『愛の続き』イアン・マキューアン【5】


いやあ、面白い。気球事故、ストーカー、そして恋人との溝と、どんどん追いつめられていくジョー。マキューアンの心理描写は緻密で、目が離せません。
ジョーは、科学ライターですが、科学者になれず「科学物語」を紡いでいるだけの自分に引け目を感じています。でも、この小説におけるジョーの一人称語りだって、ある種の「科学物語」のようなもんじゃないでしょうか? 日々の出来事に対していちいち論理的で明晰な分析を披露していますが、それがイコール真実とは限らない。何かを取りこぼしているように思えてならない。そして、そのことをジョーが気づいていないような気がするんですよ。
今回は、15〜20章までダダっといきます。


パリーは、執拗にジョーにつきまといます。家の前に立っていたり、手紙を送りつけてきたり。そして、ジョーは、パリーは歪んだ恋愛の妄想を抱く精神病患者だと見なす。確かにパリーは狂っているのかもしれませんが、彼の手紙に綴られたジョーへの非難は、それなりに腑に落ちるものがあります。
「16」の章は、またしてもパリーの手紙です。ジョーの書いた原稿を読んでの辛辣な感想がたっぷりと綴られています。

神に対するあなたの異議申し立てのなかには、論理という罠(わな)から自分を解放してくれという嘆願がまじっています。あなたのすべての記事は、結局のところひとつの孤独な叫びとなります。

あなたは神の存在を否定しているだけではない――神に取って代わりたいのです。そんな思い上がりはただではすみません。世界にはぼくらが触れるべきではない謎(なぞ)があり、そしてまたぼくらが学ばねばならない謙虚さというものがあって、ジョー、ぼくはあなたの傲慢ゆえにあなたを憎みました。

そうそう、僕もそう思う。パリー、鋭いところを突いてきますね。どこか傲慢なんですよ、ジョーは。自分は明晰で正しい判断をしているということを信じて疑わない。ジョーの一人称に何が欠けているかといえば、「自分の不確かさ」というものを勘定に入れていないことだと思います。そして、論理的であろうとして「愛」を見失っていないか、とパリーは言ってるわけです。そう言えば、似たようなことをクラリッサも言ってましたね。ジョーを愛する者同士が、奇しくも同じ意見に達するわけです。
今やクラリッサとジョーの関係は、すっかりギクシャクしてしまっています。

ぼくらはほとんど戦わなかったが、ぼくらの間ではすべてが停滞していた。ぼくらは入りくんだ塹壕(ざんごう)をはさんでにらみ合っている軍隊のようだった。動きがとれなかった。ただひとつの動きはぼくらの頭上で軍旗のようにはためいている無言の非難だった。クラリッサにとってぼくは精神病患者で、倒錯した強迫観念にとりつかれ、そして最悪なことに彼女の私的空間を荒らす泥棒なのだ。ぼくからすればクラリッサは不誠実で、危機のときにあたって非協力的であり、不合理な疑いを捨てようとしない女だった。

クラリッサは、パリーの存在自体を疑っている。ジョーは、そんな彼女に苛立っている。彼にとって正しいことが、彼女にとってはそうではないということに耐えられないんですよ。戦争の比喩が、すごくぴったりきています。「軍旗のようにはためいている無言の非難」ってのがいい。声に出したら一気に関係が壊れてしまうような状態というわけです。この息苦しさは、読んでいてチクチクきますね。
ジョーは、他人にパリーの脅威を証明できるような証拠を探そうとして、パリーの手紙を読み返します。

「あなたが始めたことです、逃げようとしても逃げられません。ぼくは人を雇うことができます――もうご存知ですね。こうして手紙を書いているあいだにも男たちがバスルームを改装しているのですから! 昔なら、金のあるなしに拘(かか)わらずそんなことは自分でやったでしょう。けれどもいまでは人に任せることを知りつつあります」ぼくはこの箇所をにらんだ。ぼくが逃げられないことと、パリーが他人にものごとを依頼できることとはどうつながるというのか?

ジョーは、これが「パリーが人を雇って自分を脅かそうとしてる証拠だ」というわけです。実際のところどうなのかはわかりませんが、手紙から恣意的に行間を読み込み、自分の望む物語を作り上げちゃっているんじゃないかな? これは、ジョーの行動から勝手に合図を見出すパリーと合わせ鏡になってますね。もはや、どっちが狂っているのかよくわからない。


「19」の章で、ついにある事件が勃発します。
この章は、ジョーの思わせぶりな書き方がやたらと目につきます。場面はクラリッサの誕生会。冷えきった二人がわずかに心を通わせます。

ぼくはキスのせいで勃起(ぼっき)していた。記憶のなかでは、その瞬間はすべてが成功と光とざわめきに支配されている。記憶のなかでは、最初に運ばれてきた食べ物はすべて赤い色だった。(中略)後になってから、ぼくらが身を乗り出して大声で話しあったことを思いだすと、それはまるで水中の出来事を思いだしているようだった。

最初のシーンですでに、このあと何かが起こる予感がぷんぷんするような書き方をしている。「記憶のなかでは」とくり返していますが、ジョーはこのあと、人の記憶の不確かさに直面させられることとなります。
って、もうすでに僕はストーリーを説明しすぎてますね。なので、このあとの展開は、ここでは触れないでおきます。
その代わり、この小説の魅力の一つである、シニカルで意地の悪いユーモアについて書いておきたいと思います。これって、イギリス流なのかな。特に「20」の章は、ほとんど毎ページその手のひねった言い回しが出てきて、陰鬱な話であるにもかかわらずとても楽しく読めます。僕が気に入ったのは、こんな一文。

ウォレスはうなずいてほほえんだ、というか、唇をくっつけたままで横に伸ばした。

科学的正確さを重んじるジョーらしい書き方。心の底からの笑みじゃないってことですね。相手を安心させるためのポーズ。ほほえみとは、遺伝子に書き込まれた顔面筋肉の運動。


ということで、今日はここ(P291)まで。ここまでくれば、あとは一気にラストまでいっちゃいそうです。