『アインシュタインの夢』アラン・ライトマン【3】


読み終えました。早っ。まあ、その気になれば一日で読めちゃうような薄い本なんですが。


ではまた、その夢のいくつかを紹介しましょう。
「一九〇五年六月二日」の夢は、時間が逆に流れる世界。この夢には、アインシュタインを思わせる人物が登場します。

中年の男が勲章を手にして、ストックホルムの講堂のステージをおりる。その男はスウェーデン王立アカデミーの会長と握手し、ノーベル物理学賞を授与され、はなばなしい業績を讚えるスピーチに聞きいる。つかのま、男はいまからもらう賞のことを考える。たちまち、彼の考えは二十年後の未来に飛ぶ。そのころには、鉛筆と紙だけを道具に、小さい部屋でひとり研究をつづけることだろう。

「二十年後の未来」とは、つまり若い自分のことです。アインシュタイン青年は、夢の中で、年をとりノーベル賞を手にする未来の自分を見ている。その未来の自分は、「未来」の若い自分を夢想している。この合わせ鏡のようなループに、くらくらします。
この他にも、アインシュタインの生涯についての知識があれば、あちこちに出てくる人物の描写にアインシュタインの面影を見つけられそうな気がします。劣等生だった少年時代や、妻との離婚などなど、それっぽい気がするんだけど、どうなんでしょう。
もう一つ、「一九〇五年六月十一日」の夢を。この世界は、未来がない世界。人々は未来を想像できず、計画を立てたり予測したりすることは一切ない。常に現在を生きている。以下は、オープンカフェに座る青年の様子です。

そのうちに、黒い雨雲が町の上空に近づいてくる。しかし、青年はテーブルの前から動かない。彼には現在しか想像できないし、この瞬間の現在は、空は暗くなってきたものの、まだ雨は降っていないからである。青年はコーヒーを飲み、ペストリーを食べながら、世界の終わりがとても薄暗いことに驚く。しかし、まだ雨は降らず、青年は薄暗がりの中で新聞に目をこらし、彼の人生で読む最後のセンテンスを見わけようとする。やがて、雨が降りだす。青年は屋根の下に移動し、濡れた上着をぬぎ、世界が雨降りで終わることに驚く。青年はシェフと料理のことを話しあうが、雨がやむのを待っているわけではない。なにを待っているわけでもない。未来のない世界では、どの一瞬も世界の終末である。二十分後に雨雲は通りすぎ、雨がやみ、空が明るくなる。青年は自分のテーブルにもどり、世界が晴天で終わることに驚く。

未来がない世界なんてイヤだと思ってましたが、このパートを読むと、それはそれで悪くないんじゃないかという気もしてきます。少なくとも、薄暗さや雨や太陽への感動は、僕らの現実世界よりもずっと大きいんじゃないでしょうか。世界が常に生まれ変わるような驚きに満ちている。これは前に紹介した、「原因と結果が不安定な世界」のバリエーションですね。僕はどうも、こういう世界が好きみたい。
ところで、これらの夢に出てくるカフェや通りや広場など街の風景は、アインシュタイン青年が暮らしたスイスのベルンが舞台となっているようです。夢とは言え、まったくの別世界ではないんですよ。その結果、それぞれの世界で暮らす人々にも、それぞれの日々の営みがあることが静かに伝わってくる。時間の様相は奇妙なのに、そこにも僕らと同じようなささやかな暮らしがある。そこで暮らす人々とって、それが日常なんですよ。
「時間」が謎めいているのは、誰もそれを外から観察することができないからです。外から見れない以上、自分の属している時間の様相がまともかどうかなんてわからない。それを当たり前のものとして暮らすことになる。ということは、僕らの現実世界だって、その中にいるからわからないだけで、外から見たら相当奇妙なものかもしれないですね。それこそ「相対的」なものじゃないかと。


ちなみに、この小説の現実パートとも言うべき、「インタールード」の舞台もベルンの街のようです。
ここでの若き日のアインシュタインと友人ベッソーのやりとりは、なかなかいいいですね。

昼食のあと、アインシュタインとベッソーはボートの座席をとりはずし、仰向けに寝ころんで空を見あげる。きょうのアインシュタインは釣りをあきらめたのだ。
「ミケーレ、あの雲はなんに見える?」
「山羊がしかめっつらの男を追いかけているところだ」
「きみは現実的な男だな、ミケーレ」
アインシュタインは雲を見つめるが、まだ研究のことが頭から離れない。自分の見た夢のことをベッソーに話したいが、なんとなく切りだしかねている。
「きみの時間理論はきっと成功するよ」とベッソーはいう。「成功したら、ふたりでまたいっしょに釣りをしながら、その理論を説明してくれ。きみが有名になっても、最初にこの船の上でぼくに説明したことを忘れるなよ」
アインシュタインは笑いだし、その笑いといっしょに雲が前後にゆれる。

「きみは現実的な男だな」とは、夢見る科学者ならではのセリフでしょう。あと、僕がいいなと思ったのは、最後の「雲が前後にゆれる」です。揺れているのは、雲じゃなくてアインシュタインの乗ったボートのはず。ここでもさりげなく、「相対性」が描かれているわけです。
それにしても、青春ですねえ。ちょっと甘い気もするけど、孤高の天才とそれをサポートする友人という関係が、かすかな苦味になっています。そうした諸々をひっくるめて、何とも言えない穏やかな幸福感がある。このシーンこそ、まるで夢のようです。


このあとも展開と呼べるほどのものはなく、最後まで時間に関する不思議な夢が淡々と続きます。
ということで、『アインシュタインの夢』読了です。