『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト【4】


例によって、また少し間が空いてしまいましたが、何事もなかったかのように続けます。


前回、ひたすら自らの生い立ちを語り続けたアウステルリッツですが、まだまだ話は終わらないようです。語り手である「私」は、ロンドンにある彼の自宅を訪ね、またしても彼の話に耳を傾けることになります。
アウステルリッツの家に入ると、テーブルには無数の古い写真が整然と並べられていました。これは、彼が世界を巡りひたすら撮りためたものでしょう。

アウステルリッツは、自分はたびたびここに何時間となく腰を下ろしている、これらの写真やほかの写真を出してきて、神経衰弱のゲームのように裏を見せて並べておき、一枚ずつめくっては、そのたびにそこに写っているものに驚きの念を覚えるのだという話をした。あちこちに動かしたり重ねたりしては、似ているものどうしが纏まるようにしたり、最後にテーブルのグレーの面だけしか見えなくなるまで一枚ずつゲームから捨てていったり、思索と追憶に疲れてやむなく長椅子に横たわるまで、そうしたことをして過ごすという。

これ、ちょっとわかるなあ。例えば、お気に入りの曲を集めてCDに焼くとすると、ざーっとCDを並べて、曲順を考えてつなげたりバラしたりするわけです。いや、CDだけじゃないな。僕はわりとこの手の遊びが好きで、お気に入り映画の2本立て興行や短編マンガのアンソロジーを妄想したり。このブログで読む本だって、我が家の積読本をだだーっと並べて、あれこれ動かしたり重ねたりして選んでたりします。
そして、アウステルリッツの写真の神経衰弱ゲームは、そのまんまこの小説について書かれているようにも読めます。バラバラの写真を集め、「動かしたり重ねたり」しながらスクラップする。すると、一枚の写真が新たな文脈の下に置かれ、違った意味合いを持ち始める。
これは要するに、「編集の楽しみ」だと思います。ただ、アウステルリッツの場合は、楽しみというだけじゃなくて、どこか切実なものがあるというか、何かに憑かれているような気もします。冒頭に出てきた、ひたすら林檎を洗う洗い熊のように。
さて、アウステルリッツの自分語りの続きは、彼が教師の仕事を辞めたところから始まります。彼は、自らの研究テーマだった建築史と文明史について、本にまとめようとする。ところが、徐々に文章が書けなくなっていきます。自分で書いたものを読み返すと、「どれもこれも根底から間違っていると思えてくる」。もはや、彼は「書くこと」が苦痛になってしまう。…って、これはひょっとして、バートルビー症候群?
そして、アウステルリッツは少しずつ心を病んでいきます。憂鬱に取り憑かれて自分の殻に閉じこもってしまう。そして、不眠から逃れるため、深夜徘徊をくり返すようになります。夜更けにひたすらロンドンの街を歩き回る。僕は夜更けの散歩ってわりと好きなんですが、これまたそんな気楽なものじゃないでしょうね。幽霊のようにふらふらさまようだけ。その上、徘徊の最中に幻覚を見るようにまでなってしまいます。
夜歩きするアウステルリッツは、しばしばリヴァプール・ストリート駅を訪れます。この小説には度々駅が登場しますが、リヴァプールの駅の薄暗さはいいですね。

中央ホールが地下十五ないし二十フィートの深さにあるこの駅は、八〇年代末に改築のはじまる以前はロンドン屈指の薄暗い不気味な場所であり、そこかしこにしばし言及されたように、冥界の入口めいた気配を漂わせていました。レールとレールの間の砂利、亀裂の入った枕木、煉瓦塀、石の台座、両脇の高い窓の飾り縁とガラス、木造の乗務員室、椰子の葉のような柱頭を戴く高い鋳鉄の柱、どれもこれもが、百年という歳月のうちにコークスの粉塵や煤や蒸気や硫黄やディーゼル油の入りまじった層に覆われて、ねっとりと黒ずんでいました。ガラス製のホールの屋根からは晴天の日にすらうっすらとしか光が差さず、丸型の電球の明かりではとうていおぼつかない薄暗さで、くぐもった声がざわめき、低い足音が反響するとこしえの薄暗闇の中を、列車から吐き出された、あるいは列車に向かう無数の人々の波が集まり、散らばり、堰にぶつかった水のように障壁や隘路でせきとめられては、動いていくのです。

黒々した駅の隅々、その様々なディテールを映し出していたカメラが、ぐーっと引くとぼんやりした明かりの中に大勢の人たちが行き交っている。それはまるで、ピントのぼけた古い写真のようです。
そしてこの文章に応えるかのように、粒子の粗い何だかよくわからない写真が添えられています。リヴァプールの駅の写真でしょうか? 列車のライトのようにも思える光は取り巻く靄にかすみ、辛うじて細い柱のシルエットがわかる。それは、確かにあの世の光景のようにも思えます。
歩き疲れたアウステルリッツは、駅に佇み場所に染みついた過去の歴史に思いを馳せます。このシーンがまた素晴らしい。ちょっと長いですが、思いきって2ページ分引用しましょう。

駅舎がそびえている界隈は、かつて市の城壁あたりまでひろがる湿地帯であったことがわかっていました。小氷河期と呼ばれた時代の厳寒期には一帯が数ヶ月間も凍てつき、ロンドンっ子たちは靴の裏に骨製の滑り木を縛りつけて、ちょうどアントワープの人々がスヘルデ河でしたようにスケートをして遊んだといいます。ところどころに火鉢を据えて篝火を焚き、その明かりで深夜まで楽しむことも稀ではありませんでした。その湿原も後代にはしだいに排水設備が整い、楡の木が植わり、農園や養殖池ができ、市民が余暇に散策できる白い砂利道が敷かれて、やがてフォレスト・パークやアーデンのほうにまで四阿や別荘が建ち並ぶようになっていきます。げんざい駅舎中央ホールとグレート・イースタン・ホテルがあるところには、とアウステルリッツは話しつづけた。十七世紀までベツレヘム聖マリア修道会修道院が立っていました。(中略)ビショップズゲイとの外郭にあったこの修道院には、ベドラム(気違いざた)の名で歴史に残る精神病や貧困者のための病院が付属していました。駅に来るたびになかば強迫観念のように思い描かないではいられなかったのは、とアウステルリッツは語った。後代にまたべつの壁が廻らされくり返し変化にさらされてきたこの空間の、どこに病院の収容者たちの部屋があったのだろうか、ということでした。数百年のうちにこの地に積もった苦悩や苦痛は、ほんとうに消え失せてしまったのだろうか、私が心なしか額に冷やりとした風を感じるように、もしや、私たちは今なおホールや階段の途上でそこを横切っているのではなかろうか、としきりに思われたのです。ベドラムから西側に延びる漂白場をありありと見たと思ったこともあります。眼に映じるのは、緑野に張り広げられた純白の亜麻の反物、織り屋や洗濯女たちの小さな姿でした。漂白場のその向こうには、ロンドン市内の教会墓地が満杯になって以来、死者が埋葬されるようになった地所が見えてきました。手狭になりすぎれば込みあっていない地域をめざして外へ外へと移っていき、たがいにそれなりの距離を置いて安らごうとするのは、生者のみならず、死者もまたしかりだったのです。けれども死者はつぎつぎと無限に出てきますから、とうとう地所が一杯になってしまうと墓と墓のあいだに墓が掘られ、ついには敷地のいたるところ、累々と遺骨が連なるまでになったのでした。かつての漂白場と墓場の上に一八六五年に建てられたブロードストリート駅が一九八四年に取り壊されたさい、タクシー乗り場の下を掘削したところ、四百体を超える遺骨が出土したといいます。私はたびたびあのあたりに足を向けては、死者の残骸の写真を撮影したものでした。(中略)塵と骨と化した肉体の埋まるこのような地層の上に、十七世紀から十八世紀にかけて市街が延びていきますが、そこはロンドンの最下層住民のための、梁と粘土とありあわせの材料で造った、悪臭芬々たる家々と路地とがごみごみと込みあう地区なのでした。一八六〇年と七〇年ごろ、北東の二つの駅の建設がはじまる前にこのスラム街はすっかり取り払われ、埋葬されていた遺骨もろともに、莫大な量の土が掘り取られ移されます。技術者たちの設計に基づいて、シティの周縁まで、人体解剖図の筋肉束や神経束のごとき観を呈する鉄道線路を引いてくるためでした。

おお、素晴らしい。凍った湿地帯で篝火をたいてスケートをする人々、四阿まで続く白い砂利道、精神病患者や洗濯女、無数の遺骨が埋まる墓地やボロ家がひしめき合うスラム、複雑に入り組みつつ延びていく線路などが、まるでパノラマのように次々と目の前に浮かんでは消えていく。そのめくるめく時の流れに、くらくらさせられます。この語り口はまさに、何枚もの写真を重ねて次々とめくっていく、神経衰弱ゲームのようです。年表のような事実の羅列でも滔々たる大河ドラマでもない、風景としての歴史。
さらに、ページをめくると見開きで、出土した幾つかの骸骨の写真と、駅周辺のものと思しき地図が並んで掲載されています。この地図を眺めると、確かに鉄道は筋肉や神経のように見えます。骨と筋肉。面白いなあ。この二つの図版に、過去と未来が、死と生が、人と街が、重ね合わされている。
実際、このシーンを読んでいると、様々な時代の風景が現在のリヴァプール駅に重ねられているような、不思議な感触があります。地中に無数の死者たちがいるように、現在の深層には無数の過去が存在する。アウステルリッツの見る幻は、現在のリヴァプール駅にふいに出土した過去の風景です。
これは、アウステルリッツが前に語っていた、「私はあらゆる刹那が同時に併存してほしいと願っていました」というセリフを思い出させます。写真が貼られたスクラップブックのように、折り重なる時間。この駅の薄暗さは、そうして重ねられた歴史のベールによるものかもしれません。
そしてついに、彼はこの駅の待合室で見た幻覚から、忘れていた幼い記憶を呼び戻します。見えてきたのは、待合室にひしめく大勢の人々。そして説教師とその妻。そして…。

そしてそればかりか、私の眼にはふたりが迎えに来た、幼い少年の姿までもが映じたのです。ひとりきり、ぽつんと離れたベンチに腰を掛けていました。膝までの白い靴下をはいた脚はまだ床に届かず、もしも膝に抱いている小さなリュックサックがなかったら、私は、とアウステルリッツは語った。その子がわからなかっただろうと思います。けれどもあのリュックのおかげで彼がわかった、そして、思い出せるかぎりにおいてはじめて、私自身の姿が記憶に甦った。自分は間違いなくこの待合室にいたのだ、半世紀以上も昔にイギリスにたどりついたのだ、と、呑みこんだ瞬間のことでした。

心のバランスを崩していたのは、この記憶を心の奥底に閉じ込め見ないようにしてきたことが原因だと、アウステルリッツは悟ります。この「思考の自己検閲」は、無意識のうちに為されていたため、彼はそのことに気づかなかったのです。
そして、リュックサック! またしてもリュックサック! そして、待合室! またしても待合室! アウステルリッツにとって、リュックや駅の待合室が特別なものであることを考えれば、いかにこの記憶が彼の無意識を支配していたかがわかります。
さらに彼は、あるラジオの投稿をきっかけに自分が「何故イギリスへやってきたのか」を知ります。これは、書いちゃっていいのかなあ。うーん、あとで書くかもしれないけど、とりあえず今のところは伏せておきましょう。
そんなこんなで、アウステルリッツは、いよいよ自らのルーツを求めて、チェコプラハへと旅立ちます。


というところで、今日はここ(P139)まで。アウステルリッツは自らを「駅狂い」と呼んでいましたが、この作品の「駅」は、ちょっと気になりますね。駅をめぐる思索。駅をめぐる記憶。駅をめぐる図版。