『噂の娘』金井美恵子【2】


それにしても、ワンセンテンスが長いこの文章は、クセになりますね。文章のつながりを忘れさせるくらい豊かな細部に満ちているせいで、今、どこを読んでいるのか見失いそうになるんですが、それでもいいやと思わせちゃうような文章。引き込まれます。


では、続きから。

なにかがあったら、すぐ起してやるし、なにかなんて、起りはしないんだし、家には人が大勢いてにぎやかだから子供たちも心細いなんてことないわよ、大丈夫、まかせてちょうだい、と、モナミ美容院のマダムは、荷物でふくらんだボストン・バッグと、白い毛布と青い魔法壜(テレモス)の入ったアケビで編んだバスケットを両手に持っている母親に言い、なにかがあったら電話をくれるようにとくどくど言いながら、電話番号を書いたメモ用紙を渡し、母親は、いい子でね、と言ったのか、お行儀よくするのよ、と言ったのか、それとも、青白い顔でただ眼顔でうなずいてそういった意味のことの全部を含ませる合図を送っただけだったのか、いずれにせよ、クラクションを鳴らして着いたことを知らせているタクシーに乗り込み、

主人公と思しき少女の母親が、ここで初めて登場します。どうも、母親は病院に行かなければならないらしい。そこで留守の間、少女と少女の弟をモナミ美容院のマダムに預けていくということのようです。でも、「なにかがあったら」と曖昧な言い方でしか描かれないため、母親が何故病院に行くのかはよくわからない。まあ、もうちょっとあとで何となくわかってくるんですが、この時点では、何か深刻そうなことをもや越しに見ているようなもどかしさがあります。
モナミ美容院に残された弟も、事態の深刻さが今ひとつピンときていないようです。まあ、「なにかがあったら」しか言ってないんですから、わからなくてもムリはないんですが。

遠足の時に使うネズミ色のズック製で、ポケットに紺と黄色の毛糸で縫いとりした象のついているリュックを背負って家を出たものだから、すっかり遠足気分だった弟は、リュックの中に入れてきた、プラスチックの箱に入ったダイヤモンド・ゲーム、おはじき、ベーゴマとベーゴマ用の紐、赤と白と黄色と緑のチョーク、銀色のブリキ製で、こわれているので玉が飛び出さないピストル、朱色の人絹の房のついいたブリキの十手といったものをとり出し、

そういえば、ダイヤモンド・ゲームってあったなあ、なんて思ったりして。このあたりを読むと、金井美恵子もまた列挙癖の人だと思います。とにかく、ちまちました小さいモノを並べていくのが好きなんでしょう。わざわざ「ベーゴマとベーゴマ用の紐」と分けて書くあたりからそれがうかがえます。

総勢九人で、ひどくにぎやかなおそ目の夕食を食べた後で、銭湯に行く組と家風呂に入る組に分れ、赤と桃色がマーブル模様になっているセルロイドの洗面器、コールドクリームや粉状のシャンプーの入った小袋や煮とかしたフノリの入ったクリームの空き壜、洗面器とそろいの石鹸入れやヘチマやタオルやくしやブラシ、化粧水に乳液の壜、着がえ用の下着類、バス・タオルといった大荷物をそれぞれのビニール製の買物バッグに入れた美容院の長女と次女と見習い娘二人と一緒に銭湯に行き、

女性のお風呂は、荷物が多くて大変だなあ。ここでも、バッグの中身が細々と列挙されています。そればかりじゃなく、バッグの素材にも触れずにはいられないあたりが、筋金入りです。「アケビで編んだバスケット」「ネズミ色のズック製」の「リュック」、そして「ビニール製の買物バッグ」。
素材っていうのは、この人のこだわっているところかもしれませんね。これは、形や色だけじゃなく、手触りまで描写したいってことだと思います。目玉だけで列挙してるんじゃないんですよ。だから、図鑑のように整然とものが並んでいるのと違い、どこか雑然としている。そして、それを手で撫でまわしてるような感覚がある。
ちなみに、「総勢九人」の内訳は、モナミ美容院のマダムと3人の娘、この一家のおばあちゃん、見習い娘2人、そして主人公の少女とその弟。美容院という職業柄もあるでしょうけど、女だらけですね。
このあと出てくる銭湯のシーンは、すごくいいです。女たちが化粧を落とすシーンとか、好きだなあ。僕はもちろん経験はないんですが、ああ、こういう感じなのかと思ったり…。さらに、もやもやとした湯気と石鹸の匂いとやけに反響する音、という具合に、五感に訴えかけてくる。官能的って言うのかな。もう全部引用したくなりますが、それも大変なので、風呂上がりのシーンを引用します。えらく長いけど、これ一文ですよ。ご堪能ください。

湯上りの娘たちは、水分をたっぷり吸いこんでふっくらとした弾力を増したなめらかなバラ色と白の斑になっている上気した皮膚に浮かぶ汗をバス・タオルを巻いた姿で、小さな庭から吹いて来る風で冷やし、バラやスミレの香料の匂いの化粧水を顔や首筋や胸にてのひらでぱたぱたと音をたてながら付け、番台の脇に置いてある牛乳会社のガラスの戸の付いた冷蔵庫から、コーヒー・ミルクとヴィタミンC入りオレンジ・ジュースを買って飲むか、それとも、大きな二つのアルマイトの薬缶に入っている無料の麦茶(潮が入れてあるので、しょっぱい味がする)か、甘茶で我慢しておくかについて話しあうが、年上の娘が、今夜はあたしがおごってやる――珍しいじゃないの、何かいいことあったんだね、と、ショート・カットの妹が煙草の煙をふうーっと吐きながら、意味あり気にニヤリとする――と言うので、みんなは美容のためにヴィタミンC入りオレンジ・ジュースに決め、私は薄苦くて甘味の強い粘土をとかしたような色のコーヒー・ミルクが飲みたかったのだけれど、眠れなくなるから、とみんなに反対されたので、壜の口から直接オレンジ・ジュースを飲むことになるのだが、そうやってジュースを飲んだことがなかったので、狭いガラス壜の口からうまい具合にジュースが飲めなくて困惑してしまい、人気(ひとけ)のほとんどない夜の道を、濡れた髮や湯上りの肌から発散する湿って生あたたかい薬草と石鹸の匂いをふりまきながら歩き、明るい日の光のあたる丸い月のようなガラス鉢の中で、ひらひらとゆれるフリルか水中花の花びらのように、大きなひれと尾びれをゆらめかしながら泳ぐ金魚にそっくりのアザのある大柄な娘は、水色の中細毛糸の透し模様を編み込んだセーターを着ていて、透し模様をとおして白い人絹のスリップが透けて見え、裸だった時よりもずっとおっぱいが大きく見えるものだからみんなが改めて不思議がり、美容院の長女が、着痩せのするタイプというのがあるけれど、あんたは、着ぶとりのするタイプね、とからかい、金魚の娘はうふふふと笑って、私とつないでいたぽってりとして柔らかいあたたかく湿った手の腕を大きく振るので、なんだかスキップをしたくなり、木のサンダルの裏がアスファルトの路面にリズミカルにぶつかる音とセルロイドの洗面器のなかで石鹸箱やクリームの壜がカチャカチャぶつかる騒々しい音をたてながら、何歩かをスキップすると、商店街の黒い家並みのむこうに、丸いなめらかな月が昇っていて、微細な網目のヴェールのように半ば被さっていた水色の薄雲が夢の速度で月の周囲に流れて薄紫色に輝くのを見て、私は不意に立ち止まる。

あー素晴らしい。もう言いたいことがいっぱいある。「牛乳会社のガラスの戸の付いた冷蔵庫」ってわざわざ書くところがいいとか、「粘土をとかしたような色のコーヒー・ミルク」って上手いことを言うなあとか、「泳ぐ金魚にそっくりのアザ」ってイメージはスローモーションっぽくてきれいだとか、一つひとつにため息が出ます。
何より、銭湯の風呂上がりの感じがありありと浮かんでくるじゃないですか。火照った体を冷ます風、湯上がりに飲む冷たいジュース、外気に触れて気づく石鹸の匂い、セーターから透けて見える下着、音を立てる洗面器…。目玉だけの描写じゃないっていうのは、こういうことです。こうしたひとつひとつを、慈しむように手で撫でまわし、舌で味わい、耳をすまし、鼻をひくつかせて書いている。
何てことない銭湯ですが、無料の麦茶があるっていうのも、いい感じです。こういうちょっとしたサービスが、うれしいんだよね。それに、ジュースをおごってもらっただけで、特別な気分になれたりするんでしょうね。そういうところも、愛らしい。大勢で銭湯に行ったってこともあるのかな。主人公の少女は、ちょっと気分が高揚しちゃってるっぽい。まあね、そりゃあスキップもしたくなりますよ、こんな夜は。
そして、月。満月。月にかかる雲にまで布のテクスチャーを重ね合わせるあたりにも、金井美恵子の素材に対するこだわりが感じられます。「私は不意に立ち止まる」で、この長い長い文章が、プツッと切れるのもいいですね。読んでる僕もふいに立ち止まり、たたらを踏みそうになる。
さて、少女の母親ですが、しばらくの間留守にするようです。それがどのくらいかはわかりませんが、1日2日じゃ戻ってこないということが、以下の部分からわかります。

今夜だけではなく、明日の夜も、もしかしたらその次の日も、家には帰らず、化粧品やシャンプー剤の花とレモンとオレンジの混ったような匂いに、コールド・パーマ液のむせかえるようにいがらっぽい化学薬品の匂いと、仏壇のお線香の匂い、お線香と火鉢の灰と炭とお茶と煙草と着物の布地に染みついている樟脳と伽羅と日本髪に結った頭の髪油の混った匂いのするおばあちゃんや、いつもおばあちゃんに抱かれているので、長い毛皮におばあちゃんの匂いが染みついているのだけれども犬臭いにかわの匂いもする狆や、若い娘たちの生あたたかく酸っぱい体臭や、濡れた洗濯物に残っている粉石鹸の匂い、台所にこもっているというか古い床板や壁や天井に染みついている味噌や漬物や煮物や油の匂いが家の空気のなかでまぜこぜに撹拌されて、夜になると床や畳や家具の上に、そうした匂いがひっそりと降ってきて溜り、匂いはそうして、多分、動物のように柔らかくのびて寝息をたてるから、猫とか犬みたいに眠っている時のほうが匂いが強くなり、匂いが濃くなってますます奇妙な感じのする、この家にいることになるのだろうか、(中略)知らないところで寝て夜中におしっこかなにかで眼が覚めて真っ暗だとおっかなくてかあいそうだから、と美容院のマダムのおばさんはラヴェンダー色のジョーゼットの笠の電気スタンドの豆電球をつけておいてくれたけれど、いろいろな心配事(おとうさんは死んじゃうのかもしれないし、そうでなかったら、足とか腕を失くしてしまったかもしれない、ずっと昔――多分、戦前――電車山の向うの踏み切りで事故があった時、自分のおじいちゃんの片脚はぐしゃぐしゃにつぶれたのだということを、お米屋の男の子は自慢にしてはいたけれど)でとても眠れるはずがないと思っていたのに、湿った綿の匂いとひなたくさいシーツのなかで眼を覚すと、

列挙癖が溢れ出すこの匂いの描写に圧倒されます。美容院ならではの匂いや、古い日本家屋特有の匂い、さらに暮らしているおばあちゃんや犬や娘たちの匂いなどなど、いろんな匂いが混じり合って、この家の匂いになっている。そしてこの匂いが、ここが自分の家ではないことを強く感じさせます。余所の家に行ったとき、「あ、家と違う匂いがする」ってことがあるでしょ。あれです。
匂いが「動物のように柔らかくのびて寝息をたてるから」というのも、面白い。実体があるようなないような不思議な感じがして、まさに匂いってそんなものだよなあと思います。こうした匂いの中で眠りに落ち、朝目覚めたときも匂いから始まるというあたりも見事です。目覚めても、まだ余所の家にいるわけですよ。
そしてもう一つ、引用した後半では、母親が病院に行った理由がおぼろげながらわかってくる。どうやら入院したのは父親らしいですね。ただし、病気なのか怪我なのかはよくわかりませんし、悪いのが手なのか足なのか、それとも別の場所なのかも模糊としています。
この父親について思いを巡らせている部分は、()の中にさらに近所の男の子から聞いた話が挿入され、しかもそれがその男の子の回想だという入り組んだ構造の文章になっています。まあ、この小説はこんなんばっかですけどね。だから、どこを読んでいるのか見失いそうになるんですよ。そしてそれが、模糊とした印象に拍車をかける。細部は丁寧に描かれているのに、全体像がよくわからない。それがこの小説の魅力だと思います。
あ、あと、美容院のマダムのセリフ、「真っ暗だとおっかなくてかあいそうだから」ってのは、何かいいですね。「かわいそう」じゃなくて、「かあいそう」ってところが特に。


ということで、今日はここ(P39)まで。引用が長い上に、いろいろ言いたいことが出てきて、なかなか進みませんね。でも、これはたぶん、早く読んでも何も意味がない類の本でしょうね。ということで、ゆっくり読みたいと思います。