『アインシュタインの夢』アラン・ライトマン【1】


アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)
今回も、文庫で読む世界文学。ハヤカワepi文庫から、
アインシュタインの夢』アラン・ライトマン
です。
作者のアラン・ライトマンは、理学博士号を持ち、ハーバード大学で物理学と天文学を教えていたそうです。要するにバリバリの理系。文庫の紹介には「現役物理学者がアインシュタインが見たかもしれない数々の夢を流麗に描く傑作」とあります。科学とロマン、これはよさげですね。訳者が、SF翻訳でおなじみの浅倉久志さんってのもポイント高いです。
170ページほどの薄い文庫なので、すぐ読み終わっちゃうかもしれませんが、いってみましょう。


まず、「プロローグ」。

どこかの遠い石造りのアーケードで、時計塔の鐘が六つ打ってから鳴りやむ。青年はデスクの上に頭をのせ、ぐったりとすわっている。昨夜もまた世界の大激変を味わったあと、夜明けにこの役所へやってきたのだ。髮はまだとかしてないし、ズボンはだぶだぶ。手にはしわくちゃになった二十ページ分の書類を握りしめている。きょう、ドイツの〈物理学年報〉宛てに郵送するつもりの新しい時間理論である。

まずは、時計の鐘の音から始まります。夜明け間際、誰もいない特許局のオフィスに技官の青年がやってくる。彼は、新しい時間理論を書き上げたばかりのようです。おそらくこの青年が、若き日のアインシュタインでしょう。彼は毎晩のように時間と関係のある夢を見ている。そして、その夢が彼の研究に影響を及ぼしているようです。
「世界の大激変を味わった」とあるので、最初は歴史的事件が起こったのかと思いますが、おそらくこれは夢のことでしょう。普通、夢って個人的なもののような気がしますが、このあと次々と出てくる夢は、どれもこれも世界の成り立ちをくつがえすようなものばかり。なるほど、確かに大激変です。


では本編へ。「一九〇五年四月十四日」の章。

かりに時間が始めも終わりもない円環であるとしてみよう。その場合、世界はその歴史を正確に、かつ無限にくりかえしていくだろう。
大多数の人は、自分がおなじ一生をくりかえしていることに気がつかない。商人は自分がおなじ取引を何度も何度もくりかえしていることを知らない。政治家は、時間のサイクルの中で、自分がおなじ壇上からおなじ演説を無限に反復していることを知らない。両親は生まれたわが子の最初の笑い声を、二度とそれを聞けないかのようにいとおしく感じる。はじめて愛をかわす恋人たちは、恥じらいながら服を脱ぎ、しなやかな太股と可憐な乳首に驚きを示す。そのひそかな発見と接触のひとつひとつが、これまでとまったくおなじように、これからも果てしなくくりかえされることを、どうしてこのふたりがさとるわけがあるだろう?

どこにも説明はありませんが、これは、プロローグに出てきた青年が見た夢、つまり「アインシュタインの夢」のようです。章題は、夢を見た日付でしょう。そして、このあとも、日付を章題にした4ページほどの章が続いてゆき、それぞれに様々な形態の時間が流れる不思議な世界が描かれます。言ってみれば、「アインシュタイン夢日記」。
あ、うっかり「時間が流れる」なんて書いてしまいましたが、彼の夢では時間は流れてばかりいるとは限りません。この最初の夢は、時間が環になってぐるぐる回ってる。永遠に同じことをくり返す世界です。まあこれは、わりとイメージしやすいでしょう。SFでもたまに見かける設定ですし、発想としてはそれほど珍しいものではありません。
でも、これは導入、わざとわかりやすい夢から始めてるのかもしれませんね。このあともっと面白い夢がいろいろでてきます。いろんな時間のいろんな世界。中でもユニークなのは、「一九〇五年四月二十六日」の夢。だれもが山地に住んでいる世界です。

過去のある時代に、科学者たちは、時間の流れが地球の中心から遠く隔たるほど遅くなることを発見した。その効果は微弱なものだが、非常に敏感な計器を使えば計測できる。この現象が一般に知られるとさっそく一部の人びとが、若さをたもちたい一心で山の上に引っ越した。いまでは、すべての家がドーム山や、マッターホルンや、モンテ・ローザをはじめとする高地に建っている。そのほかの場所にある宅地は売れなくなった。
多くの人びとは、山の上に家の敷地を見つけるだけでは満足しない。最大の効果を手に入れるために、高い脚柱(きゃくちゅう)の上に家を建てる。全世界の山々の上には、そんな家がならんでおり、遠くからだと、太った鳥の群れがひょろ長い脚でとまっているように見える。だれよりも長生きしたい人は、飛びぬけて高い脚柱の上に家を建てている。事実、竹馬のように長い脚柱に乗っかり、一キロもの高さにそびえている家もある。いまでは高さが地位を示すようになったのだ。

面白いですね。屋上屋ならぬ、山上屋。まるで、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』に出てきそう。それにしてもこれは、一種の思考実験ですね。「もしも時間が○○だったら…」という仮定から出発して、その世界の仕組みを組み立てていく。さすが、物理学者です。その世界の見た目は奇妙でも、論理的に組み立てられているせいで、ぶっ飛んだ奇想という印象はあまりありません。夢というには端正すぎる。
この思考実験は、その世界で暮らす人びとの価値観にまで及びます。時間のあり方が異なる別世界では、ものごとの考え方も異なる。地球の中心から離れるほど時間の流れが遅くなる世界では、高さに価値があり、高所の家に住むことがステイタスとなります。作者の興味は、こうした価値観の変化にありそうな気もしてきます。
例えば、「一九〇五年五月三日」の夢。この世界は、「原因と結果が不安定な世界」です。因果律が失われた世界。過去のいかなる出来事も現在を規定しないし、現在のいかなる出来事も未来に影響を及ぼさない。すると、人びとはどうなるか? 「今」の時点でのみものごとを判断するようになるんですよ。

これは衝動の世界である。誠実な世界である。この世界では、あらゆる言葉がその瞬間のためだけに語られ、あらゆる視線がただひとつの意味しか持たず、どんなふれあいにも過去と未来はなく、どのキスもやむにやまれぬキスである。

最後の一文、「どのキスもやむにやまれぬキスである」が美しいです。


ということで、今日はここ(P42)まで。これは、「物語を楽しむ」っていうタイプの小説じゃないですね。ひたすらいろんな夢の記述が続くっていうスタイルなので、別世界観光の気分で読むといいんじゃないかな。