『マーティン・ドレスラーの夢』スティーヴン・ミルハウザー


マーティン・ドレスラーの夢 (白水Uブックス)
「読んでる途中で書いてみる」ならぬ、「読み終えたので書いておく」第2弾。
『マーティン・ドレスラーの夢』スティーヴン・ミルハウザー
です。
ミルハウザーの長編でピュリツァー賞受賞作。とは言え、ミルハウザーは中短編に力を発揮する作家っていう印象があるし、この作品ではおなじみの幻想性は抑え目だとかって評をどこかで読んだので、どんなもんかなあなんて思ってたんですよ。
でも、読んでみたら、これ、すごく面白いじゃない。確かに前半は一見リアリズム小説のようです。でも、細部まで磨き上げられた精緻な構造や、ショーウィンドウのように物を並べていく列挙癖は、まさにミルハウザー! ストーリー展開は、芸術家の生涯を描いた短編群と基本的には同じですが、物語をぐいぐいと引っぱっていく力は長編ならではのエネルギーを感じさせます。


原題は、『MARTIN DRESSLER The Tale of a American Dreamer』。!9世紀末から20世紀初頭にかけての、まさにアメリカン・ドリームを地でゆく立身出世の物語です。
葉巻商の息子マーティン・ドレスラーは、ホテルのベル・ボーイからフロント係、支配人秘書へとぐんぐん出世してゆき、やがてランチルームの経営に乗り出し、さらにはホテルのオーナーへと上り詰めてゆきます。
何がそうまでしてマーティン・ドレスラーを突き動かすのか? 彼が少年時代に夏の海辺で見た幻影にヒントがありそうです。

この終点で、ここ世界の終わりで、世界は終わらない――鉄の桟橋は海の上にのびているし、鉄塔は空を刺し、水中のどこかではどんなに長い列車よりももっと長い電話線が沈没船のかたわらを過ぎ蛸たちのかたわらを過ぎてはるかイギリスまでのびている。そしてマーティンは、ゆるやかに上下する波に包まれて静かに立ちながら、奇妙な思いを感じていた――すなわちこの世界は、この度を超した巨大な世界は、四方八方にものすごい勢いで拡散しているのだ、と。彼の背後で野原はブルックリンに転げ込んでいきブルックリンは川のなかへ突進していき、前方では波がみずからをはてしなく反復して水平線のゆらめきまで届き、二つの都市にはさまれた川ではいくつもの桟橋が水のなかへ下りたって川底に達しさらには川底を抜けて中国への道乗りの半分まで達し、そして空では蒸気で動くエレベーターがぐんぐん高くのぼっていって、やがて暑い青い夏の靄のなかに見えなくなった。

19世紀末、産業化によりどんどん変わっていく世界。熱に浮かされたように広がりゆく世界、その勢いを肌で感じている少年。最後のエレベーターのところとか、すごくいいですね。高く、もっと高く。この狂おしい、上への欲望。これは、高層建築へと結実する時代の欲望であり、次々とステップアップしてゆくマーティンの欲望でもあります。そのまたの名は、「アメリカン・ドリーム」。
こうした時代の空気が活き活きと捉えられているところが、この小説の大きな魅力です。マーティンが町を散歩するシーンが何度も出てきますが、そこでは次々と開発されていく町の様子が、ミルハウザーお得意の列挙パターンでたっぷり描写されます。荒地が整備され、建物が建ち並び、鉄道が走る。至るところで工事が行われ、古いものと新しいものが入り混じっていく。常に動き続け生き物のように成長していく都市。
建築でもビジネスでも成長への欲望とは巨大化への道なわけですが、マーティンの興味は巨大化ばかりでなく、その構造へと向けられているようです。例えば、フロント係から支配人の秘書へと昇格した彼は、「種々雑多な細部の関係を見出そうと奮闘を続け」ます。ランチルームの経営者になってからは、「物事をきっちりやり遂げること、いろんな要素をひとつに合体させること、まとまり得ぬものをまとめて組み合わせること」に情熱を傾けます。
ビジネスマンが主人公というと、ミルハウザー作品の中では異色のようにも思えますが、マーティンにとってのビジネスは、お金儲けではなく、世界の仕組みを理解し自ら組み立てるということなのでしょう。これは、他のミルハウザー作品に登場する芸術家や職人たちと共通する感覚じゃないかな。

そうした思考を推し進めていると、またしてもホテルとデパートの親近性が実感された。どちらも客を惹きつけ、引きとめようと努め、どちらもそれ自体で一個の小さな世界であろうとし、単一の理念に奉仕する無数の事物を持ち込んで併存させている。百貨店とホテルは都市のなかの都市である。だがそれらはまた、実験的な都市、都市の先を行く都市とも言える。なぜなら百貨店もホテルも、さまざまな形で、垂直な共同体への躍動という、マーティンから見た現代の都市の核心を体言しているからだ。いまやその躍動はいくつもの新しい形で表現され、鉄骨構造のおかげで新聞社のオフィスも保険会社のビルも、トリニティ教会の空高き尖塔より上まで達することができる。何百階にも及ぶ巨大な建造物が並ぶ情景をマーティンは想像した。一つひとつがそれ自体一個の都市であるビルが、アメリカ全土に空高くそびえていた。

上へ、上へ、高く、高く、先へ、そしてまたその先へ。大衆を惹きつけるために、無数のものを並べ、ミニチュアの世界を作る。これは、「世界を僕の手の中に」といった類の欲求でしょう。マーティンは、自らプランニングするホテルにこの欲求を解き放ちます。そしてそれは、アメリカの欲求とパラレルな関係にある。その結果、大衆はこのホテルに魅かれ、マーティンはビジネスで成功を収めます。
この小説には、〈内なる折衷〉という言葉が出てきます。「可能な限り多くの異なる要素を取り入れ、組み込もうとする傾向」だそうですが、マーティンのホテルはまさに〈内なる折衷〉が結実したものと言えます。古いものと新しいもの、田舎と都会、巨大なものと微細なもの、といった相反するベクトルが同時に存在する、夢のようなホテル。
さて、マーティンの成功譚と並んでこの物語のもう一つの軸となるのが、彼をめぐる女たちの話です。中でも大きな存在となるのが、ヴァーノン家の姉妹、キャロリンとエメリン。姉のキャロリンは美しいけど心を閉ざしているかのようにほとんど喋らない、妹のエメリンは器量はそれほどよくはないけどマーティンのビジネスのよき理解者となる。心の通わない美女と、深く理解しあえる不美人。マーティンは、キャロリンと結婚し、エメリンをビジネスのパートナーにします。
何を考えているかわからないお人形さんのような女と結婚しなくても、エメリンと結婚すりゃあいいのにと思いますが、マーティンはエメリンを性の対象とは見ていないんでしょう。さらには、姉妹の母親や、ホテルの清掃婦、ホテルの宿泊客や娼婦などなど、彼の人生を様々な女たちが彩ってゆきます。モテすぎだろ、マーティン。
彩る、という言い方は、女性をアクセサリーのように見た言い方ですが、この小説の場合は、その言い方がぴったりくる。というのも、マーティンは全部欲しいんですよ。僕には、これもまた〈内なる折衷〉のように思えます。まあ、虫のいい話ですが。どうにも、彼は、相手の気持ちを思いやるというところが欠けているっぽいんですよね。キャロリンとエメリンの例からもわかるように、自分の都合のいいところだけをつまみ食いしている。
マーティンは、次々と新しいホテルを建ててゆきます。Aで成功を収め、さらにバージョンアップしたBへ。そして、それも成功すると、さらに凝ったCへ。ミルハウザー作品の主人公達は、そうやって自らを追い詰めてゆきます。マーティンもまた、例外ではありません。ホテルはますます高層化し、それと同時に地下階も深くなっていく。これも、〈内なる折衷〉でしょうか。ともかく、上へと向かうだけじゃなくて、地下へと向かう。そして地下は、幻想のほうへと引っ張られるというのが、ミルハウザーです。

けれども、新聞記者たちを一番驚かせたのは、やはり何と言っても、秘密のホテル、とある記者がいみじくも呼んだ、ニュー・ドレスラーの地下部分だった。七層に及ぶ地下は、どの層も非常に注目された。本物のリスやチップマンクが走り回る、風景にもしかるべく起伏をつけた公園(地下一層)、通常の百貨店と変わらない完全なデパート(二、三、四層)、いくつものバケーション・リゾート(五、六層)、迷路(七層)。地下五、六層のバケーション・リゾートが一番詳しい評を集めたが、それもそのはず、ルドルフ・アーリングが若き日の劇場での経験を活かして、ホテル滞在客の利用に供すべく六つのスポットを腕によりをかけて設計したのだ。見事に複製された松林に設けられた、さらさらと早瀬が流れテントの並ぶキャンプ場。カンバス地のデッキチェアが置かれ、シャッフルボード場のある、壁には海の風景の彩色映画が映し出されている大西洋横断蒸気船の甲板。渡し場のある大きな湖に浮かぶ、丸太小屋の点在する森深き島。散策用ローラーチェアを完備し、劇場や映画館がひしめきあう六つの通りまで揃った。アトランティックシティの大ボードウォークの複製。鉱泉を備えた健康リゾート。そして間欠泉、滝、氷河、小ぶりの渓谷、くねくね折れ曲がった自然遊歩道まで完備した国立公園。

さあ、きましたよ、ミルハウザーの真骨頂。上へ、上へという欲望の底に隠された、地下への欲望。この地下のリゾートにはびっくりです。しかも、旅のわずらわしさもなく、疲れたら上階のホテルの部屋に戻ることができるわけで、これはほとんどバーチャルリアリティ、と言ってもいいでしょう。世界を再構築するまがい物の世界。
紹介したのはほんの一部ですが、後半の読みどころは、ミルハウザーの列挙癖が爆発するこうしたホテルの様々な描写でしょう。マーティンのホテルは、ある意味、百貨店であり、博物館であり、テーマパークでもある。いずれも、様々な物を並べて閉じた世界を作る場所です。では、そのさらに地下には何があるのか?

迷路の下には、ニュー・ドレスラーの真の底、底の底たる地下室が広がり、暗い領域が無数の区画に分割されていた。ダイナモを備えた発電施設、ボイラーを備えた蒸気施設、煮沸槽や蒸気乾燥機を備えた洗濯室、アイロン室、貯蔵室、従業員用カフェテリア、多数のメインテナンス要員(ペンキ塗り工、電気技師、お針子、布革貼り職人、銀器磨き係、大工等々)の作業室。薄闇に包まれ、しゅうしゅうと湯気の立つ、金槌の音が響きわたり発電機がゴロゴロ唸りを上げている巨大な地下世界で、マーティンはしばしば何時間も散策を楽しみ、建物に生命を与えている一連の機械を観察し、修理工の作業を見守り、洗濯室の女性と話した。女性たちの袖は肱までまくり上げられ、前腕は濡れて光り、湿った生暖かい空気のなかで顔もぎらぎらと光っていた。

ホテルの外、ブルックリンの街中で繰り広げられている開発・発展が、ここでは地下に集約されている。そんな気がしてきます。成功者は、映画なんかでは最上階から街を見下ろして悦に入ったりするんですが、マーティンの場合は、最下層へ下りていくんですね。やっぱり、仕組みのほうに興味があるんでしょう。ホテルという一個の世界を成り立たせている「真の底」こそ、彼が欲しているものです。
そして、マーティンはさらに新たなホテルを構想します。その名も「グラン・コズモ」。なんて、野心的な名前でしょう。巨大な世界をホテルの中に閉じ込めてしまうとする。世界を僕の手の中に! ここにきていよいよ、溜めに溜めたミルハウザーの妄想力が爆発します。めくるめく夢のホテル。というかこれは、ホテル、なのか?
ここまでやっちゃうと、もう世界を閉じるしかないよね、という気がするわけです。完璧に作られたフェイクの世界は、もはや外の世界を必要としない。これは、マーティンと女たちとの関係にも言えます。彼の虫のいい世界では、他者がいない。それでは、関係が長続きするわけがありません。このあとの展開は、ミルハウザーの読者であれば、おおよその見当はつくでしょう。
マーティンの欲求は、アメリカの欲求とパラレルだと書きましたが、広がっていく世界が実は閉じてしまうというのは、グローバリズムにまでつながる話のような気もします。「The Tale of a American Dreamer」。きらびやかなアメリカン・ドリームは、いつしか自壊への道を進んでいくということなのかもしれません。


マーティンのホテルが目指した、大衆を惹きつけること、ミニチュアの世界を作ること、無数のものを並べること、これはすべてミルハウザー作品に頻出するテーマです。例によって、ミルハウザー作品に登場するモノたちは、そのまんまその小説の似姿になっています。
今回は特に、19世紀末〜20世紀初頭という時代設定のせいか、ミルハウザーのタッチはいつになく熱を帯びているような気がしました。列挙癖も、次々とビルが建ち自動車が増え広告が踊るという時代の雰囲気に、よく合っています。ミルハウザーの小説は、マーティンのホテル同様、その中に入り込んでしまえばどっぷり浸れるのが魅力。あちこちで蒸気や煙が上がり、ダイナモや採掘機が唸り、電気や電波が飛び交い、クレーンは揺れ、排水管を水が走る。
読んでいると、ざわざわとした時代のざわめきみたいなものが甦ってくる。そのあたりが、僕は一番面白かった。堪能しました。
ということで、『マーティン・ドレスラーの夢』は、これでおしまい。それにしても、ミルハウザーはハズレなしだな。