『バーナム博物館』スティーヴン・ミルハウザー【3】


「探偵ゲーム」
これは、この短編集の中で、最も長い作品。「シンバッド第八の航海」や「アリスは、落ちながら」同様、短い章がいくつも続くスタイルで綴られています。ちなみに、「探偵ゲーム」とは、「クルー」っていう実在するボードゲームのこと。僕はよく知りませんが、訳者ノートによれば、アメリカではポピュラーなゲームだそうです。
盤面には線で仕切られたいくつかの部屋があり、その上で各キャラクターのコマを動かしていく。さらに手札があって、そこには容疑者・殺人現場・凶器が書かれている。というようなことは、ミルハウザーが執拗に描写しているのでわかるんですが、具体的なゲームの進行は作品中にはほとんど描かれません。このゲームは、盤上での殺人事件の犯人を推理するというものらしいんですが、本文中にはその事件そのものが出てこない。
そのせいで、肝心のゲームのルールがよくわからないんですよ。なので、読んでいてちょっと隔靴掻痒の感がありました。まあ、書かれていない以上、それはわからなくてもいい情報ということにして、手持ちのカードで読んでいくことにします。
作品中に登場するゲームのプレーヤーは4人。ゲームの進行とはまた別に、彼らはそれぞれ相手が何を考えているのか、自分のことをどう思っているのかを探り合っています。それと並行して描かれるのが、ゲームのコマたちが演じるドラマ。彼らもまたお互いの気持ちを探り合っているんですが、それもゲームの進行とは直接関わりなさそうです。盤の外と内とで繰り広げられる推理合戦。でも、この推理はゲームの内容とは関係がないというところがミソです。これ、ミルハウザーはわざとやってるんでしょうね。
さあ、ミルハウザーが広げたカードを整理しましょう。この断章の語りは、大きく3つのレベルに分けられます。
1 ボードや駒やカードなどなど、ゲームのモノとしての客観描写
2 ゲームのプレイヤー4人(ジェイコブ、マリアン、デイヴィッド、スーザン)の様子とその心理
3 6種類のコマたち(ミス・スカーレット、マスタード大佐、グリーン氏、ホワイト夫人、ピーコック夫人、プラム教授)が繰り広げるドラマとその心理
これらが順繰りに出てくるという構成。そのせいで視点がくるくる入れ替わり、遠近感がちょっと狂うような面白さがあります。例えば、何気ないこんな描写。

彼女が赤いサイコロを振ると、サイコロは食堂を通って社交室のなかに転がっていき、スタンドのかたわらで止まる。

「食堂」も「社交室」もゲームの盤上に描かれた部屋です。だけど、ここを読むとき、一瞬、巨大なサイコロが部屋をゴロゴロ突っ切っていくような気がしちゃう。視点をゲームの内側に置くのか外側に置くのか、混乱するんですよ。次の「舞踏室」も、盤上の部屋です。

舞踏室。ジェイコブにとって、舞踏室はフォンテンブローの城の大舞踏室である。十七歳になったときにパリで過ごした夏、日帰りでフォンテンブローを訪ねた日のおぼろげな記憶。(中略)マリアンにとって舞踏室は、もうほとんど忘れてしまった白黒映画である。花婿に捨てられた花嫁が、独りぼっちでワルツを踊る。(中略)デイヴィッドにとって、舞踏室は高校の体育館である。春のダンスパーティーのために、ピンクと緑のクレープペーパーで飾りつけた体育館。(中略)スーザンにとって、舞踏室は思い描かれないままである。それはただの、盤上のグレーの長方形でしかない。

ボードに描かれた舞踏室は、見る者によって様々に変化します。さらに別のシーンでは、ゲームの駒たちがその部屋を舞台にしたやり取りが繰り広げられる。でも、ゲームにほとんど関心を持たないスーザンにとっては、ただのボール紙に描かれた長方形以上のものではないんですよ。ミルハウザーは、小説に没入しようとする読者に、そうやって冷や水をぶっかけます。考えてみたら小説だって、紙に書かれた文字の連なりにすぎないんですよね。でも、そこに「想像=創造」の秘密がある。読者のまなざしによって、初めて世界は立体的に立ち上がるんです。

彼女はジェイコブを見ることができない。ジェイコブときたら、是非一緒に来いなんて言っておきながら、あんな風にワインばかり飲んで、彼女のことなんか放ったらかし。(中略)ああ、犯人はジェイコブよ。ポーチで。凶器はあの冷たい目。

グリーン氏は、わが家の裏にある、花園に囲まれた静かなあずまやのことを想い、自室の肘掛け椅子を覆う使い込まれた革のことを想う。母親に言われた通りだ。ろくな週末にならないでしょうよ、そう母親は言ったのだ。

恋人は、まるで木でできたゲームのコマのように、何を考えているのかわからない。ゲームのキャラクターは、まるで実在の人物であるかのように母親へと想いを馳せる。このあたりまでくると、プレイヤーとコマの差は、ほとんどないように思えてきます。
ゲームも終盤、蒸し暑い夏の夜も更けてきます。

ずっと沖の方で灯台の明かりが点滅し、暗い水と暗い空が出会い、やがてどちらも闇のなかに消えていくさまを照らし出している。陸の方では、一マイル先のショッピングセンターの鈍い赤の照明が空にぼんやり浮かんでいる。ふたたび霧笛が鳴る。ロス家のポーチで、デイヴィッドがそれに耳を澄ませながら、列車の汽笛や、夜の旅や、遠い街や、見られることをひそかに待っているすべてのまだ見ぬ地に思いをはせる。

ゲームの盤上や、ゲームが行われているポーチばかりが執拗に描かれるなかで、ときおりフッとこういう章が挟まれます。カメラがググーっと俯瞰になるような感じ。そのとき、世界はゲームのボードと化します。灰色の長方形が舞踏室になるように、世界は見られることで息づき始めるんでしょう。その瞬間を、世界はじっと待っています。
ところで、ゲームのコマのひとつに「プラム教授」というキャラクターがいるんですが、ここ家庭はプラム教授のコマのみ、何かのはずみで無くしてしまったとか。果たして、そのコマはどこに行ったのか? ミルハウザーは、洒落た答えを用意しています。不在の駒が導き出す幻想。やられた、と思いましたね。


ということで、今日はここ(P209)まで。この作品は、けっこう難物でした。ちょこちょこと謎めいた記述があって、深読みしようと思えばいろいろできそうな話なんですよ。僕は、どこまで読めてるか自信がないなあ。
それにしても、「シンバッド〜」からここまで読んできましたが、どの作品もフィクションと現実との関係を描いているように思えます。いわゆる、メタフィクション。それがこの短編集の特徴じゃないかな。