『スペシャリストの帽子』ケリー・リンク【2】


ケリー・リンクの短編集『スペシャリストの帽子』ですが、これ、ハヤカワ文庫の「FT」つまり、ファンタジーに分類されています。クリーム色の背表紙のやつ。でも、読んだ印象では、「ハリー・ポッター」的ないわゆるファンタジーとはちょっと違いますね。幻想小説、って言ったほうがしっくりくる。「奇妙な味」とか「異色作家」っぽいところもあります。アヴラム・デイヴィッドスンのある種の作品とか。全体的に模糊としていて、曰く言い難い雰囲気が漂っています。
では、続きを読みましょう。今回は表題作の「スペシャリストの帽子」からいきます。


スペシャリストの帽子」

「死人になったら」とサマンサが言う。「歯を磨かなくてもいいのよ……」
「死人になったら」とクレアが言う。「箱の中で暮らすのよ。いつも暗いけど、絶対に怖くないの……」
クレアとサマンサは一卵性双生児だ。二人の年齢を足すと、二十年四カ月と六日になる。クレアは〈死人〉になるのがサマンサよりも上手だ。

冒頭の部分です。「死人ごっこ」をする双子の少女。ちょっと、スペイン映画『ミツバチのささやき』に出てきた、死体のマネをする少女を思わせます。まあ子供は誰でも、「死ぬってどんなことなんだろう?」って考えるものです。僕は子供の頃、死ぬことを考えたら怖くなって眠れなかったことがありますが、彼女たちを見ていると「死人ごっこ」が甘美な遊びのように思えてきます。ついでに、「死んだら怖いものがなくなる」って逆説は、ちょっと『不思議の国のアリス』っぽいですね。
舞台は、「八つの煙突(エイトチムニーズ)」というお屋敷。父親はこのエイトチムニーズとそこで暮らしたラッシュという詩人について本を書いており、3人はこの屋敷で一時的に暮らしています。屋敷の管理人コースラクさんは、「屋敷には幽霊が取り憑いている」と双子に教えます。そのことをベビーシッターに伝えると、彼女は「知ってる」と答えます。「あたしは昔ここに住んでたから」
またしても、幽霊です。とは言うものの、その正体は何だかよくわかりません。そして、もやもやしながら読み進めているうちに、誰もが幽霊のように思えてくる。訪れる観光客も、すべてを知っているような管理人も、謎めいたベビーシッターも、徐々に酒に溺れ何かに取り憑かれたようになっていく父親も…。薄暗いこのお屋敷は、まるで薄い幕で現実から隔てられているようです。
サマンサが煙突に入ってみるシーンはとても魅力的です。

煙突の中で立ち上がってみると、サマンサに見えるのは部屋のほんの端だけだ。虫食いだらけの青い敷物のふさ飾り、ベッドの足が一本、その横のクレアの片足はメトロノームのように前に後ろに揺れている。クレアの靴紐はほどけかけていて、くるぶしにはバンドエイドが貼ってある。

暗い煙突の中から見ると、いつもの部屋の中がまったく別物に見えてくる。まるで、死人が現世を眺めているようです。細部は見えるのに、断片しか捉えられない。全体像がつかめない。
そしてこの作品もまた、細部は見えるのにいつまでも全体像が見えてきません。シェイビングクリームとトイレットペーパー、灰色の瞳、ほどけかけた靴紐、数字へのこだわりなどなど、魅力的な細部に満ちていながら、それがはっきりとした像を結ばないんですよ。そもそも、「スペシャリスト」とは何者なのか? 作品中にラッシュの詩が挿入されていますが、それがヒントになるかと思いきや、よけいもやもやするばかり。

スペシャリストの帽子はアグーチのような音を出す
スペシャリストの帽子は首輪をつけたヘソイノシシのような音を出す
スペシャリストの帽子は白い唇のヘソイノシシのような音を出す
(中略)
スペシャリストの帽子は妻の髪の中の風のようにうめく
スペシャリストの帽子は蛇のような音を出す
私はスペシャリストの帽子をうちの壁にかけている

これまたルイス・キャロルのような詩ですが、この作品の中に置かれると、得体の知れなさが何だか不気味に思えてきます。首輪をつけた白い唇のヘソイノシシって、何なんでしょう? 妙に具体的なのに、さっぱりわからない。
結局、この屋敷で何が起きているのか、よくわからないまま物語は終わります。あとに残るのは、とらえどころのない恐ろしさと甘美さ。薄暗く静かな、死人ごっこの感触です。


「飛行訓練」

これは、これまでの作品に比べるとわかりやすいですね。冒頭こそ、いきなり「地獄への行き方、その説明と注意点」から始まりますが、メインとなるストーリーはおなじみのボーイ・ミーツ・ガール、いやガール・ミーツ・ボーイのお話。盗み癖のある女の子ジューンが、鳥恐怖症の男の子と出会います。

「鳥から隠れてるわけ?」
「恐怖症なんだ」と彼は言い、顔を鮮やかな赤に染めた。「ほら、閉所恐怖症みたいなものだよ」
「それは気の毒ね」とジューンは言った。「だって、鳥はどこにもいるじゃない」
「鳥ならなんでもだめってわけじゃない」と彼は言った。「いつでもだめってわけでもない。鳥が僕を困らせるときもあれば、そうじゃないときもある。連中は僕を変な目で見るんだ」
「あたしはネズミが苦手」とジューンは言った。「昔、子供のとき、靴に足を突っ込んだら、中に死んだネズミが入ってた。いまだに履く前には靴をふるの」
「僕は五歳のとき、母さんをクジャクの群れに殺された」と彼は言った。まるでそれがだれか他人の母親にふりかかった出来事で、新聞の記事で知ったかのような口ぶりだった。

ネズミの話も面白いんですが、「クジャクの群れに殺された」ってのは、意外な展開。まるでボリス・ヴィアンの小説のような、キラキラとしたナンセンス。さらに、この男の子の名前も妙です。「ハンフリー・ボガート・ストーンキング」。何て名だ!
ちなみに、この作品は、ギリシア神話をモチーフにしているようです。それを空想癖のある女の子の活きのいいセンスで語り直した、といったところでしょうか。そしてもう一つ、さりげなく参照されている作品があります。

私たちは彼にたくさん読み聞かせました。ダイのベーカリーも彼が一番気に入った本が由来なんです。あの本を彼は小さい頃に読みふけりました。少年が夜のキッチンや飛行機で冒険する話で…彼が飛びたがるようになることは予期すべきでしたね。

これはおそらく、モーリス・センダックの絵本『まよなかのだいどころ』でしょう。現実から地続きで夢へとすべり込むセンダックの作風の影響は、確かにチラチラと感じられます。冒頭の「地獄への行き方、その説明と注意点」には、こんな風に書かれていました。

よく聞いてちょうだい。一度しか言いませんから。そこへ行くにはロンドンを経由しなければなりません。ウェイヴァリー駅からの夜行列車に乗り、最後尾の車両に座りなさい。だれにも話しかけないこと。居眠りしないこと。

地獄もまた現実と地続きのようです。


ということで、今日はここ(P162)まで。
ケリー・リンク、かなり面白いです。あんまり女性ってことにこだわる必要はないのかもしれませんが、空想少女ですね。男の子のように理詰めじゃなく、もっとナチュラルに、日常からするすると夢の世界へ入っていく。辻褄が合ってるのか合ってないのかよくわからないまま、作品の持つ不思議な雰囲気に呑まれてしまいます。