『デス博士の島その他の物語』ジーン・ウルフ【6】


2カ月半ですか。いやあ、時間がかかりましたね。年末年始の慌ただしい時期にかかっちゃったせいもありますが、この小説自体がかなりの曲者だったってのも大きいですね。一度読んだだけじゃわからない。三読四読当たり前。で、読み返すとその度に発見があるんで、もう一度頭の中で読んだものを組み立て直さなきゃなんない。でも、まだ読みきれている気がしなくて、また読み返してのそのくり返し。そりゃあ、時間がかかりますよ。
ジーン・ウルフは、作品の世界観を説明しようとしないんです。だから、何が起きてるのかよくわからないことが多々ある。ここは妙に引っかかるなあって描写があっても、何でそんなことになってるのかはわからない。こういう作品を読むときは、あとあとわかってくるだろうってことで、謎は放置して読み進めるんですよ。でも、ジーン・ウルフの場合は、読み終えてもわからないことだらけ。これが曲者たる由縁です。
もちろん、作品の中にヒントは隠されています。華麗で濃密な文体のなかに、幾重にも塗りこめられている。断片的に匂わし、さりげなくほのめかされている。ただ、「ここがポイントです」というようなはっきりとした合図がないもんで、作品に描かれたあれもこれもが、何か意味を持っているんじゃないかという気がしてくる。ちゃっちゃか読み飛ばせなくなるんです。
それに、こちらの知識量によっても読解が変わってくる。例えば、作品中に参照されている「ドクター・モローの島」やディケンズや『アラビアン・ナイト』や『オズの魔法使い』の詳しい知識があれば、違う読みができるかもしれない。あとは、宗教でしょうか。僕は、中途半端な知識しかないのでピンときませんでしたが、キリスト教に関する教養も、読みを左右しそうな気がします。
幾層にもなったベールのように、表面的な物語の下に、いくつもの意味が隠されている。それを読み解く楽しみが、ジーン・ウルフ作品の魅力でしょう。ジーン・ウルフは、「再読によって喜びがいや増すもの」を目指してるそうです。一度読んだだけでは歯が立たないけど、何度も読み返すうちに、新たな解釈が立ち上がってくる。この「見えてくる感じ」が、とてもスリリングで興奮します。快楽と言ってもいい。だから、再読が苦じゃないんですよ。
とは言うものの、すべてを読みきれている自信はまったくないわけで、結局、どうにも納まりのつかない「わからなさ」も残ります。何か意味があるはずなんだけど、それが何かがわからない。気になるなあ、むずむずするなあ。このむずむずもまた、快楽なんでしょうね。
読みながら僕が思っていたのは、「この小説に正解はあるのか?」ということです。どの作品も様々な解釈が可能で、どこに軸足を置くかで読みが変わってきちゃうんですよ。まあ、ジーン・ウルフが「これが正解」というような書き方をしていない以上、自由に解釈をしていいんだと僕は思っています。正解探しを主とした小説じゃあないんですね。光を当てる場所によって色が変わるプリズムのように、解釈のブレを、色の変化を楽しむ小説だと思います。
この作品集の裏テーマは、「読むこと」でしょう。冒頭の作品が、小説の登場人物と対話をする「デス博士の島その他の物語」であることからも、それは窺えます。さらに一歩踏み込んで考えると、「世界は解釈次第で変わる」ということでもあります。「読む」っていうのは、つまりそういうことだと。
この根底には、「現実世界も本のようなものだ」という意識があるんだと思います。これは、喋る本が登場する「死の島の博士」やお伽話が主人公を包み込む「眼閃の奇跡」はもちろんのこと、すべてが予め書かれたシナリオ通りに進行する「アイランド博士の死」や旅行記の中に閉じ込められてしまったような「アメリカの七夜」など、すべての作品に共通してます。
私たちは本の中に生きている。それを、希望ととるか絶望ととるか、ジーン・ウルフは両方の面を描いている。お話はいつもハッピー・エンドとは限らないけど、バッド・エンドばかりでもない。それもまた、解釈しだいということでしょうか。
最後にこの作品集のベストを、と思ったんですが、うーん甲乙つけがたい。どれもそれぞれの魅力があるんですが、あえて一つ選ぶとすれば、表題作「デス博士の島その他の物語」かな。


ということで、『デス博士の島その他の物語』はおしまい。
次は、リチャード・パワーズ囚人のジレンマ』にいきたいと思います。