『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ【11】


わ、きた。ついにきました。これまで別々に語られてきたウォルト・ディズニーとエディ・ホブソンの軌跡が、いよいよここで交錯します。
でもその前に、「ホブソン家パート」。


「14」の章。
さて、ホブソン氏の入院です。意味のない決まり文句を口にすることで不安をやり過ごそうとする母アイリーン。そして、子供たちはふざけたり、毒づいたり、陽気な振りをしたり。でも、やはりどこか悲痛な感じがするのは否めません。そんな中、ホブソン氏だけは相変わらずの調子です。「彼らの中で、父さんひとりが上機嫌だった」。
とりあえず、父を病院に入れ、検査の結果が出るまで一旦、一家は引き上げます。そして、翌日、アーティは一人で父のお見舞いに行く。

「こんなにすぐ様子を見にきて悪いね」アーティは切り出した。「母さんが行けって言うもんだから」。
「だろうと思った。気にするな」。
「で、どう? 医者は何て?」
「医者がわしに言うと思ってるのか?」
「あのさあ。何かは言ったでしょ」。
「ああ、たしかに。肛門科の先生が言ったよ、『ぢっとして』」。

悪趣味なジョーク。病の身でそれでも笑いを忘れないというその精神力は、とてもタフで魅力的に思えます。でも、どこか引きつったような、居心地の悪さが残る。どうしたいのか、よくわかんないんですよ。だから、周囲はこうしたジョークに困惑し、途方に暮れるわけです。何故、こうまでして冗談を飛ばさなければならないのか? おそらくそれは、ホブソン氏が抱えたジレンマ、根深いところで彼を蝕んでいるジレンマと関係があるのでしょう。
その後、検査の結果の連絡を待つホブソン家のもとへ、電話がかかってきます。受話器を取ったのは、ホブソン氏と同じ名前を持つエディ・ジュニアです。

エドワード・ホブソンさん、いらっしゃいますか?」
「僕です」。エディも、向こうの相手も、一瞬躊躇した。電話線の中央から、両方の電話口に沈黙が広がった。それから、歩道でお互い相手を避けそこねて堂々巡りのツーステップを踏むみたいに、二人同時に喋り出した。エディは一歩引いて、相手に喋らせた。
「たぶん、お父様のほうだと思います。ご在宅でしょうか?」
「ビッグ・エドは検査で入院してるんです。週末には釈放されますよ。こちらは……」。(中略)「こちらは王位僭称者です。そちらはどなたですか?」
「こちらは病院です」。両方の電話口ですばやく計算がなされているあいだ、またもや沈黙が広がった。「お父様が、予定より早く、自主退院なさったようなんです」。

この章、最後の場面です。「堂々巡りのツーステップ」とは、上手いことを言いますね。会話でよくある瞬間を歩道で向かい合う状態に例えたあと、それをさらに言い換えるというふたひねりした比喩。「王位僭称者」とは、父と同じ名前を持ったエディの自虐的ジョークです。ちなみに、エディによれば王位継承者はアーティだとか。随所に出てくるこの手の凝った言い回しも、パワーズを読む楽しみの一つです。
そして、またしても引きのある最後の一言。「自主退院」とは? ビッグ・エドことエディ・シニアの奇矯な行動が、またしても始まったということでしょうか? そして彼はいったい、どこに行っちゃったんでしょうか?


「一九四四年」の章。
エドワード・ホブソンとウォルト・ディズニーの邂逅。でも、これ以上は書かないほうがいいかな。まあ、あとで書いちゃうかもしれませんが、ひとまず詳しいことはこれから読む人のために伏せておきます。

自分たちが引き継ごうとしている由緒ある伝統についてディズニーは語る。「別の次元からの生き物が現われて、きみ一人では思いもよらなかったものを見せてくれるんだ。きみがいる位置を、きみが生んでいる違いを」。ダンテのベアトリーチェスクルージの幽霊、ジョージ・ベイリーのクラレンス――AS2、二級天使(エンジェル・セカンド・クラス)――のことを彼は語る。
(中略)
「で、僕の守護天使は誰?」ニヤリと笑いながらエディは訊く。
「わかんない?」自分が作り出したもっとも強力なキャラクターのためにいつも使っている甲高い声が答える。世界中で聞かれている声。

天使や幽霊が現われて、主人公に世界の秘密を見せる。古今東西でおなじみの物語をディズニーは語ります。そして、17歳のエディの下へ別の次元からやってくる生き物は、「種の能力を超えた賢さをもつ齧歯動物」、アニメーションの国からやってきたあのネズミです。ディズニーが声色を変えて返答するシーンは、とてもチャーミングです。前にも書きましたが、「ぷるぅうとぉ」とか「みにぃ」っていうときのあの声はディズニーが吹替えていたんですよ。
このあと、これまで語られてきたエディ少年の物語が、思いもよらぬ形で再び登場します。「え、え、え? どゆこと?」って感じで、「年号パート」と「回想パート」がつながっていく。詳しくは書きませんが、このあたりは、とてもスリリングです。

道徳的な戦争の必要性をミッキーが説く。何人が死ぬことになるか、美しいものがどれだけ永遠に失われることになるかを語る。それでも僕たちは、全力で戦い、古びた、堕落した世界の腐敗を追い払わなくちゃいけないんだよ。

戦争の愚を語りつつも、戦争の必要性をも語っているというところが、やっかいです。このややこしさが、プロパガンダ映画『きみが戦争だ』のウィークポイントです。戦争は、「相互善意の清い世界に通じる唯一の道」だと言う。でも本当にそうなんでしょうか? 平和のための戦争。解放のための戦争。ジレンマ、ジレンマ、ジレンマ。
そんな折り、収容所から助け出された有能なスタッフの一人、ラルフ・サトウが、『きみが戦争だ』の撮影から降りたいと言い出します。「僕らがいるべきなのは外だよ、ウォルト。外に出ていかないかぎり、何も直せないんだ」と言って出ていく。でもどこへ?
実は、収容所から出ていく手段は、もう一つあったんですよ。入隊。サトウは、日系二世で組織された部隊へと志願します。全力で戦うことを促す『きみが戦争だ』のスタッフは、実際の戦場に出ていくことを選ぶわけです。

なお悪いことに、サトウの離脱は、プロジェクトに新たな意味合いを付け加える。すなわち、ワールド・ワールドを建設し、『きみが戦争だ』のラッシュを作るなかで、ディズニーと一万人のハイホー部隊は、自分たちを解放し、蛮行に対する想像力の勝利を導くスプリングボードをもたらすどころか、あらゆる責任から逃れ、世界規模の癌が悪化するのを放置していたかもしれないのである。

「ハイホー部隊」とは『白雪姫』の小人たちからとった呼び名ですが、今やディズニーが信じるファンタジーの力は、「野蛮なリアリズム」に負けてしまいそうです。本当に、戦争だけが唯一の道なんでしょうか? 違うやり方はないんでしょうか?


ということで、今日はここ(P331)まで。終盤へきて展開が早くなってきました。クリフハンガー。非常に気になる終わり方です。ホブソン氏の行方は? ディズニーの映画は? もう残すところあと少しですが、どこへ着地するんでしょう? 早く続きを読まなくちゃ。