『愛の続き』イアン・マキューアン【3】


この小説は、情報を小出しにして先の展開への期待を煽るのが巧いですね。そのせいで、ぐいぐい読んじゃう。「物語」の語り口としては、とてもよくできている。
ただそこで気になるのは、やっぱり最初の「三百フィート上空からぼくらが見える」というアレです。これって、言わば「神の視点」でしょ。語り手であるジョーは、非常に明晰で知的なんですが、どこか不遜な気がするんですよ。読み進めるうちに、その気分は徐々に深まっていきます。
ということで、6〜8章いきます。


「6」の章から。
次の朝、ジョーはついに、クラリッサにパリーのことを打ち明けます。夜中に電話をかけてきたこと、図書館まであとをつけてきたこと。クラリッサは、それを「ジーザス気違いと秘密のゲイ・ラヴ!」と、陽気に笑い飛ばします。

「でも、図書館で本人を見たわけじゃないでしょ」
「出て行くときに靴が見えた。赤い紐(ひも)の白いスニーカーだ。あいつだよ」
「顔は見なかったのよね」
「クラリッサ、あいつだっていうのに!」
「わたしに怒らないでよ、ジョー。顔は見なかったし、スクウェアにもいなかったんでしょう」
クラリッサがぼくを見る眼つきが変わり、言葉の選び方が爆弾処理班のように慎重になった。「ひとつはっきりさせましょ。つけられてると思いはじめたのは、靴も見えないうちからでしょう?」

そう、この靴については、僕も引っかかってたんですよ。何故、靴だけでそんなに確信が持てるのかがよくわからない。で、慌てて前のページをめくってみました。その結果、見つけられたのは、気球事故の章でパリーの外見を描写したシーン。パリーの靴の描写は、そこにチラっと出てくるこの一文だけ。

ジーンズと、赤い紐(ひも)を結んだ真新しいスニーカーをはいている。

靴が白いなんて話は出てきてないし…。これが、ミステリーだったら、もう少しはっきり書くと思うんですよ。「彼の白いスニーカーに赤い紐が映え、やけに目についたのを覚えている」とかなんとか。でも、ジョーはそういう書き方をしない。何だか、カードをすべてオープンにしていないような、うさん臭さを感じます。
このあたりで、ひょっとしたらこれはジョーの気のせいじゃないのって思えてきます。きますが、クラリッサが仕事に出掛けた直後、何とパリーから電話がかかってくる。で、結局、ジョーは、通りの電話ボックスにいるパリーと直接話すために、部屋を出ていくことに…。


「7」の章。
さあ、直接対決です。どうやらパリーは、「秘密のゲイ・ラヴ」というより、「ジーザス気違い」の比重のほうが圧倒的に高そうです。「あなたを神に導くんだ、愛を通じてね」。これは、ただのラヴより、面倒くさいですよ。しかも、ジョーは無神論者の科学ライターです。当然、パリーをはねつけることになる。

「ぼくはもう行かなくちゃならない。これ以上の連絡は断ります」
「ああ」とパリーは声を上げた。「そんなことを言うくせに、そういう顔をするんだ。ほんとはどうしたらいいの?」

「ほんと」も何も、連絡しないでくれって言ってるわけで、それがまったく通じてない。勝手にその裏の意味を読み取って都合のいいように解釈してしまう。これは、典型的なストーカーの論理じゃないですか。「彼女はいやがってるフリをしているだけで、ホントは僕のことを愛してるんだ」とかいうような。こういう人には、何を言っても伝わらない。「いやだ、やめてくれ」と言っても、その言葉通りに取ってくれないわけで、コミュニケーションが成り立ちません。
そして、別れ際にパリーはこう言います。

「あなたは優しい人だから。でもジョー、苦痛から逃げちゃいけない。道はただひとつ、ぼくら三人が話し合うことだよ」
ぼくはもう何も言うまいと決心していたが、どうしても抑えられなかった。「三人?」
「クラリッサだよ。このことは正面から取り組むのが……」
ぼくは最後まで言わせなかった。

これは、怖い。狂信者らしい無神経さに、ゾッとします。いきなり懐に入ってきて、汚れた手で撫でられるような不快感。イヤーな展開になってきました。


「8」の章。
パリーと別れたジョーは、車の中で次に書く原稿について思いをめぐらせます。お題は、「ほほえみについて」の科学的考察。ほほえみとは、動物学的に言えば、親の愛を受けやすくするために遺伝子に書き込まれたものである、などなど。でも、この理論は、クラリッサのカンに障るようです。

「これは新しい原理主義よ」と、ある晩クラリッサは言いだした。「二十年前、あなたや仲間のひとたちはみんな社会主義者で、誰の不幸も環境のせいにしていたわね。今度は私たちを遺伝子に閉じ込めてなにもかも説明をつけるんでしょう!」

ジャーナリズムの無節操ぶりをバッサリ斬ってるわけですが、クラリッサが引っかかるのはおそらくそれだけではないでしょう。彼女は子供が産めない体なんですよ。そして、そのことに傷ついている。遺伝子を残せないクラリッサが、何でもかんでも遺伝子のせいにしてしまうことに対して、反発を感じるのも当然だと思います。遺伝子理論だけでは、何か大きなものが失われてしまう。

あなたはまだ理解していない、自分は愛のことを言っているのだ、とクラリッサは言った。ぼくもそうだ、まだしゃべれない赤ん坊はより多くの愛を独占するじゃないか、とぼくは言った。いいえ、まだ分かってないのね、とクラリッサは言った。そこで議論は打ち切られた。別に悪感情は残らなかった。ぼくらはそれまでにもさまざまな形でこの会話をくり返していた。このときの本当の話題は、ぼくらの生活に赤ん坊がいないということだったのだ。

ああ、ジョーは「愛」をわかっていない。いや、これを読んでいる僕だってわかっているかどうか怪しいもんですが。それはともかく、ジョー自身は自分がわかってないことに気づいているんでしょうか? 「悪感情は残らなかった」とあっさりクラリッサの気持ちを言えちゃうあたり、ホントにわかってるのかな、という気がします。
一方で、パリーからの愛もあります。これを愛と言っていいのかどうかわかりませんが、家に戻ったジョーは、またしてもパリーに脅かされることになる。どんなことをされるかはここには書きませんが、最後のパリーの言葉はまたしてもちょっと不気味です。


ということで、今日はここ(P121)まで。こういうミステリー的要素のある小説は、どこまでストーリーを紹介していいものか迷いますね。次の章からは、ちょっと端折っていったほうがいいかもしれないな思ってみたり。