『ペドロ・パラモ』フアン・ルルフォ【5】


簡潔にして濃密。これがこの作品『ペドロ・パラモ』の印象です。余計なものを削ぎ落とした文章の背後に漂う、濃密な気配。何かがありそうなんだけど、それが何だかなかなかわからない手探り状態で読み進んでいくわけです。
物語は、時系列をバラバラにした断片的なエピソードで語られていきます。最初は謎めいていたそれらのつながりが、徐々に見えてくるという仕掛けが面白い。
例えば、人と人との濃ゆいつながり。それは、血縁関係だったり婚姻関係だったりするわけですが、そういったものが背後にある。あるのはわかるんですが、それがなかなか見えてこない。
「名前」も重要ですね。人とのつながりは、名前で示される。ちょっとだけ出てきた名前が、あとあとキーになってたりするので、要注意です。例えば、「スサナ」という名前は、かなり最初のほうに出てきますが、彼女のエピソードが動き出すのは、後半になってからです。
この断章スタイルには、死者たちのつぶやきという意味があるんですが、大勢の人間の記憶によって、町の歴史が立体的に立ち上がるというところがポイントです。人々がつながっていくことで、過去の歴史が見えてくる。
過去の記憶は、水のイメージとともに語られます。

屋根からしたたり落ちる滴が、中庭の砂地に窪みをつくっていた。ポタ、ポタ、そしてまたポタと、煉瓦の間にはさまれた月桂樹の葉に滴が落ちて、葉が跳ねたりひっくり返ったりしていた。嵐はすでに去っていた。今はときおりそよ風がザクロの枝をゆすり、大粒の滴をしたたらせていた。地上でその水滴は、一瞬輝いてみせるが、やがて大地に吸い込まれてしまう。まるで眠っていたように身を丸めていたニワトリたちが、いきなり羽ばたいて中庭に飛びだし、雨で叩きだされたミミズを、くちばしでせわしなく突っついた。雲が引くと、太陽は石を輝かせ、あたり一面を彩った。地面の水を飲み干し、木の葉をそよがす風とたわむれて、葉の緑を輝かせた。

現在の荒れ果てたコマラの町の背後に、豊かだった頃の町の歴史が二重写しのように浮かび上がってくる。水は生命そのものであり、様々な媒介となるものです。つまり、町が滅んでいくということは、干からびていくことなのです。
コマラを出ていった女の息子フアン・プレシアドが町を訪れることで、この町はその円環を閉じます。父探しの物語が、父殺しの物語へとつながっていく面白さ。近親相姦の兄妹は町の周縁に追いやられてしまい、子供を持たない女は町の終わりを見届ける。
どん詰まりです。もう、血縁はどこへも広がっていかないし、歴史は途絶えてしまう。新しい出来事は、もうここでは起きません。人々は、土の下で過去の出来事を反芻するばかり。同じところをぐるぐるさまよう、永遠に閉じ込められた死者たち。
これが、この作品の濃密な気配の秘密かもしれません。僕は、死者のお喋りにすっかり酔ってしまいました。


『ペドロ・パラモ』は、これでおしまい。
次回は、ジーン・ウルフの『デス博士の島その他の物語』を読みます。