『ペドロ・パラモ』フアン・ルルフォ【1】


ペドロ・パラモ (岩波文庫)
バートルビーと仲間たち』に登場した作家を読むっていうことで、いろいろ迷ったんですが、書けなくなった理由として「セレリーノおじさん」を挙げていた、この作家にしました。
『ペドロ・パラモ』フアン・ルルフォ
です。
フアン・ルルフォはメキシコの作家で、作品は生涯でたったの2冊のみ。1955年にこの『ペドロ・パラモ』を書いてからは、筆を折ってしまったとか。にもかかわらず、ガルシア・マルケスと並ぶ、ラテンアメリカ文学の重要作家として、世界的に評価されているようです。
この作品は岩波文庫で224ページ。本文だけで数えれば、ジャスト200ページ。かなり短めですね。これなら、つるつるっと読めちゃうんじゃないかな。
では、いきます。


まずは、冒頭から。

コマラにやってきたのは、ペドロ・パラモとかいうおれの親父がここに住んでいると聞いたからだ。おふくろがそれを教えてくれた。おふくろが死んだらきっと会いに行くと約束して、そのしるしに両手を握りしめた。おふくろは息をひきとろうとしていた。だから何でも約束してやりたい気持ちだった。「きっと会いに行っておくれよ」とおふくろはおれにすがるように言った。「父さんはこういう名前だよ。おまえに会えばきっと喜ぶよ」するとおれは、ああそうするよ、と言うよりほかはなかった。そしてそのことばを何度も繰り返したので、おふくろの死んだ両手の中からやっとの思いで自分の手を引きはがしたあとでも、まだ同じことばをつぶやいているのだった。

スッと物語の世界に入り込める、いい導入ですね。これだけで、いろんなことがわかる。題名の「ペドロ・パラモ」は人名で主人公の父親である。主人公は、母親が死んだあと、コマラという町に住む父親に会いにいくことになっている。ふむふむ。あと、くだけた訳の雰囲気もいいですね。
次のシーンでは、「シャボテンの草のすえた臭いのしみこんだ八月の熱い風が吹く、暑さの真っ盛り」、主人公はコマラへ向かう道を進んでいます。途中で出会った地元のロバ追いの男と道中を共にしているんですが、この男の言うことが何だか思わせぶりで気になります。

「お祭り騒ぎになるだろうよ」ととなりを歩く男の声がまた聞こえた。「ここにゃ、もう何年も人がきてねえんだ、客が来るとなりゃ、そりゃ喜ぶだろうよ」
それから言いそえた。
「旦那が誰であれ、喜ぶさ」

何? どういうこと? 「旦那が誰であれ」とか言われると、何か逆に怖いんですけど。まるで本来は歓迎されるべきじゃない人物だと言ってるみたいじゃないですか。考えすぎかなあ。
さらに、このロバ追いは「おれもペドロ・パラモの息子なんだ」と言い、その人となりについて「ありゃ憎しみそのものだ」とも言います。いきなり、びっくりするような展開。でも、主人公は別に驚くでもなく、淡々と話を聞くだけ。さらに、コマラの町についてのこんな会話で、この章は終わります。

「(前略)人が住んでないみたいにひっそりしてるじゃないか。誰もいないみたいだ」
「みたいだ、じゃなくて、ほんとうにそうなんだ。誰も住んじゃいねえんだ」
「じゃ、ペドロ・パラモは?」
「ペドロ・パラモはとっくの昔に死んでるのさ」

え、死んじゃってるの? またまた、びっくり。主人公は父親に会いにこの町へやって来たんでしょ。始まってすぐに、「死んでる宣言」ですよ。どうなってるんでしょう? あと、「お祭り騒ぎになるだろうよ」って言ったすぐあとに、町には「誰も住んでない」って言うのも、妙な話です。
始まってまだたったの7ページ。なのに何でしょう、この濃密さは。まだ何にも起きてないっていうのに、すでに気になることがてんこ盛りです。
ロバ追いの男の名はアブンディオ。ほとんど、ゴーストタウンのようなコマラの町に到着した主人公は、アブンディオに紹介されたコマラの女性の家に泊めてもらうことにします。それはいいんですが、この町って誰も住んでないんじゃなかったの?
女性の名前はエドゥビヘス。彼女の薄暗い家の中も、どこか奇妙な感じです。

「ここにあるのはなんだい?」
「がらくたさ」と女は答えた。「家じゅうがらくたでいっぱいなのさ。町を出てった連中が、この家を家具置場にしたんだけど、誰も取りに帰ってこなかった(後略)」

他人の家具が山と積み上げられた部屋…。それだけで、ちょっと幻想世界に足を踏み入れたような気分になります。さらに、まるで何人もの人々がこの町を出てったような口ぶりも気になる。やけに町が静かなのはそのせいでしょうか? 結局、この町にはどのくらいの人が住んでるんでしょうね。
さらにエドゥビヘスは、こんなことまで言い出します。

「(前略)ベッドはあした用意するよ。わかってるね、物事ってのはそんなに簡単にゆくもんじゃない。だから前もって知らせてくれなくちゃね。ところがあんたの母さんときたら、きょうになって知らせてくるんだからね」
「おふくろがかい? おふくろはとっくに死んじまったよ」
「ああそれで声があんなにかすかだったんだね。ずっと遠くから聞こえてくるみたいだったよ。やっとわかった。それで、亡くなってからどのくらいになるんだい?」
「もう七日になるよ」

いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。「死んじまった」って言ってるのに、「やっとわかった」って…。会話が噛み合ってません。エドゥビヘスは、かつてこの町で暮らしていた主人公の母親ドロリータスと、大の仲良しだったとか。にしても、言ってることがムチャクチャです。
さっきから何なんですか、ここに出てくる人たちは? フツーの調子で次々ととんでもないことを言うんだから。暑い8月、ひっそりとした家々、わけのわからない人々…。何だか妙なところに迷い込んだ感がプンプン匂います。父親探しの旅が、すでに迷宮の様相を呈しています。
と、ここまでで、まだ十数ページしか進んでません。文章は平易で簡潔。ごてごてした描写はなく会話も多くて読みやすい。にも関わらず、謎めいた情報がぎゅぎゅっと凝縮されていて、えらく濃いんですよ。
もう一つ、特徴的なのは、短い章の積み重ねで書かれていること。そのせいで、シーンが飛び飛びに現れるような印象を受けます。さらにこのあと、ちょっと場面転換があります。と言っても、何の説明もないので、すぐにはどんな場面なのかよくわかりません。
外は雨。少年は便所に籠もっている。この少年の視点に立って描かれる断章がいくつか続きます。しばらく読んでいくと、母親がこの少年の名前を呼ぶシーンが出てきます。「ペドロ!」。え、ペドロ? ペドロ・パラモのこと?

夜になってまた雨が降りだした。しばらくのあいだ彼は、ゴトゴトと湯が煮えたぎるような雨の音を聞いていた。やがて眠ってしまったらしい。目が覚めたときは、静かなぬか雨の音しか聞こえなかった。窓ガラスは曇っていて、裏側には水玉が涙のように太い筋をつけながら流れ落ちていた。《稲妻に照らされた雨粒が落ちるのを見てたんだ。息をするたび溜め息をついて、頭の中はおまえのことでいっぱいだったんだ、スサナ》

「湯が煮えたぎるような」雨音ってのはすごいですね。凄まじい土砂降りをイメージさせます。ところでこうしたペドロ少年のシーンには、よくわからない心の声みたいなものが、時折挿入されています。スサナという女性へ呼びかける《》でくくられた部分が、それに当たります。声の主はスサナを愛しているような口ぶりですが、これ、少年の心の声にしてはやけに大人びてますね。うーん、何なんだ?
場面は、またエドゥビヘスの家に戻ります。話題がロバ追いのアブンディオに及ぶと、彼女は「アブンディオはもう死んだんだ」と言います。またしてもサラッと言ってますが、どういうことなんでしょう? 何だか、出てくる人、出てくる人、みんな「死んだ」ってな話になりますね。誰が生きてて、誰が死んでるのか、よくわからない。死者の町か、ここは?
さて、この場面でも《》でくくられた心の声のようなものが挿入されます。でも、これは、さっきのとちょっと違うみたい。どうやら、主人公の母親ドローレスのセリフのようでもありますが、よくわかりません。

《……青々とした平原。穂が風にそよぎ、地平線が波を描くのが見える。午後になると陽炎が立って、雨が幾重にも渦を巻いて降りそそぐ。土の色、アルファルファとパンの匂い。こぼれた蜜の匂いを漂わせる町…》

って、これ、コマラの町のことでしょうか? だとしたら、今のこの町の雰囲気とはかなり違う気がしますが…。今のコマラは、ほとんど死者の町ですからね。


ということで、今日はここ(P35)まで。非常に不思議な感触です。何も起きてないのに展開が早い。文体はさらっとしているのに内容は濃い。ルルフォの文才はかなりのものなんじゃないでしょうか。すごく面白そうな予感がします。