『いちばんここに似合う人』ミランダ・ジュライ【3】


ミランダ・ジュライは、面白いところと苦手なところがあるタイプの作家でした。僕は「女ごころ」がピンとこないところがあるんですが、ミランダ・ジュライの作品は、ぎゅーっと絞るとその手の「女ごころ」がぽたぽた垂れてくるようで、ちょっと負けそうになるんですよ。うわ、そうこられると引くなあ、みたいな。その意味でやはり、前に読んだエイミー・ベンダーと近いものを感じます。
ほとんどの作品が女性の一人称で書かれていますが、彼女たちはまるで同一人物であるかのようによく似ています。彼女たちは他人を切ないくらいに求め、そのあまり「引くなあ」って言いたくなるような行動に出る。もちろん、そんな行動はそうそう理解されることもなく、たいていの場合、つながるかに見えていた関係はもろく壊れてしまいます。結局は、彼女の「一人相撲」。つまりは、「イタイ人」ということです。
人はいつも腑に落ちる行動を取るわけではありません。奇妙でどう捉えていいかわからないような行動に出てしまうことがある。そのわけのわからなさに、僕は彼女たちの希求の強さを感じます。普通のやり方じゃダメなくらいに誰かを求めて、やみくもに暗がりに手を伸ばしてるような感じ。僕が負けそうになるのは、その想いの強さです。
でも一方で、どう捉えていいかわからないような感情がビビッドに描かれていることにグッとくるんですよ。可笑しいような哀しいような、腹立たしいような浮き立つような、微妙で複雑な感覚は、ミランダ・ジュライの大きな魅力でしょう。
簡単に色分けできないのは、ストーリーもそうですね。彼女の作品は、物語の芯がはっきりしない。いくつかのトピックが、無造作に放り込まれているように見えるんですよ。だから、要約してもあまり意味がない。こんなことがあった、あとこんなこともあった、そういえば前にこんな話を聞いた。そんな、女の子のひとり語りを聞いているような感じ。この語りもまた、やみくもに手探りしている感があります。
彼女たちは、僕にこう言うでしょう。「ねえ、聞いてるの?」。でも、何て答えたらいいんでしょうか。ぞんざいに扱って「わけわかんないイタイ人」として終わりにできないのは、彼女たちの根底に孤独があるからです。孤独はやっかいです。じゃあお前は孤独じゃないのかよ、と言われると、口ごもってしまう。
わかるとまでは言いません。言いませんが、へんてこな行動を取る彼女たちに対し、共感できないなりに理解の回路が開きかける。「そういうこともあるかもね」という気分になる。

誰だってそうのはずだ。みんなこの世界で自分は一人ぼっちで、自分以外は全員がすごく愛し合っているような気がしているけど、でもそうじゃない。本当はみんな、お互いのことなんか大して好きじゃないのだ。

誰もが中途半端な欠如を抱えて生きているわけで、「いちばんここに似合う人」にぴたりと当てはまる相手なんかいやしません。でも、絶望したり諦めているにもかかわらず、彼女たちは暗がりへ伸ばす手を引っ込めようとはしません。「イタイ人」特有の見当違いなやり方で、何度もジャンプをくり返す。そのジャンプは、孤独と向きあうレッスンのようです。ひょっとしたら彼女たちは、いつか僕の手の届かない場所まで飛び上るかもしれない。そんな気すらしてきます。


この作品集の中では、ユーモラスな作品のほうが僕好みでした。ということで、ベスト5を。
1「水泳チーム」
2「ロマンスだった」
3「妹」
4「2003年のメイク・ラブ」
5「共同パティオ」
「水泳チーム」はずば抜けていいです。


ということで、『いちばんここに似合う人』はおしまい。
ミランダ・ジュライを読んでたら、ケリー・リンクも読みたくなってしまいました。なので、次回は、リンクの『マジック・フォー・ビギナーズ』にしましょう。