『イン・ザ・ペニー・アーケード』スティーヴン・ミルハウザー【2】


『イン・ザ・ペニー・アーケード』の第二部。収録されているのは、「太陽に抗議する」「橇滑りパーティー」「湖畔の一日」の三つの作品。これらは、ミルハウザーには珍しい、リアリズムを基調に女性心理を描いた作品群です。なので、ミルハウザーらしい幻想性を求める読者には、ちょっと物足りないかもしれません。どれも日常のとある瞬間を切り取った作品で、ストーリーもどってことはありません。
でも、再読して印象が変わりましたね。描写の緻密さは、やはりミルハウザーならでは。それが、読んでるとじわじわくるんですよ。ということで今回は、三編まとめていきましょう。


では、まず「橇滑りパーティー」の冒頭から引用。

キャサリンが行ってみると、それは実のところ二つのパーティーだった。屋内のパーティーは暖かい、ランプの灯る遊戯室で開かれていて、調子っぱずれのピアノの蔭からは畳んだ卓球台が顔を出している。一方屋外のパーティーは、アンダスン家の裏庭の雪の積もった坂で進行していた。坂のてっぺんから見下ろすと、照明灯に照らされた車寄せの道と、暗い、シャッターなしのガレージが見えた。ガレージの奥はそのまま家の勝手口になっている。照明灯の下で、雪をずっしり背負った草むらが光沢を帯びて輝く。外側の皮はぱりぱり、中はこってり柔らかいパイといった感じだ。時おりガレージの奥の、遊戯室に通じるドアが開き、話し声や笑い声やロックンロールがわっとあふれ出てきて、やがてまた一気に静まりかえる。しばらくすると、冬のコートに身を包んだ、影のような姿がガレージから出てきて、照明のぎらぎらした光の中に現われ、それでその姿がリンダ・シュリックなりカレン・ソルティスなりビル・ニューマイヤーなりロジャー・マリーなり、誰であれ暑く混みあった部屋を出て新鮮な冬の夜の空気を吸いに来た人物であることがわかるのだった。その姿は車寄せを横切り、坂道を上って、柳の木のかたわらに集まった人々の輪に加わり、冷たい空気の中で煙草を喫ったり、雪の坂道を橇で滑り降りたりする。二つのパーティーのいいところは、両方のあいだを行ったり来たりできることだ。閉じ込められたみたいな気分を味わわずに済む。

いいっ。これは、グッと掴まれますね。この若者たちのパーティーの魅力的なこと! 部屋の中の熱気とざわめき。雪の積もった屋外の冷えた空気と静けさ。この対比が素晴らしい。パーティーの喧騒を逃れて煙草を喫いに外へ出る。似たような先客がいて、ぼそぼそと言葉を交わす。部屋から音楽とオレンジの明かりが漏れてくる。またにぎやかな部屋に帰りたくなって、雪を払い戻っていく。そういった諸々が鮮やかに目に浮かび、パーティー特有の華やいだ気分がふわっと伝わってきます。僕も、このパーティーに参加したいな。
こういう光景を描きだすとき、ミルハウザーの筆は冴えますね。この第二部の主人公である女性たちは、三編ともこのようにとても魅力的な環境の中にいます。眩しい夏のビーチ、雪積もる夜のパーティー、週末の湖畔のロッジ…。ところがあることをきっかけに、それがガラッと様相を変えてしまう。いや、環境自体は変わらないんですよ。ただ、彼女たちの心に影が兆すんです。すると、もう前と同じように景色を見ることはできなくなってしまう。まるでレイモンド・カーヴァーの小説みたい。こうした女性の機微を捉えた、心理描写も読みどころのひとつでしょう。

世の中にはああいう、いつまで経っても大学の寮の世界から卒業しない女がいる。見ていて本当に苛々してくる。悲しい打ち明け話、自己満足的な告白をわかち合う場を死ぬまで探し求めているのだ。革張りのソファ、山になった灰皿。くしゃくしゃのアーモンド・ジョイの袋がかさこそとかすかな音を立て、縦横に窓枠が走る高い窓からは灰色の夜明けが次第にさし込み……陰気な女は世界が終わる日までその寮を探しつづけるだろう。いい加減にして欲しい。

これは、「湖畔の一日」より。主人公ジュディスによる、旅先でたまたま出会った女性に対するコメント。キャリア・ウーマンのジュディスは、この手の甘っちょろい女性がカンに触るようです。夜明けまで続くうんざりするような打ち明け話、女の友情のもたれ合い。ああもう、「いい加減にして欲しい」。いや、僕が言ってるんじゃないですよ。ジュディスがそう思ってるってこと。「大学の寮の世界から卒業しない女」って、言いますねえ。この同性に対する辛辣な目線! ミルハウザーは男性ですが、女性の手厳しさを見事に捉えている。そして、この辛辣さがあとあと効いてきます。
ジュディスの心に危機が訪れたとき、彼女はふいに少女時代のことを思い出します。ちょっとばかし唐突に挿入される、地球や星のことを教えてくれた父親の思い出。ささやかな出来事なのになのに、やけに記憶に残っているエピソード。こうした細部が、魅力的なんですよ。ミルハウザーの登場人物たちは、いつも子供時代の記憶に帰っていきます。「橇滑りパーティー」では、主人公キャサリンが中学時代や高校時代の愉快なエピソードを思い出し、「太陽に抗議する」では、主人公エリザベスがかつて飛行船を見たことを思い出します。

それにしてもあれは本当にすごい眺めだった。まるっきりおとぎ話みたいに。彼女がまだ小さかった、ある夏の日のことである。一家はいまと同じこの浜辺に来ていた。飛行船以外、彼女は何ひとつ覚えていない。それは突如現われて、空を覆いつくしたのだ――気のいい鯨みたいな、巨大な葉巻みたいな姿で、いや、この世の何とも似ていない姿で。風船よりも格好よかったし、アザラシよりも格好よかった。彼女は空を見上げた。みんなが空を見上げた。何しろ飛行船が現われたら、これはもう空を見上げるしかないのだ。(中略)そして突然――それは本当に素敵な眺めだった――空からいろんな物がばらばら落ちてきたのだ。それらはすうっと斜めに空を落下し、突如いっせいに小さなパラシュートが開いた。緑、赤、黄、青、いろんな色のパラシュートがゆっくりはすに落ちてきて、水も深い沖合いに着水し、それから手前の浅瀬に落ち、そして砂浜にも着陸した。人々は喚声を上げ、落ちてくるパラシュートをつかまえようと飛びはね、水の中に走っていった。

まるで夢のような思い出です。夏の浜辺の眩しさ、飛行船のゆったりとした動き、青空に映えるカラフルなパラシュート…。さっきまでビーチで遊んでいたのに、時間が止まったかのように空を見上げて動かない人々。そしてパラシュートが開くと、魔法が解けたかのように、いっせいにそれを追いかけ始める人々。これまた、目の前にくっきりと浮かびますね。「まるっきりおとぎ話みたい」な、この甘美な記憶。
これら三編はリアリズムタッチで描かれていると言いましたが、少女の頃の記憶は「おとぎ話」なんですね。でも、そんな少女時代はもう戻ってはこない。あの幸福な時間は失われてしまった。彼女たちは、そのことに気づいてしまったんじゃないかな。そして、気づいてしまった以上、もう今までのように世界を眺めることはできない。いや、他にもいろいろ理由はあるんでしょうけど、この三編がどれも「大人になること」をめぐって書かれているのは間違いないでしょう。
このあと彼女たちは、三者三様の行動を取ります。中でも僕は、一番「壊れ度」が高い「湖畔の一日」のジュディスの気持ちが、腑に落ちるというか理解できる気がしました。けっこう痛い気持ちなんですけどね。年齢が彼女と近いからかな。大人になるのは痛いんですよ。


ということで、今日はここ(P192)まで。これらは、一見ミルハウザーらしくない短編ですが、こうやって読むとやっぱりミルハウザーだなあと思います。
それにしても、「橇滑りパーティー」。しつこいようですが、参加してみたいです。あと、ビーチの飛行船も見てみたい。