『アインシュタインの夢』アラン・ライトマン【4】


アインシュタインには、どこかロマンチックなイメージがありますね。その生涯やキャラクターには、物語の題材にしたくなるような魅力がある。そしてこの作品の一番の魅力は、そんなアインシュタインが見た夢を並べた、掌編集という構成でしょう。そりゃあ、読んでみたくなりますよ。
ただ一方で、この構成はどうあっても、僕の大好きな作家イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』を連想させます。「インタールード」が挿入されるところまで、そっくり。でも、カルヴィーノと比べるのはちょっと酷かもしれませんね。あのののびのびとした想像力にはさすがに及ばない。ライトマンの場合は、非常に上品でお行儀のいい想像力といった感じです。奇妙な夢の世界ではあるけれども、どこか現実から足を放さない。その「やりすぎないところ」が、物足りないといえば物足りないし、味わい深いといえば味だったりもします。詩的だったり哲学的だったりしつつストイックな文体にも、ライトマンの品のよさがうかがえます。
さて、この小説に登場する日付「一九〇五年」は、アインシュタイン相対性理論を発表した年です。小説の冒頭では、様々な夢のうちの一つが、相対性理論を生み出すきっかけになったとほのめかされています。
でもどれが? 出てくる夢の総数は30。そのどれもが奇妙な世界を描いています。本当にこの中に、僕らの世界の仕組みを解明する理論が隠されているんでしょうか?
僕らは、アインシュタインの夢を一つ一つ渡り歩きながら、その不思議さに驚きます。そしてそれは、現実世界の仕組みの不思議さにつながっていく。夢の世界で「どのキスもやむにやまれぬキスである」とあるとき、僕らは現実世界のキスの甘美さを思い出し、夢の世界で「世界が雨降りで終わることに驚く」とあるとき、僕らは現実世界のにわか雨のにおいを思い出します。
ありえたかもしれないいくつもの世界を覗き見ることで、同時に、今、ここの、かけがえのなさが浮かび上がってくる。あのときのキス、あのときの雨のかけがえのなさ、その不思議さ。
科学とは、世界の不思議に触れようとする試みです。そして、たぶんこの小説も。


アインシュタインの夢』を終わります。