『スペシャリストの帽子』ケリー・リンク【5】


では、最後の2話いきます。


「ルイーズのゴースト」

「ねえ、ルイーズ」と片方の女が呼びかける。
「なあに、ルイーズ」ともう一人の女が答える。
二人はキスを交わす。

始まってすぐに登場するこの会話に、おやっと思います。二人の女、二人のルイーズ。彼女たちはサマーキャンプ以来の親友同士で、毎週、レストランで昼食を共にしているとのこと。この作品では、二人とも「ルイーズ」と表記されています。これ、読み始めたあたりでは、どっちのことを指しているのかわからず、ちょっとややこしい。でも、すぐに二人のキャラクターが見えてくるので、さほど混乱しません。
一方のルイーズは、オーケストラの広報係。アンナという娘を女手ひとつで育てています。ちなみに、アンナの父親を除いて、恋人にするのはチェリストばかり。もう一方のルイーズは、旅行代理店勤務で独身。母親は引退者用のコミュニティで暮らしています。そして、彼女の家にある日、幽霊が現れます。
ああ、またしても、幽霊。でも、今回はこれまでのように「幽霊だかなんだかわからない」のではなく、タイトルにも謳われているように明確に幽霊が登場します。ところがこの幽霊、別に何をするわけでもありません。ただ、そこにいるだけ。
こういうゴーストストーリーでは、たいていの場合、日常と非日常を対比させ、幽霊を異物として扱うわけです。でも、ケリー・リンクは、そうしない。日常も何だかちょっぴりヘンテコで、幽霊が現れてもさほど不思議はないような気になってきます。
例えば、ルイーズがルイーズに「幽霊が家にいる」と打ち明けても、ルイーズはあまり驚きません。

アンナが言う。「犬だったとき、よく幽霊をかんだわ」
ルイーズが言う。「アンナ、ちょっと静かにして。冷める前に、緑のお料理を食べてしまいなさい。ねえ、ルイーズ、それってどういうこと? てっきり、あなたの家にはテントウムシがいるんだと思ってたけど」
「それはしばらく前の話」とルイーズは答える。

何だか変です。犬だったとき? 緑のお料理? テントウムシ? アンナは全身緑づくめで緑のものしか口にせず、「前は犬だった」と語る女の子なんですよ。そして、ルイーズの家には、これまでもテントウムシフクロネズミが出没してたとか。超常現象とは言いませんが、ちょっとばかし妙です。
さらに、ルイーズは母親にも幽霊について相談をしてみます。

「何がほしいのか尋ねてみたのかい?」
「ママ、あれが何をほしがってるかなんて、どうでもいいの」とルイーズが言う。「ただ、出ていってほしいだけ」
「それなら」と彼女の母親が言う。「熱湯と塩を使ってみなさい。それで家中の床をごしごし洗うのよ。そのあと、レモンオイルで磨けば、むらにならないわ。窓もきれいにして。ベッドシーツも全部洗濯して、敷物はよく叩きなさい。それから、シーツを裏返しにしてセットするの。ハンガーにかけてある服も全部裏返しよ。バスタブもきれいに洗いなさい」
「裏返しね」とルイーズが言う。
「裏返しよ」と母親が言う。「混乱させてやるの」
「私の頭のほうがとっくに混乱してるわ。とくに服のことはね。効果はあると思う?」
「間違いなくね」と母親が答える。「このあたりじゃ超常現象なんてありふれてるのよ。時々、誰が生きていて誰が死んでるのか、わかんなくなるくらい。家の大掃除が効かないようだったら、ニンニクをひもで吊るしなさい。幽霊はニンニクが大嫌いなのよ。大好物の場合もあるけど。とにかく二つに一つ、大好きか、大嫌いか。それで、他には何かあった? いつ会いに来てくれるの?」

お母さんのすっトボケた口ぶりが可笑しいですね。「むらにならないわ」って、幽霊に比べたらどうでもいいじゃないですか。「混乱させてやるのよ」「とにかく二つに一つ」って、あんまり効き目がなさそうです。しかも、ひとしきり幽霊についてアドバイスしたら、さっさと次の話題に移っちゃう。ちなみに、「誰が生きていて誰が死んでるのか、わかんなくなるくらい」ってのは、ケリー・リンクのほとんどの作品に当てはまりますね。
このように、物語は幽霊の周りをぐるぐると巡りながら、結論へたどり着くことはありません。そして、そこから徐々に、ルイーズとルイーズの関係が浮かび上がってくる。この構造は、「私の友人はたいてい三分の二が水でできている」とちょっと似ています。

「サマーキャンプのことを思い出してたんだけど」とルイーズがルイーズに言う。「指導員が幽霊話をしたときのこと、覚えてる?」
「ええ」とルイーズ。「懐中電灯を持って話すのよね。あなたったら、真夜中に私をトイレに連れ出したわよね。怖くて一人じゃ行けなくってね」
「私は怖くなかったわ」とルイーズが言う。「怖がってたのはあなたでしょ」

わざと、どっちのルイーズが喋ってるかわからないように書かれているところが面白い。誰が怖がってたかなんて、どっちでもいいじゃない。そんな女の子同士の友情の機微みたいなものが、ラストに淡い余韻を残します。


「少女探偵」

またしても、わかったようなわからないような話ですが、これ、一番好きかも。細かな断章で構成されているけど、そのつながりがちょっとしたズレを孕んでいるせいで、全体像が見えそうで見えません。でも、その断章、一つ一つがチャーミングで、わくわくさせてくれます。カラフルな雑貨屋のように、いろんなイメージがひしめき合っている。しかも、ありもののイメージをあれこれこねくり回して、見たことがないようなものに変えているあたり、ちょっと高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を思わせます。
最初の三つの章を引用してみましょう。

少女探偵の母親は行方不明

少女探偵の母親はずいぶんと前から行方不明である。


アンダーワールド

アンダーワールドとは、クローゼットの奥、ずらりと並んだ今後着ることのない服の向こう側だと考えてほしい。そこにはいつでもいろいろな物が押し込まれ、忘れ去られていく。アンダーワールドは忘れ去られた物でいっぱいだ。人が思い出しさえすれば、取り出したいと思うような物も中にはある。アンダーワールドへの旅はつねに強く追憶を誘う。そこは薄暗い。季節もずれている。たいていの人間は偶然からか、さもなければ結局他にどこにも行き場がなかったせいでたどり着く。ヒーローと少女探偵だけがみずからアンダーワールドに赴く。


食事には三種類ある

一つ目は母親が作ってくれる食事。二つ目はレストランで出される食事。三つ目は夢の中で口にする食事だ。他にも別の種類の食事が一つあるが、それはアンダーワールドでしか手に入れられず、実際には食事ではない。それはもっとも踊りに近い。

いいですねえ。最初の章のトボケた短さも可笑しいし、クローゼットの中のアンダーワールドなんていうファンタジーの基本をさらっとなぞってみせるところもニクいです。「食事には三種類ある」と言いながら、四種類語ってるところもいいですね。「それはもっとも踊りに近い」…、シビれます。
このあと、いかにも少年少女向けの探偵小説に出てきそうな、謎めいた人物がいろいろ出てきます。12人の女たちによる「タップダンス銀行強盗」やら、探偵だと名乗る太った男やら、奇妙な中国人などなど。そして、奇妙な語り手である「僕」も。「僕」は、木の上から少女探偵を見張っています。彼は、決して木から降りようとはしません。これは、イタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』かな? ちなみに、少女探偵は食事を摂らず、他人の夢を食べて生きています。そして、「僕」はレストランの食事ばかり食べています。
こうして、これらの人物や、夢、食事、ダンスなどなどのイメージが、章から章へ現れては消えていきます。読者はそれを次々に追っていかなければなりません。少女探偵とは何者なのか? 「僕」の目的はなんなのか? 糸をたぐり、結び付け、推理する。これは、まさに探偵の仕事です。

町中で、世界中で、人々は眠っている。僕は木の上で座ったまま、彼らのことを考えるだけで疲れていく。彼らは子供たちの夢を見ている。彼らは母親たちの夢を見ている。彼らは恋人たちの夢を見ている。彼らは飛べるようになる夢を見ている。彼らは世界がディナープレートのように円形になった夢を見ている。なかには夢の中で世界から落ちる者もいる。なかには食べ物の夢を見る者もいる。少女探偵はそんな夢の合間を歩いていく。彼女はだれかの夢の木からリンゴをもぐ。別のだれかは子供の頃に暮らしていた家の夢を見ている。少女探偵は家の一部を折り取る。それは蜂蜜のように彼女の口の中でとろける。

少女探偵は何かを追いかけ、木の上の「僕」は少女探偵を追いかけ、読者はそうした彼らを追いかけることになります。夢から夢へ、木から木へ、章から章へ。でも、相手は変装の名人。あっちへ飛びこっちへ飛び、捕まえたと思ったら、するりと逃げていく。「僕」が彼女を愛しちゃうのも、ムリはない。この作品を読んでいると、いつしか空想少女の自由奔放さが、うらやましくなってくるんですよ。いいなあ、少女探偵。


ということで、『スペシャリストの帽子』読了です。