『スペシャリストの帽子』ケリー・リンク【3】


さっそく続きにいきましょう。今回も2編。


雪の女王と旅して」

「飛行訓練」はギリシア神話でしたが、これはタイトルからもわかるように、アンデルセンの「雪の女王」がモチーフ。さらにそれだけじゃなくて、他にもいくつものお伽話の断片があれこれと盛り込まれています。

女性のみなさん。おとぎ話というのはどうにも足に優しくない、などと考えられたことがおありですか?

「いきなり何を言い出すんだ?」と思っていると、「人魚姫」「赤い靴」「シンデレラ」「白雪姫」と、足にまつわるおとぎ話が次々と挙げられてゆきます。足を酷使したり、足を切られたり、なるほど「足に優しくない」。そして、足を痛めつけられるのは、いつも女性。つまり女性が自らの意志で旅をする(=行動する)ことは、とても困難だと言いたいようです。
ところで、この作品は、「あなたは北を目指しています」といった具合に、「あなた」という二人称で語られています。これは、「あなたはだんだん眠くなる…」という催眠術師の口調を思わせますね。読者を導く声。でも、どこへ?

そこで私共〈雪の女王ツアー〉では、みなさまのために豪華さと手軽さの両方を兼ね備え、足にも財布にも優しいことは保証つきのパック旅行を企画してまいりました。ガチョウの引く橇に乗って世界を眺め、典型的な森、冬の不思議の国を体験する旅。本物の生きたしゃべる動物に会える旅(彼らに餌は与えないでください)。

と、このあたりで、ああそういうことか、とわかります。ツアーガイドが「雪の女王」の物語を体験する旅に誘っていたわけです。「あなたは北を目指しています」。読者がいつの間にか、ツアー参加者になってしまうという語りのマジック。ニクイです。
考えてみれば、「雪の女王」の主人公ゲルダは、雪の女王に捕らえられた少年カイを救い出すため、自ら行動する女の子でした。白馬の王子様を待ったりしない。宮崎駿の映画に出てくる少女の原形みたいなものです。この作品は、ツアーガイドに導かれ、ゲルダの旅を再体験するという構成になっているわけです。そして、このファンタスティックな旅はとても魅力的です。
でもこれ、僕らが知っている「雪の女王」とは、かなり違うんですよ。ここに登場するのは、活きのいい現代の女性です。男に縛られたりしないどころか、自ら行動するうちに、「あなた」はカイを愛してないってことに気づいてしまう。

これはあなたがポケットに入れている、カイを見つけたら、もし見つかったら、いおうと思っていることのリストです。

一 前にあなたが留守にしたとき、シダに水をやるのを忘れてごめんなさい。
二 わたしを見るとお母さんを思い出すっていってたけど、あれはいい意味だったの?
三 わたしは一度だってあなたの友だちを、それほど気に入ったことはなかったわ。
四 わたしの友だちは誰も、ほんとうはあなたのことが好きじゃなかったのよ。
五 あの猫が逃げたときのことを覚えてる? わたしがあまり泣いたから、あなたはポスターを張ってくれたけど、二度と戻ってこなかったわね。わたしが泣いていたのは猫が戻ってこないからじゃなかったのよ。わたしが泣いていたのは、自分であの猫を森に捨てにいったから、そして彼女が戻ってきてそのことをあなたにいいつけるんじゃないかと怖かったからなの。でも、どうやら狼か何かにつかまってしまったようね。いずれにしても、あの猫は少しもわたしのことが好きじゃなかったのよ。
六 わたしは少しもあなたのお母さんが好きじゃなかったわ。
七 あなたが出ていったあと、わたしはわざとあなたが育てていた植物に水をやらなかったの。みんな枯れてしまったわ。
八 さようなら。

「さようなら」と言いながら、リストはこの調子で16項目目まで続きます。かなりたまってたみたい。ここに挙げられた項目を見る限り、ゲルダはこれまで言いたいことが言えなかったんじゃないかな。そしてそのことに気づかないカイの鈍感さが、さらに苛立ちに拍車をかける。男ってホント何にもわかってないですね、って、僕も笑ってる場合じゃないですが。
でも、ゲルダは何故、そうまでしてカイのあとを追って旅をしているんでしょうか? そして、雪の女王の神殿にたどり着いたところで、ゲルダの取った行動とは? 結末ここには書きませんが、語りの仕掛けがラストで活きてきます。


「人間消滅」

ジェニー・ローズヒルディーが目にしたことのある人物中でもっとも素っ気なく、単色の人間だ。彼女には色がない。グラス一杯のスキムミルクか、酷使された糸のようだ。中途半端な長さの痩せた髪、肌は青ざめてもなければ明るく輝いてもおらず、目には生気も色もない。背は高くも低くもなく、体は太っても痩せてもいない。アスファルトに降った雨のような、奇妙で悲しい、電気のような匂いがする。

二人の少女が出てきます。にぎやかな家族に囲まれたヒルディーと、両親から遠く離れて彼女の家に居候することになったいとこのジェニー。活発なヒルディーと、誰とも打ち解けようとしないジェニー。ジェニーは、心をどこか別の場所に置いてきたというか、存在感がないというか、そんな女の子なんですよ。話しかけてもひとこと言葉を返すのみで、とりつくしまがない。家にいるときはたいていベッドに横になって、ぼんやりしている。「奇妙で悲しい、電気のような匂い」は、人を寄せ付けないような孤独を感じさせます。そんな彼女のことを、ヒルディーはこう評します。「自分をオフにしてるんだと思う。テレビかなにかみたいに」。
「ホームシックなのよ」とジェニーのことを気にかけていたヒルディーの家族も、やがてジェニーのことを気にとめなくなっていきます。そんな中、ヒルディーだけが、この奇妙ないとこのことを観察し続ける。

ジェニー・ローズはゆっくりと消えかけているように見える。彼女が夕食時や教室内にいても、本当にいるわけではない。夕食時に彼女が座った椅子は口の奥にある空間のようだ。親知らずはすでに抜かれているのに、歯があった感覚がまだ残っている空間。教室では、先生は絶対にジェニー・ローズを指さない。

誰からも注目されないってのは、いないと同じこと。実際、ジェニーは本当に消えつつあるんですよ。「人間消滅」へ徐々に向かっている。そして、そのことにすら誰も気づかない。気づいているのは、ヒルディーただ一人。
でも、何故ヒルディーだけが、気づいているのか? ジェニーを気にかけていたから? じゃあ、何故ヒルディーだけが、気にかけていたんでしょう?

師母はジェームズのことが気がかりで、ハーモン氏はニュースが気がかりで、二人は空いた時間にせっせと喧嘩をしている。ジェームズがなにを心配しているかはだれも知らない。彼の寝室のドアはつねに閉じられていて、衣服からは甘酸っぱいマリファナの匂いがする。校庭を挟んでもヒルディーにはこの匂いがわかる。

ドキリとします。師母はヒルディーの母親、ハーモン氏は父親、ジェームズは兄。楽しく暮らしていたはずのヒルディーも、気づけば家族の誰からも気にかけてもらえていないじゃないですか。みんな自分のことで手一杯。僕には、最初は正反対に見えた二人の少女が、孤独という1点で近しい存在に思えてきます。
ケリー・リンクは、少女たちの内面を描写しようとはしません。ただ、起きたことを淡々と書いていく。そこから、少女のひりひりするような淋しさがじわじわと伝わってきます。「人間消滅」…、切ない手品です。


ということで、今日はここ(P242)まで。
今回読んだ作品は、これまでに比べるとわかりやすいです。でも、語り口にちょっと仕掛けがある。内容の奇妙さについつい目が行っちゃいますが、この人の作品はどれもひねった構成になっていて、そのあたりも読みどころじゃないかと思います。