『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ【5】


この本の表紙には、両手を広げた男のシルエットが描かれているんですが、彼の頭にはまあるい耳が二つ付いている。この耳の形を見ると、たいていの人は「ああ、あの耳か」とピンとくると思います。


では、いきましょう。「一九四〇―四一年」の章です。
まずは、冒頭から。

彼は疑いなく、世界中のほとんど誰よりもその姿を広く知られている。容疑者の列からスターリンアインシュタイン蒋介石ピカソを選び出せぬ人でも、彼の顔なら知っている。世にあまねく礼賛されたること、近年類を見ない。あまたの見知らぬ人々に広く愛されたること、史上屈指といってよい。かくも高き人気に達したのも、彼がつねに高潔なナイスガイであり、これといった性格上の欠点もなければこそである。何より不思議なのは、彼がその全生涯にわたってこの驚異的な名望を享受してきたことだ。一九四〇年、彼はちょうど十二歳になったところである。
彼の人気を目のあたりにしたことのない者にとっては、その絶大さはとても想像できない。だが生きている人間誰もがそれを見ているのだ。その素朴で信用のおける顔と体は、いたるところに登場する。彼が喋るのを一度も聞いたことがなく、その特徴ある歩き方や笑顔や手の振り方を一度も見たことのない少数の例外的人物でさえ、彼の絵が入ったペナントなり衣類なりを所有している。取り立てて注意を惹くことなく、彼の姿は毎日何度もひょっこり現われる。この惑星の大半の国において、新聞は彼の冒険と偉業を日々報じている。
彼の魅力は党派や信条を超え、およそかけ離れた人々をも結びつける。エレノア・ローズヴェルトによれば、彼女の夫は、晩のプランを練る際、彼がホワイトハウスに姿を現わすよう要請しないことはめったにないという。同じことがジョージ五世の王宮にも言える。ヒロヒトもしかり、やはり大ファンである。アフリカの部族は彼の姿が彫られている石鹸でなければ買わない。彼は知識人の花形、労働階級の驚異、子どもたちの人気者である。
地球中を旅してきた彼は、南太平洋からサハラ砂漠にいたる遠方の地でさまざまな冒険を生き抜いてきた。数えきれぬほどの職業に彼は従事してきた。探検家、発明家、手品師、探偵、カウボーイ、囚人、漂流者、トラック運転手、仕立屋、船乗り、鯨捕り。彼はあらゆるスポーツをマスターする。十あまりの言語を難なく話す。すでにマダム・タッソーの蝋人形館にも入ってる。

長々と引用してしまいましたが、「彼」のプロフィールはこのあとも続きます。でも、「彼」って誰? パワーズはなかなかその正体を明かそうとはしません。しませんが、カンのいい人ならわかると思います。彼とは、ジャーン、みんなの人気者ミッキー・マウス! 耳を見ただけで誰もが「あ、ミッキーだ」とわかる、20世紀最大のポップアイコン。
確かに、アインシュタインピカソの顔を知らない人でも、ミッキー・マウスの顔は知っているでしょう。昭和天皇がミッキーのファンだとは知りませんでしたが、まあそんなことがあってもおかしくはない気もします。
最初のところで、1940年当時の著名人の名前があれこれ並べられていますが、僕にはここから抜け落ちているとても有名な人物のことが気になります。ミッキーの同時代人であり、非常に特徴的な外見を持った人物。知名度では蒋介石なんかよりもずっといいところまでいくんじゃないかと思われる人物。それは、アドルフ・ヒトラーです。あのチョビ髭は、ミッキーの丸い耳同様、人々の心に刷り込まれているはず。ミッキーに唯一対抗できる名前は、ヒトラーなんじゃないかと。
さて、このあとはディズニーについての話がいろいろと出てきます。「シリー・シンフォニー」、『白雪姫』、そして『ファンタジア』といった彼の作品が、当時の世界情勢と共に語られていきます。政治的意図を持った作品じゃなくても時代とリンクしてしまうということが、パワーズのクールな文体で綴られていきます。
ディズニーの長編アニメーション『ファンタジア』については、こんな風に書かれています。

若きホブソンにとって作品のハイライトは、ミッキーがストコフスキーのタキシードの裾を引っぱる瞬間である。出来事と捏造とのあいだのあらゆる境界が、両者の出会いによって、いともあっさり無化されてしまうのだ。

『ファンタジア』には、実写のオーケストラとミッキーが共演するシーンがありますが、それを指しているんでしょう。指揮者の裾をミッキーがちょいちょいっと引っぱる。で、二人が握手するシーン。フィクションと現実が入り混じってしまう瞬間。「出来事と捏造」の間の境界線が揺らぐとき、ミッキーはヒトラーと並ぶ同時代人になります。だからこそ、パワーズは冒頭で、ミッキーを「彼」と呼び、あたかも実在の人物のように紹介していたのでしょう。
さらに、アメリカが第二次世界大戦に参戦するというところで、パワーズは、再び「投票の誤謬」を持ち出します。「一票はどれだけの重みを持つのか?」「問題が抱えた危険に左右される」「相手がどう投票するかによる」「誰が票を投じるかによる」などなど。これは「囚人のジレンマ」のバリエーションのようにも思えてきます。
ディズニーは、国から士気高揚映画や訓練用教材、宣伝映画などを作るよう依頼されます。いわゆる、プロパガンダですね。実際、ディズニーは、戦争中はそうした映画を何本も作っています。というか、当時はディズニーだけじゃなく、そうした映画やアニメーションが数多く作られていたんですよ。「出来事」を動かす「捏造」。
そしてこの章の最後は、こんな感じで締めくくられます。

一九四一年十二月のある午後、エディ・ホブソンは映画館のマチネーで彼の人生を一変させてしまうニュースに出会う。何週間も前に、真珠湾は彼の運命に封印を施したが、その結果はひどくあいまいだ。だがその日、彼は、たった一票の恐るべき力が志願するのを耳にする。ミッキー・マウスが戦争に行くのだ。

ドナルド・ダックが戦場へ行く作品はいくつか知っていますが、このミッキーの作品がどれなのかは、僕には特定できませんでした。パワーズの創作なのかもしれないし、事実かもしれない。ともあれ、アニメーションのキャラクターが、現実の戦争へと乗り出す。世界的人気者ミッキー・マウスの一票は、確かに「恐るべき力」となるでしょう。それを受けたエディは、今にも入隊しそうな勢いです。
それにしても、パワーズは章のおしまいを決めるのが上手いですね。「ミッキー・マウスが戦争に行くのだ」で、ストンと幕を落とす。シビれます。思わず、続きが知りたくてページをめくるんですが、このあとの章は、また病んだ父を抱えたホブソン家の話に戻ります。


ということで、今日はここ(P117)まで。前作『舞踏会へ向かう三人の農夫』では自動車王フォードが重要な役割を果たしていましたが、今回はディズニーですか。アニメーション好きの僕としては、このあとの展開が非常に気になります。