『デス博士の島その他の物語』ジーン・ウルフ【2】


ちょっと忙しくて、間が空いてしまいましたが、気にせずいきます。


「アイランド博士の死」
頭に傷跡のある少年が島の浜辺に現れるところから始まります。

少年はあきらめて立ちあがり、あたりを見まわした。頭が、ある種の爬虫類のように絶えまなく動いている――右、左、各動作のあいだにまったく切れ目がない。それが、休みなく、際限なく続く――四六時中――という理由で、これについては、呼吸のことを記す必要がないのと同じく、今後はそうふれないでおこう。少年は頭をゆすり、ゆすりながら、鎌首をもたげた蛇のように左右を見まわした。体はやせており、蛙のようにすっぱだかだった。

こういう屈折した書き方は気になりますね。わざわざ「そうふれないでおこう」と言うぐらいですから、これは、呼吸と同じくらい重要なことなんでしょう。
ふらふらとさまよう少年に波や椰子の葉擦れが語りかけてくる。声は「わたしの友だちはみな、わたしをアイランド博士と呼んでいる」「わたしはこの島(アイランド)の精、守護神だ」と言います。どうやら、島自体が語りかけてきているようです。
少年の名前はニコラス。アイランド博士と少年は、こんな会話を交わします。

「この世界は全部、わたしの目なんだ、ニコラス、わたしの耳でもあり、口でもある。だけど、わたしには手はない」
(中略)
「そうじゃなくて、あんたがここを動かしてるんだと思ってた」
「ここでは全部がひとりでに動いている。そして、きみ――ここにいる人たちみんな――が、その動きかたを決めているんだ」
(中略)
「ここは地球?」
「地球のほうが居心地いいかな?」
「行ったことないんだ。教えてくれよ」
「わたしは、今の地球よりももっと地球らしいんだよ、ニコラス。もしきみが、地球で指折りに美しい海岸の中から最高のものを選んで、この三世紀につもりにつもった有機物質やよごれを全部取り除いたとしたら、それがわたしだ」
「だけど、ここは地球じゃないんだろう?」

前作同様、ファンタジーっぽい設定だと思っていたら、これは、がっつりSFじゃないですか。つまり、これは数世紀未来のある星を舞台にした話だと。読み進めていくうちにわかってきますが、この星は精神に問題のある患者が収容される「治療星」なんですよ。それを管理するコンピュータが、「アイランド博士」らしい。そうなると、ニコラスの頭の傷や左右に頭を振り続ける動作は、彼の病気や治療に関わるものだということが見えてきます。
この島には、ニコラスの他に、殺人癖のある青年イグナシオと、緊張病の少女ダイアンが収容されています。ニコラスは、彼らと出会い、アイランド博士と話し、彼自身の過去を思い出しながら、この島の仕組みを徐々に理解していきます。例えば、天候について。この島では、島の患者たちの感情をモニターし、それに反応して天候が変わるように設定されているようです。アイランド博士の「ここにいる人たちみんなが、その動きかたを決めているんだ」ってのは、つまりそういうこと。

「ここではきみたちの大部分が悲しくなったとき、雨が降るんだよ」波がしゃべっている。「なぜなら、雨は人間の心理にとって、悲しいものの一つだから。たぶん、それが不幸な人びとに自分たちの涙を連想させるので、その悲しみが憂鬱をやわらげるのだろう」

「この雨、どこから降ってくるんだい? つまりさ、ここが急に寒くなったからじゃないだろ、カリストみたいに。きっと重力がどうかして減ったせいなんだ、ちがう?」
「海からくるのよ。この世界がどんなふうにできているか、知ってる?」

二つ目の引用は、ニコラスとダイアンとの会話。新たな世界像を見せてくれるのがSFだとすると、「この世界がどんなふうにできているか、知ってる?」っていうのは、いかにもSF的な問いですね。そして、この作品の読みどころもそこにある。未来社会で人類はどうなってしまったのか。治療とはいったいどういうことなのか。そして、この星の構造はどうなっているのか。それが徐々にわかってくるあたりは、SF的な興奮があります。
特にこの星の構造は、とても面白いです。このあたりはややこしいけど大事なところなので、ゆっくりと理解しながら読んだほうがいいでしょう。これから読む人の楽しみを奪っちゃうとマズいのであんまり詳しくは書きませんが、この星はガラス玉で内側に海がへばりついているような状態だと思ってください。つまり、雨は、遥か上空の海から降ってくるんですよ。
ガラス玉の中の病院。言ってみりゃあ隔離病棟です。もう一つ、連想させるものがあるとすれば、ガラスケースの中の実験動物です。
アイランド博士は、患者たちのすべてをモニターしていながら、「わたしには手はない」と言います。まさに、観察者。「Dctor」は、「医者」であると同時に「研究者」でもあるというわけです。「すくなくともきみたちの何人かが、社会復帰できるように」と言うアイランド博士の言葉はいちいちもっともで、なるほど、治療というのはそういうことなんだろうと思わせられますが、でもどこか腑に落ちない。すべてを、「機能」で語る博士に、世界を統べる者の残酷さみたいなものを感じるんですよ。

ニコラスはいった。「言葉なんて、頭がこんがらがるだけさ」
「そんなに言葉を見くびってはいけないよ、ニコラス。言葉にはそれ自体の非常な美しさがある上に、緊張をやわらげるにも役立つ。きみもその恩恵を受けるかもしれない」
「つまり、口先で自分をごまかすってことか」
「たとえ独り言でも、自分の感情を言葉にあらわす能力があれば、その感情に押しつぶされずにすむかもしれない、という意味だよ。(中略)言葉は一つの安全弁の役を果たすんだよ」
ニコラスはいった。「俺は爆弾になりたい。爆弾には安全弁は要らないや」(中略)
「爆弾は自分を破壊するよ、ニコラス」
「爆弾はそんなこと気にしないさ」

ニコラスは、何に怒っているんでしょう? 爆弾は、誰か特定の人物を倒すのではなく、世界を吹き飛ばすためのものです。つまり、世界そのものに怒っているように思えるんですよ。彼を病気として扱いガラス玉のなかに閉じ込めた、非情な世界すべてに「NO」を突きつけている。
このあと、どうなるかはもう書きませんが、ニコラスが何故ここに連れてこられたのか、そのショッキングな理由が明らかになります。「爆弾に安全弁は要らないや」というニコラスのセリフが、切なく思い出される。
アイランド博士は時折、詩を引用するクセがあるんですが、最後は何と松尾芭蕉の句で締めくくられます。

荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)

佐渡島流刑地だったことを思うと、何とも意味ありげです。


ということで、今日はここ(P141)まで。
これは、SFマインドが刺激されました。短編とは言え100ページ弱。かなり読みごたえがあります。ここでは紹介しきれなかったんですがニコラスやダイアン、イグナシオの過去や、島の構造に関わる〈焦点〉や〈極点〉など、興味深い細部がてんこ盛りで、そのどれもが重要そう。まるで、様々なレイヤーが重なり合ってる感じです。僕がどこまで読めているかはちょっと自信がありませんが、いくつもの解釈ができそうな話だったりして、そのあたりもとても面白かったです。