『デス博士の島その他の物語』ジーン・ウルフ【5】


では、最後の短編にいきます。


「眼閃の奇跡」

まだ遠く離れているときから、リトル・ティブは列車が近づく音を聴き、足で感じていた。線路から鋼弦コンクリートの枕木に降りて、耳を澄ます。それから片方の耳をどこまでも伸びる鋼鉄にくっつけ、その歌が、だんだん、だんだん大きくなってくるのに聴きいった。体の下で地面が揺れはじめるのを感じて、ようやく頭を持ち上げて、土手から、丈が高くちくちく刺す草のあいだを、杖で探りながら降りていった。
杖が水を叩いた。通り過ぎる列車の轟音に水音はかき消された。けれど、その感触から、杖の先を動かそうとしたときの抵抗感から水だとわかった。杖を脇に置き、膝をつく場所を手で探る。大丈夫そうだった。少し軟らかすぎるが、ガラスは落ちていない。そこでひざまずき、水の匂いを嗅いだ。新鮮な匂いで指にも冷たかったので、リトル・ティブは体を曲げて口をつけ水を啜り、顔や首の裏にふりかけた。

冒頭部分。いいですねえ。ジーン・ウルフの華麗な文体のおかげで、映像が目に浮かぶようです。でも、よく読むと、音、体感、匂いについての描写はあるものの、視覚による描写がありません。「杖を脇に置き」というあたりからもわかりますが、主人公の少年リトル・ティブは、目が見えないんですよ。
これが、今回の仕掛けです。一応、三人称で描かれているものの、この作品ではリトル・ティブが把握できる範囲でしか描写されません。つまり、視覚を除いた聴覚・嗅覚・触覚・味覚で作品世界が構成されている。草は「青々と」茂ったりはせず、水は「澄んでいた」りはしません。にもかかわらず、ここで描かれているものはとても魅力的なのは、他の感覚の描写が豊かだからでしょう。レールの響きや水の冷たさが、ひしひしと感じられる。
リトル・ティブにとって目が見えないということには、視覚を奪われているだけなく、もう一つの意味があります。

「機械はたいてい目の見えない人がだれだかわかるんだ。そう言ってた。だけど、ぼくのことはわからないんだ」
「網膜の写真を撮るんだよ――知ってる?」
リトル・ティブは答えなかった。
「それっていうのは、目の中で絵を見る部分なんだ。目がカメラだとすると、前にレンズがあって、その後ろにフィルムがある。それで、網膜がフィルムだ。そこで写真を写すんだよ。たぶん、きみはそれが無いんだね。(後略)」

この世界では、網膜認証によって個人を特定しているようです。映画『マイノリティ・リポート』にも出てきた方法ですね。でも、彼には網膜がない。だから、そこにいながらいないことになってしまう。見ることのできない少年は、まるで他人からも見えない透明人間のようです。世界から切り離されてしまっている。ジーン・ウルフの描く少年たちは、みんな孤児の面影をたたえています。「ぼくのことは欲しがらないよ」「みんなぼくが誰だかわからないんだ」という、少年のセリフが切ないです。
リトル・ティブは旅の途中、「元教育長」と名乗る頭のおかしな男パーカーさんと、その召使いらしき男ニッティの二人に出会い、道中を共にすることになります。そして様々な体験をするんですが、視覚が失われているせいで、すぐには何が起きているのかわかりづらい。かゆいところに手が届かないような模糊とした感じが、不思議な印象を残します。

女性のブーツが貨車の床に響く音が聞こえ、アリスがドアの外の梯子をつかんで身体を持ち上げる拍子にうなった声が聞こえた。それからぽんとソーダの栓を抜いたような音がして、そして何かが貨車の奥に当たってどしんがしゃんといった。
肺と鼻と口がみんな焼けていた。とうてい呑み込めないほどのよだれが溢れ出た。唇から流れだしてシャツに垂れ落ちた。走り出そうとして、昔知っていた場所のこと、トウワタとキリンソウが茂る土手をえぐって流れる(氷のように冷たい)小川のことを思った。ニッティが叫んでいた。「投げ捨てろ! 外へ出ろ!」そして誰かが、たぶんパーカーさんが、貨車の側面に思いっきり勢いよく突っ込んだ。リトル・ティブは再び小川の上の丘に立っていた。ヤグルマソウの向こうの波立つ暗い鏡のような水を見つめ、凧をあげる西風が吹いていた。
また貨車の床に座りこんでいた。パーカーさんはあまり酷い怪我はしていないようだった。動きまわる音が聞こえたのだ。ニッティも同様だった。

これは、貨車に催涙弾が投げ込まれるシーンなんですが、主に音だけで描写されているため、騒ぎが起きているのはびしびし伝わってくるものの、この時点では何が起こっているのかさっぱりわかりません。幕を一枚隔ているような、どこか現実味を欠いた感触がある。
さらに、貨車の中から小川のそばの丘へと移り、また貨車へと戻ってくる場面転換にも、戸惑います。これは、リトル・ティブが、かつて見た小川を思い出しているわけですが、まるでテレポートしたように描かれています。境目がないんですよ。何の前触れもなく、ふいに回想の丘にいる。
「暗い鏡のような水を見つめ」というところに、注意です。この回想シーンでは、目が見えているんですね。ということは、少年は生まれつきの盲人ではないってことです。小川を視覚的に知っているからこそ、「暗い鏡のような」っていう表現が可能になるわけです。
このように、視覚による描写が出てくるのは、回想シーンだけじゃありません。少年の見る夢や幻想シーンでも、少年は「見える」んです。目を開けているときは何も見えず、目を閉じると見えるようになる。このねじれは、失われてしまった視覚を脳内で撫で回しているかのようで、何か哀しいものを感じさせます。
でも、よく考えてみれば、脳内で描かれるのは夢だけじゃないですね。目が見えない彼は、周りの音や触った感じから脳内で現実世界を再構成しているはずです。それは、ある意味、夢のようなものじゃないですか。かくして、夢と現実の境目は地続きのまま溶け合ってしまい、少年はトリップするように、ふっと幻想の世界へ入っていく。
やがて、この目の見えない少年には、不思議な力があるらしいことがわかってきます。ニッティ曰く、「この子は、いわゆる“癒し手”だ」。まるでリトル・ティブの夢のように、現実がぐにゃりと歪み奇跡が起きる。このあたりから物語は、宗教色を隠し味にしたファンタジーの様相を呈してきます。
とは言うものの、「網膜認証」が出てくるところからもわかるように、これは、ジーン・ウルフお得意のファンタジーの皮をかぶったSF。表面的に見えているものの裏側に、SF的な世界観が隠されています。詳しくは書きませんが、「アイランド博士の死」のニコラスのように、リトル・ティブもまた非情な世界の犠牲者です。
この作品がかぶってるファンタジーの皮のひとつが、『オズの魔法使い』です。少年の見る夢には、銅男、ライオン、服男が登場する。これはブリキのきこりやかかしのことでしょう。夢の中の彼らは、それぞれのやり方で少年に寄り添い彼を導いてくれる。

「あいつらを怖がる必要なんかないって言ってあげられればいんだけど」と服男は言った。「誰のことも怖がらなくていい、って。でも、そう言ったら嘘になる。だからそれよりもずっといいことを教えてあげよう――最後はすべてめでたしめでたしで終わるんだよ」

わ、つながった。服男の言葉は、「デス博士の島その他の物語」のラストのセリフと響き合います。そして、カチッとスイッチが入るように、世界のモードが切り替わる。
この世界には恐ろしいことがいっぱいある。でもね、絶望しちゃいけない。そのためのおまじないを教えてあげよう。めでたしめでたし。この瞬間、リトル・ティブはお伽話の主人公になる。「お話」は、非情な世界から逃れるシェルターになる。
果たして、少年の旅はめでたしめでたしで終わるんでしょうか? それは何とも言えないんですが、映画『オズの魔法使い』のワンシーンを連想させるラストシーンには、見えないはずの光が鮮やかに輝いてます。


ようやく、『デス博士の島その他の物語』読了です。
読み終えるのに苦労しましたが、冒頭の「デス博士の島その他の物語」から、ぐるっと円を描いてシェルターとしての「お語」というテーマに戻ってくるという、作品の並びが見事です。ラストが「希望」で終わるあたりも、着地が決まったという感じです。めでたしめでたし。