事に立ち向かうでもなく、彼らはどこかそれを受け入れてしまっている。バラバラなまま、機械仕掛けの人形のように家族の役割を果そうとする。この期に及んでキャサリンは、ご近所さんも招いたディナーパーティーを計画します。憑かれた家より、そっちのほうが僕は恐ろしい。


「猫の皮」
魔女の三男と魔女の飼い猫が、彼女を殺した魔法使いに復讐するという、民話というか童話タッチのお話。
もちろんケリー・リンクの童話なので、僕らが思ってるようなルールは通用しません。ファンタジーなんだから当然でしょ、と言われるかもしれませんが、そんなレベルじゃないんですよ。ぶっ飛んでます。

「あたしが死んだら」と魔女は言った。「この家は誰の役にも立たない。この家はあたしが産んだんだ――もうずっと昔のことだよ――ドールハウスの大きさからこつこつ育てたんだよ。ああ、ほんとうにこの上なく愛(いと)しい、可愛らしいドールハウスだったよ。部屋が八つあって、ブリキの屋根があって、どこにも通じていない階段があって、あたしはそれを可愛がって、優しくあやして揺りかごで眠らせて、本物の家になるまで育てたんだ。(後略)」

ええーっ、びっくり。どうやら、この世界では魔女は子宮で家を育てるようです。しかも、この奇想がメインのモチーフとしてじゃなくて、さらっと会話の中で語られるだけというところがニクイ。ちなみに後半には、魔法使いの家が出てきます。魔法使いは男なので、別の方法で家を手に入れます。これまたびっくりなんですが、それは読んでのお楽しみ。
ところでこの作品は、童話のフォーマットに乗っ取って、「語り聞かせ」のスタイルで書かれています。語り手が「まだ読んでますか?」と訊いてきたりして。そして、最後はこんな風に終わります。

これで物語は終わりである。(中略)魔女などというものは存在しないし、猫などというものも存在しない。猫皮の服に身を包んだ人間がいるだけだ。

「猫は存在するでしょ」と言いたくなりますが、そういうルールの世界なんですよ、ここは。


「いくつかのゾンビ不測事態対応策」
主人公の青年ソープは、見ず知らずの若者たちのホームパーティに紛れ込みます。彼は過去に刑務所に入っていたことがあり、小さな絵を常に持ち歩いているという、いろいろと謎の多い人物です。名前もコロコロ変わるし。
ソープが普段考えているのは、芸術のこととゾンビのこと。あとときどき氷山、刑務所、そして石鹸。わけがわかりませんが、ソープは何でもこれらに結びつけて考えます。そのゾンビに関する考察が、どれも面白い。ソープがゾンビについて気に入っているのは例えば、こんな点。

ゾンビは差別ということをしない。ゾンビにとっては誰でも等しく美味である。そして誰でもゾンビになれる。特別である必要はない。スポーツが得意でなくてもいいし美男美女でなくてもいい。いい匂いがするとか、いい服を着てるとか、いい音楽を聴いているとかいうことも関係ない。のろければいいのだ。

ゾンビが平等だというのは面白いですね。言われてみれば確かに、選り好みするゾンビはいない。そして最後の、「のろければいいのだ」にシビれます。そうそう、走るゾンビなんて邪道ですよ。のろいから、余裕でかわせそうな気がしちゃうんです。でも、そうやって油断してるところに、物陰からうわーって来られたり、大勢にわらわらと取り囲まれたりしたらアウト。
さらに、こんな特徴も挙げられていました。

ゾンビは絶対に一人だけではない。

ケリー・リンクサブカルチャーを巧みに作品に取り入れる作家ですが、このように批評性があるところがいいですね。単に雰囲気で、借り物のパーツを持ってきてるわけじゃないんですよ。深い理解と愛がある。
ソープは、パーティで高校生の女の子カーリーと知り合います。ソープは自らをウィルと名乗り、刑務所に入ったいきさつを彼女に語ります。詳しくは書きませんが、このいきさつはなかなか可笑しいです。
このあと、ラストはちょっと予想外の展開。「え、そんな話だったの?」みたいな。まあそれは本編を読んでもらうとして、そこに至る前のこんなシーンに僕は魅かれます。

カウチの男たちはいまは誰かの結婚式ビデオを観ている。カーリーが二階でベッドに入っていて俺を待ってると知ったら、こいつらどう思うだろうな。踊る女の子はキッチンにいて、椅子の下の若い奴と一緒にいる。ドレスの女の子は芝生の庭に出ている。なんとなく星を見ているみたい以外、べつに何もしていない。ウィルが車に行って、トランクを開け、小さな絵を取り出すのを女の子は見守る。家の裏手から、プールにいる連中の立てる音が聞こえる。こんなに安らかな気持ちになったのは久しぶりだ。ホラー映画の出だしの、ゆっくりした、まだ悪いことが起きる前みたいだ。いつも悪いことばかり待ち構えちゃいけないことは、ウィルもわかっている。時には安らかな時間を味わって、夜と月とドレスの女の子と水の音を楽しむべきなのだ。ウィルは絵を持ったまま少しのあいだ芝の上に立ち、ベッカがここにいてくれたらと思う。じゃなきゃマイクが。

パーティがばらける遅い時間。いいですねえ。まるで青春映画のワンシーンといった情景です。でも、ウィル(ソープ)は、それが「ホラー映画の出だし」のように感じられてしまう。その手の映画では必ず、そのあとに訪れる恐怖を盛り上げるために、平穏なシーンが「ゆっくり」と描かれるんですよね。これですよ、こういう批評性。上手いなあ。
どうやらソープは何らかの欠如を抱えているようです。それが何なのかはわかりませんが、青春映画の中に入っていけない気分を持っている。「ゾンビは絶対に一人だけではない」。ゾンビを恐れ、その対処法を常に考えている彼は、実はゾンビになりたいのかもしれません。


ということで、今日はここ(P230)まで。短編集と言いながら、「ザ・ホルトラク」や「石の動物」と、わりと長めの作品が多いです。でも、このくらい濃いと読みごたえがありますね。