『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』室生犀星【3】


今回読んだのは、2パート目の6編、「蛾」「天狗」「ゆめの話」「不思議な国の話」「不思議な魚」「あじゃり」。編者解説によれば、いずれも故郷金沢の民話や伝説をベースにしたもののようです。


「蛾」「天狗」「ゆめの話」は、江戸時代を舞台にした話らしく、いかにも「怪談」という感じです。
中でも薄気味悪いのは、「蛾」。怪異が起こる因果関係がよくわからないんですよ。ただただ、何かよからぬものに魅入られてしまったような不条理さばかりが残る。タイトルの「蛾」が意味ありげに登場したりもするんですが、それが何なのかさっぱりわからない。

おあいは、落し物なら夜中に起こさなくともいいのにと、ふいに、内儀のうつむいている腰のあたりを見ると、金繍のある立派な夏帯の上に、どこからきて止ったものであるか、一疋(ぴき)の仄白(ほのじろ)い毒々しい夜の蛾が、ぼんやり手燭にぼやけて烟(けむ)ってみえた。

何かイヤ。嫌だけど、どこがどう嫌なのかよくわからないという…。
「ゆめの話」の最後は、こう締めくくられています。

分かない話は分らないままにしておくのが本当だと思いますからそのままにして置こうと思います。

「天狗」も「ゆめの話」も、一応謎解きめいたことは書かれているんですが、最後に語り手がスッと引いちゃう。そう、わからないから気持ち悪いんですよ。これ、怪談の基本ですね。


「不思議な国の話」「不思議な魚」は、童話調のお話。こういうの、犀星は得意ですね。独特の柔らかな淡いタッチに引き込まれる。挿絵をつけるなら、初山滋あたりがぴったりきそうです。

山というものは、じっとしているようで、そのじつ、眼を凝らしてながめていると、なんだか少しずつ動いているような気がしてならないものです。わけても大きければ大きいだけ、なお、むずむずと目にわかるかわからないかの程度で、まるで息をしているような気がするものです。

「不思議な国の話」から、引用しました。ひらがなでしか捉えられないような、この微妙な感覚。いいですねえ。
「不思議な魚」は、今回の6編の中では一番好き。秋の日暮れどき、少年は街角で奇妙な男が不思議な魚を売っているところに出くわします。

男は箱の中へ手を入れて、水を掻(か)きまぜると、白い美しい魚らは悲しそうに水の間によろよろとよろけるのです。それがいかにも可哀想に嫋(たお)やかに見えるのです。
見物人のひとりは、
「これが十銭かい――」
というのがいました。
「ええ十銭です。この通り美しいさかなです。これは支那(しな)では人魚ともいうそうです。ごらんなさい、この悧巧(りこう)そうな眼付を見てやって下さい。」
男はそういうと、その一疋(ぴき)をつまんで、手の平の上に乗せて見物人に見せて廻ると、その間じゅう白い魚は悲しそうに男の手の平の上で苦しそうに悶(もだ)えていました。

てのひらに乗る人魚! 人魚って言うと、たいていの場合は人間サイズのものを想像すると思うんですが、ここに出てくるのは魚サイズなんですね。しかも水の外に出して見せて回るという残酷さ。人魚の命なんかには関心はないんですよ、この男は。いや、わざとやってるという可能性もありますね。哀れみを誘って売りつけようという魂胆。
昔は街角でこんな風にしてよくわからないものを売ってる人たちがいたんでしょう。僕が小学生の頃にも、学校から帰る途中の道で、手品グッズみたいなものを実演しながら売ってるおじさんがいました。夕暮れは、そういう得体の知れない物売りがどこからともなく現われる時間なんですよ。
金勘定をしている男を見て、少年は「三十一疋売ったのだな」と思います。日が暮れていく街のあちこちへ、散り散りになって売られていく白い小さな人魚たち。この感覚、キューンときます。これこそ、夕暮れ幻想です。


あじゃり」は、またしても民話風の話。「阿闍利(あじゃり)」とは僧侶のことを指します。冒頭はこんな感じ。

下野(しもつけ)冨田の村の菊世という女は、快庵禅師(かいあんぜんじ)にその時の容子(ようす)を話して聞かした。

ここから菊世の語りが始まります。山に住む阿闍利は、村人に慕われる立派な人物だったんですが、あるときを境に徐々におかしくなっていきます。その顛末が語られる。そして最後は、それを聞いた禅師が謎解きをしてみせ、こんな風に終わります。

『女ごよ、もう阿闍利は亡くなっている。』」
禅師はそういって高々と笑い出した。菊世は始めて仏の間に灯をともした。

語りの枠の外側に出てふと気づけば、もうすっかり日は落ちていた、という感じでしょうか。語りの中の闇が外に滲み出してきたかのようです。犀星の作品のこういう薄暗さ、いいなあ。


というところで、今日はここ(P241)まで。最初のパートの4編が強烈だったので、今回の作品はわりと普通に感じられました。ストーリーもたいしたことはありません。でも、何だかもやーっとした雰囲気があるんですよ。
次回は、最後まで読み終えるつもりです。