『デス博士の島その他の物語』ジーン・ウルフ【1】


デス博士の島その他の物語 (未来の文学)
今回は、SF。
『デス博士の島その他の物語』ジーン・ウルフ
です。
ジーン・ウルフは、アメリカのSF作家。文体にこだわる人らしく、その作風は難解だとか実験的だとか言われています。そう聞くとつい構えちゃいそうですが、この本は短編集なのでそれほど苦労せずに読めるんじゃないかと。
収録作品は、「デス博士の島その他の物語」「アイランド博士の死」「死の島の博士」「アメリカの七夜」「眼閃の奇蹟」の5編。最初の3編は、タイトルが単語の順列組み合わせになっています。原題で書くと「The Island of Doctor Death and Other Stories」「The Death of Dr. Island」「The Doctor of Death Island」。なかなか面白い趣向です。
ちなみに、この作品集の原題は『The Island of Doctor Death and Other Stories and Other Stories』。訳すと『「デス博士の島その他の物語」その他の物語』ってことですね。洒落てるなあ。
さらに、本編に入る前に作者による「まえがき」があるんですが、これもちょっとした趣向が凝らされています。


ということで、まずはその「まえがき」からいきましょう。
ここでは、本書に収録された言葉を並べ替えたタイトルの3作品の成り立ちが語られます。ちょっとしたジョークみたいな話なんですが、そのエピソードのあとにオマケのように短い作品が付け加えられています。そのタイトルが、「島の博士の死(Death of the Island Doctor)」。これは、この本を読んだ人へのプレゼントでしょう。なんて粋なはからい。

やがて博士はこういった。「しかし、なぜあらゆる時代の、あらゆる土地の人々が、島々をユニークなもの、ユニークで魔法に満ちたものと考えたのだろう? きみたちのどちらかが答えてくれるかね?」

「あらゆる時代の、あらゆる土地の人々」ってことは、作者ジーン・ウルフもまた、島ってものを「ユニークで魔法に満ちたもの」と捉えているということです。でも何故? その答えは、本編を読んでいくうちに分かってくるかもしれません。
ということで、本編へいきます。


「デス博士の島その他の物語」

落ち葉こそどこにもないけれど、冬は陸だけでなく海にもやってくる。色あせてゆく空のもと、明るい鋼青色だった昨日の波も、今日はみどり色ににごって冷たい。もしきみが家で誰にもかまってもらえない少年なら、きみは浜辺に出て、一夜のうちに訪れた冬景色のなかを何時間も歩きまわるだけだ。砂つぶが靴の上を飛び、しぶきがコーデュロイの裾を濡らす。きみは海に背をむける。半分埋まっていた棒をひろい、そのとがった先っぽで湿った砂の上に名前を書く。タックマン・バブコック、と。
それから、きみは家に帰る。うしろで大西洋が、きみの作品をこわしているのを知りながら。

冒頭部分です。美しいですね。冬の浜辺、ひとりぼっちの少年…。これだけで、シンとした寂しさが伝わってきます。「もしきみが」と不特定多数に呼びかけておいて、その段の最後に「タックマン・バブコック」と主人公の少年の名前を明かす流れも鮮やかです。ぐぐーっとカメラの焦点が合う感じ。
この作品の特徴は、「きみは家に帰る」という具合に、二人称現在形で語られていること。そういう小説がまったくないわけじゃないけど、それでもめったにないパターンですね。視点は常にタックマンに寄り添い、彼が見たもの聞いたもののみが綴られていきます。この文体から生まれる、絶妙な距離感が面白い。
タックマンは離婚した母親と暮らしていますが、母親は何か問題を抱えている風でもあり、彼にあまり関心がないようです。そこには大人の事情があったりするんですが、少年の視点に立った二人称の記述からは、それが断片的に窺えるだけです。
ひとりぼっちの彼は、ドラッグストアで買ってもらったケバケバしい表紙のSF怪奇小説を読み始めます。H・G・ウェルズの「ドクター・モローの島」を思わせる、マッド・サイエンティスト、デス博士の島に漂着したランサム船長の冒険譚。すると、その本の登場人物たちが、入れ替わり立ち替わりタックマン少年の前に現れ話しかけてくるようになる。
これは少年の妄想とも取れますが、ジーン・ウルフはそういう書き方はしません。他の描写と同じようにが彼見たもの聞いたものとして、二人称現在形で語られている。つまり、単純に妄想として片づけられないような書き方をしているわけです。「きみ」が体験したことは「きみ」の現実だと言いたげな、この繊細なタッチにシビれます。
本から出てきた人物たちは、現実世界の大人たちに比べ、タックマン少年の孤独をよく理解しているように見えます。面白いのは、ヒーローであるランサム船長よりも、悪役のデス博士のほうが、タックマンと心を通わせてるのように思えること。凛々しい正義よりも、それを翻弄する悪のほうが、何だか魅力的なんですよ。
随所に断片的に挿入される小説内小説では、例えばこんな風に描かれています。

ランサムは、自分の腕をおさえこんでいる怪物に目をやった。生き物の両手は、電柱すららくらくとつかめるほどの大きさだった。「あなたはこれを動物だというんですか?」
「動物、ちがう」怪物は、彼の腕をようしゃなくしめあげながら言った。「人間」
デス博士は大きく微笑した。「そうだ、船長、人間なんだよ。そこで問題だが、きみは何だろうな? きみをひととおり処理したら、わかるだろう。この哀れなけものたちを一人前にするのに比べたら、きみの思考を鈍らすくらい簡単なことだ。しかし、きみの嗅覚をどうすれば高められるかな? 直立歩行ができないようにすること、これはいうまでもない」

この余裕の口ぶり。「そこで問題だが」とか、言っちゃうわけですよ。ノーブルでインテリジェントな悪党。ヒステリックにわめくことなく、狂った論理を冷ややかに語る。やっぱり、ランサム船長よりもカッコいいなあ。
思えば僕も、子供の頃、ウルトラマン仮面ライダーシリーズの怪獣が大好きでした。ヒーローよりも、モンスターのほうに魅かれてたわけです。デス博士は、人体改造してモンスターを作ってる。これは、楳図かずおの『半魚人』ってマンガを思い出させます。指の間を切って水かきを作るシーンがあったんですが、子供心にゾクゾクしたのを覚えてます。
子供って、こういう話大好きですよね。変身の恐怖と裏腹の快感、みたいなものを感じるんじゃないかな。あと、異物とかはみ出したものに魅かれるっていうのもあるかもしれません。
タックマンはどんどん小説にのめり込んでいきます。

きみは枕の上に本をふせてはねおきる。自分の体を抱きしめながら、はだしで部屋のなかをぴょんぴょんとびまわる。わあ、おもしろい! すごいや!
でも今夜はここでやめよう。全部読んだら損しちゃう、あとは明日にとっておくんだ。明かりを消す。甘美な闇のなかでベッドの下に手をのばし、組立セットの部品や、ガソリンスタンド・ゲームのカードの箱をおしのけて、うやうやしく本をしまう。つづきは明日読もう、がまんするんだ。あごのところまでカバーをひきあげ、両手を枕にしてあおむけに寝る。目をとじると、島が見えてくる。海の風になびくジャングルの木々、熱帯の空を背景に冷たく灰色にそそりたつデス博士の島。

グッときますね。「全部読んだら損しちゃう」! わかるなあ。わかるよ、タッキー。お話に夢中になって読むのが止められなくなるのと同じくらい、読み終えたくないっていう気持ちが沸き上がってくることがあります。いつまでも浸っていたいわけですよ、そのお話の中に。現実がややこしいことになっていれば、なおさらです。
「きみ」っていう二人称は、タックマンくんのことを指していると同時に、読んでいる僕らのことも指しているんだと思います。読書に夢中になったことのあるすべての人を指している。僕はタックマンであり、タックマンにとって本の中がもう一つの現実だったように、僕らもまたこの作品の中に招き入れられる。
スト2行でデス博士が口にする言葉は胸に響きます。そこから、タイトルの「その他の物語」の意味が浮かび上がってくる。それはタックマン自身の物語であり、「きみ」と呼びかけられる読者自身の物語でもある。博士の言葉は様々な解釈ができそうですが、僕にはそれが、本を愛するすべての人への贈り物のような言葉だと思えてなりません。


ということで、今日はここ(P46)まで。まえがきのオマケ掌編を入れると2編しか読んでませんが、すごくいいです。何を描写して何を書かないでおくかが、とても練られている気がします。もちろん、書かれていないところが重要。こういう小説はじっくり読みたいですね。一気に「全部読んだら損しちゃう」。