『ペドロ・パラモ』フアン・ルルフォ【3】


そう言えば、前回読んだ最後のあたり、ダミアナのセリフに主人公の名前が出てきました。フアン・プレシアド。でも、このタイミングまで名前がわからないってのもすごいですね。いろんな人物の名前が出てくるのに、主人公だけは名前という輪郭をなかなか与えられないわけです。それが、どこか、実体を欠いた不思議なもやもや感を生んでいます。いまがいつでここがどこなのかよくわからない、生と死が曖昧な世界。


では、続きです。

牛車が通り過ぎるのが見えた。牛は緩慢な足取りで進んだ。車輪の下で小石がきしる。男たちは眠っているようだった。
《……夜が明けると、牛車が通って町を揺るがすの。硝石やらトウモロコシやらパラー草をいっぱい積んで、方々からやってくる。車輪をきしませるので、窓はガタガタと揺れ、寝ている人は目をさます。ちょうどその時間にかまどが開けられて、焼き立てのパンの匂いが、あたりに漂うの。突然に雷が鳴り、雨が降ってくるかもしれない。それとも、急に春がやってくるかもしれない。向こうへ行ったらね、おまえは、いろんな〈思いがけないこと〉に出くわすだろうよ》
何も積んでない空っぽの牛車は、通りの静けさを破り、暗い夜道に消えていく。後に残るのは、いくつもの影。そして影から聞こえてくるささめき。

これは、主人公・フアン・プレシアドが町をさまよいながら見た光景。《》でくくられた部分は、おそらく、彼の母親が、コマラの地を思い出してるセリフでしょう。でも、思い出の中の美しいコマラと、今、彼がいるコマラはずいぶんと齟齬があります。荒れた人気のないゴーストタウン。牛車の荷台は、空っぽです。この牛車も幽霊かもしれません。
このあと、フアン・プレシアドは、声をかけてきた男の家に泊めてもらうことになります。

「ここで何をしてるんだい?」
「あの……」と口ごもって、おれは足を止めた。「父親を捜してるんだ」
「ま、入れよ」
中に入ってみると、天井の半分が落ちた家だった。瓦が転がり、屋根は地面に崩れていた。天井が半分残っている部屋に、ひと組の男女がいた。
「あんたがた、死んでいるんじゃないだろうね?」おれはふたりに尋ねた。
すると女が微笑んだ。男はじっとおれを見た。

まあ、さっきから死人にばかり会ってるわけで、言いたくもなりますよね、「あんたがた、死んでいるんじゃないだろうね?」。どうなってるんだ、この町は、と。それに、この家の描写も気になります。天井が半分落ちてるって、どういう状態よ? ほとんど、廃虚じゃないですか。この作品、情景描写はさほど多くないんですが、にもかかわらずラテンアメリカの荒れた風景が浮かんできます。
この男女がまた奇妙なんですよ。言い争ってばかりいるくせに、裸で一緒に寝てたりする。ただれた男女関係を思わせたりもするんですが、どうやら兄妹らしい。このあたり、何とも言えない濃密な気配があって面白いです。
でも、びっくりするのはこのあと。彼らの家を出たプレシアドは…って、これ、書いちゃっていいかなあ。まだ、この作品の半分までしかきてないから、いいよね。これから読もうと思ってる人、ごめんなさい、書いちゃいます。

空気がほしくて外に出た。だが、暑苦しさは依然として体にまといついて離れなかった。
というのも空気がどこにもなかったからだ。八月の酷暑に熱せられた、けだるい淀んだ闇しかなかった。
空気がなかった、口から吐き出される息が四散しないうちに手のひらでおさえ、もう一度吸い込まねばならなかった。そうやって吐いたり吸ったりするうちに空気がだんだん薄れていった。とうとうかすかになった息まで指の間から洩れて、永久になくなってしまった。
そう、永久になくなってしまったのだ。
泡立つ雲のようなものが頭上で渦巻くのが見えたのを覚えている。やがて、その泡にすっぽり包まれて、おれはもやもやとしたものの中に溶け込んでいった。最後に見たのはそれだった。

え? ええっ? 死んじゃった? 夏の粘つくような空気の中、息苦しくなっただけじゃないの? そう思ったりもしましたが、プレシアドくん、本当に死んじゃったみたい。しかも、死に方が異様でしょ。何、これ? まだ、半分ですよ。物語の半分。なのに、この先、どうやって話を進めていくんでしょう?
と思ってると、次の場面は、ドロテアっていう老婆とプレシアドの会話です。二人はどうやら土の下に埋められているらしい。そうなんです。この小説では、死者は生者のように語るし、幽霊となってさまよい歩くんですよ。なるほど、これなら主人公が死んじゃっても、物語は続けられるわけですね。
ちなみに、死んだプレシアドを埋めたのは、天井の半分落ちた家に住む兄ドニスとこのドロテアらしい。じゃあ、何でドロテアまで土の下にいるんでしょう? いろんなことがわかってきましたが、まだまだ謎めいてます。
このあとは、また断章形式で時間軸もバラバラな様々な場面が描かれます。ペドロ・パラモに仕えたフルゴル・セダノ、ペドロ・パラモの息子で悪党のミゲル・パラモ、自分は穢れてしまったと後悔するレンテリア神父…。そのエピソードの中には、ドロテア婆さんもダミアナ・シスネロスも登場します。徐々に、ピースがつながっていく。

わたしがいま寝(やす)んでいるこのベッドでむかし母さんが死んでいった。下に敷いてあるのはあのときの敷き布団だし、上にかぶっている毛布だって、わたしたちが寝るときに身をくるんだあの黒い毛布よ。母さんは腕の下にわたしを入れてくれたので、わたしたちは体を寄せ合って眠ったわ。
母さんのゆっくりした息づかいがまだ聞こえるようだ。母さんの心臓の鼓動や溜め息を聞きながら、わたしはすやすやと寝ついたものよ。母さんが死んで悲しみが胸に押し寄せる……。
いえ、これはうそ。
ここに、こうして仰向けになって、さびしさを紛らわそうとして、あのころのことを思い出してるの。だって、こうして横になってなきゃならない時間はそう短くないんだから。それに、母さんのベッドに寝てるんじゃない。死んだ人を埋めるときに使うような、黒い箱の中に入ってるんだもの。死んだんだもの。

そりゃあ、死ぬでしょ、人間だもの。いや、ホントは死んだ人間は喋らないんですが、さすがにもう驚きませんね。この小説は、死者の声であふれています。そこへまたひとつ、「死んだんだもの」と死者のつぶやきが増えただけのこと。
ところで、こうした諸々の断章には、三人称で書かれているものと、一人称で書かれているものがあります。客観描写と主観描写。語りのレベルが違うわけです。これ、ちょっと注意したほうがいいかもしれません。
主人公の名前がなかなかわからなかったように、一人称は語り手が誰なのかわかりづらいんですよ。もちろん、作者はわざとやっているんでしょうが、そのせいで模糊とした印象が深まります。ここで「死んだんだもの」って言っているのは、誰なのか。それが、ピースとピースをつなぎ合わせていくうちに、ぼやーっと見えてくる仕掛けになっています。例えば、こんな風に。

「今ながながと喋ってたのはあんたかい? ドロテア」
「誰? わしだって? わしゃちょっと寝てたよ。まだ恐ろしいのかい?」
「話し声が聞こえたんだ。女の声だったよ。あんたかと思った」
「女の声? わしかと思ったって? ありゃきっと独り言をいう女だよ。大きな墓に入ってる女さ。スサナっていってな、わしらのそばに埋められてるんだよ。湿気にやられて、うとうとしながら、身動きしてるんだろ」
「誰だい、その人は?」
「ペドロ・パラモの最後の女房さ。気違いだって話だが、そうじゃないって言う者もいるよ。もっとも、生きてたころから独り言をいってたがね」

これは、土の下にいるフアン・プレシアドとドロテアの会話。この二人の会話は、様々なエピソードの合間に、ちょいちょい差し挟まれます。で、ここから、「なるほど、前章はスサナの話だったわけね」とわかる。
ん、スサナ? 少年時代のペドロを描いた場面で、何者かによるスサナへの呼びかけが挿入されてましたね。そのときは脈絡がよく見えなかったんですが、いよいよつながってきました。おそらく、愛しいスサナに呼びかけていた主は、ペドロ・パラモでしょう。そうすると今度は、なぜそれが少年時代のシーンに登場したのかが気になってきます。そのあたり、どうなんでしょう?
エピソードがつながっていくだけじゃなくて、だんだん語りの仕掛けが見えてくる。これが、この作品の醍醐味です。最初は迷路をさまよっていたのに、いつの間にか見晴らしのいい場所に出てる、みたいな。いや、まだわからないことはいろいろありますよ。あるけど、ようやく大まかな地図らしきものを手にした気がします。
さて、スサナとペドロの関係がどんなものだったのか? 町がゴーストタウンになってしまった理由を、ドロテア婆さんはこう語ります。

「どれもこれもみんなペドロ・パラモの妄想と心の中のいざこざのせいなのさ。それもたかだか奥さんのスサナに死なれたからだよ。どんなに好きだったかわかるだろ?」

スサナは気違いだった? ペドロの妄想? 気になります。これ、「狂恋」といったものかもしれません。


ということで、今日はここ(P136)まで。中盤のびっくりするような展開を越え、徐々に全体像が見えてきました。もやーっとした幻想的な話だと思っていましたが、この小説の構成は、かなり緻密なんじゃないでしょうか? そのあたりも、とてもスリリングです。