『ダーク・タワー III ―荒地―』スティーヴン・キング【3】


では、「第二章 鍵と薔薇」。
さて、第1部『ガンスリンガー』で、ローランドが見殺しにした少年、ジェイク・チェンバーズが登場します。ジェイクは11歳、教育レベルが高いことで知られる有名校に通っています。しかし、そんなジェイクは自分が狂い始めてるのではないかと思っている。彼もまた、ローランド同様、二つの記憶の間で引き裂かれているのです。数週間前、自分が何者かに突き飛ばされ車に轢かれて死んだことを、ジェイクは知っています。にもかかわらず、一方でこうして生きて学校に通っている。果たして、自分は生きているのか? それとも死んでしまったのか? いたたまれなくなったジェイクは、授業を抜け出し、そのまま学校をサボってしまいます。そして、自分でも気づかぬうちに〈カ・テット〉の傘下に入っていく。
まず、ジェイクは本屋で2冊の本を手に入れます。『シュシュポッポきかんしゃチャーリー』という絵本と『なぞなぞ怪人! みんなのための難問・奇問とパズル!』というクイズ本。ちなみにこの書店は、「知性人のマンハッタン・レストラン」という名です。本屋なのにレストラン? ウィンドウに掛けられている黒板には、こんな文言が書かれています。

本日のスペシャ
 フロリダ産! 新鮮な焼肉(フレッシュ‐ブロイル) ジョン・D・マクドナルド
     ハードカバー三冊 二ドル五十セント
     ペーパーバック九冊 五ドル
 ミシシッピー産! 炒め料理(パン‐フライ) ウィリアム・フォークナー
     ハードカバー 時価
     ヴィンテージ・ライブラリー・ペーパーバック 各七十五セント
 カリフォルニア産! ゆで卵(ハード‐ボイルド) レイモンド・チャンドラー
     ハードカバー 時価
     ペーパーバック七冊 五ドル

本のメニューとは、なかなかユニークですね。本好きの心をくすぐるような、ニクい仕掛け。古書店なんでしょうか、「時価」ってのがいいです。この店主、カルヴィン・タワーは、なかなかシャレたセンスの持ち主のようですね。ジェイクが本の値段を尋ねたときのやりとりも、いい感じです。

「ありふれた本だけど、かなりいい状態で保存されているね。ちっちゃい子どもというのは、たいてい好き勝手にあつかってメチャクチャにしてしまうものだからね。十二ドルはもらいたいところだな――」
「とんでもない、盗人だ」と『ペスト』を読んでいる男が言うと、もうひとりの男が笑った。カルヴィン・タワーは、かれらの反応など一向に気にしていない。
「――けれど、こんないい日にきみから大枚を奪うなんて良心が痛むから、七ドルくれれば、これはきみのものだ。もちろん、税抜きの額だよ。なぞなぞの本はおまけだ。この春最後の素敵な天気の日に学校なんかでくすぶっていないで、外の世界に飛び出しちまうほど賢い少年へのわたしからの贈り物だ」

これまた本好きにとっては、グッとくるシーンでしょう。書を捨てて街へ出よ。そして本屋に行け。この店主、ちょびっとしか登場しないキャラクターですが、俄然好きになっちゃいます。名字が「タワー」というのも、ちょっと特別な感じですね。ジェイクと別れるとき、カルヴィンはこう言います。「ああ、こんな美しい日に、わたしも十歳か十一歳だったらなあ」。ここで、またまた好感度アップ。
このあと、章タイトルにもなっている、薔薇と鍵が登場しますが、そこははしょります。その代わり、ジェイクが買った絵本『シュシュポッポきかんしゃチャーリー』について、もう少し書いておきましょう。
お話は、ありがちなものです。時代遅れになり見捨てられた旧式の機関車チャーリーですが、いざというとき大活躍を見せる。そして、再び子供たちの人気者になって、めでたしめでたし。しかし、授業で『蝿の王』や『キャッチ22』を読まされるジェイクにとっては、あまりに子供だましです。

ジェイクはまんざら予想がつかなかったわけではない物語展開に付けられているイラストをしばらく眺めていた。稚拙な絵かもしれないが、確実に読者の涙を誘う仕上がりを示している。年老い、うちひしがれ、忘れ去られたチャーリー。機関士のボブの表情は、最後の親友を失った悲しみに満ちている……物語の流れからすると、そんな感じだ。ジェイクは、アメリカじゅうの子どもたちが物語のこの場面で涙を流すのを容易に想像できた。同時に、この類の児童向けの話、つまりお涙頂戴の代物がくさるほどあることに気づいた。たとえば、森の中に置き去りにされるヘンゼルとグレーテルや猟師に射殺されてしまうバンビの母親。幼い子の心を悲しませ、涙をこぼさせることは容易なことだが、そのことは、多くの物語作者のサディスティックな傾向を明るみに出しているようだ。

シュガーコーティングされたサディズム。読者を怖がらせてばかりいるホラー作家と、お涙頂戴の童話作家、どちらがサディスティックかわかりませんが、「子供のため」という装いの本は、やはりどこかうさん臭い。ジェイクも敏感に、この絵本に隠された不穏さを感じ取ります。

その絵は、シュシュポッポ機関車チャーリーが二両のバンティング・デッキ式客車に嬉しそうな子どもたちをいっぱいに乗せて、ローラーコースターから観覧車まで走っている場面が描かれている。機関士ボブは、運転室にすわって警笛の紐を引っ張り、すっかりご満悦の様子だ。機関士ボブの笑顔は至福をたたえているように描かれているが、ジェイクには、狂気の薄ら笑いのように思えた。チャーリーと機関士ボブはどちらも狂っているように見える……ジェイクには、見れば見るほど、子どもたちの表情は恐怖に歪んでいるのではないかと思えてくる。この列車から降ろしてよ、子どもたちの表情はそう語っているようだ。お願い、無事にこの列車から降ろしてよ。

一見そうは見えないものに潜む邪悪さを描くのは、キングの得意技。黒衣の男が着ていた僧服、みたいなもんですね。邪悪なものがいつも恐ろしげな顔をしているとは限らない。この絵本も、別におどろおどろしい絵で描かれているわけではないはずです。むしろ、楽しげで愉快な調子の絵なんでしょう。ただ、どこか嘘臭い。ニセモノ臭い。砂糖の甘さが、逆にその下にあるものを想像させてしまう。


このあと、「第三章 ドアと妖魔」は、またしても怒濤の展開となります。この『荒地』の基本となる数字は「2=ダブル」です。ローランドとジェイク、二つの世界にいる二人がそれぞれ二つの記憶に分裂してしまう。そしてこの章では、ガンスリンガーの世界とジェイクの世界が交互に描かれ、リンクしていく。トンネルを両端から掘るように、彼らは二つの世界が交わるある1点を目指して進んでいきます。そして、二つの世界を繋ぐ役割を果たすのが、我らがミスター減らず口、エディ。

エディは、ジェイクをこの世界に誕生させる産婆の役を担っているのだ。もし、エディにその準備が整っていなければ、ジェイクはこの世界のとば口で死ぬことになる。それは分娩の際に、母親の臍の緒が首に絡まれば、赤ん坊は窒息死するのと同じほど確実なことだった。

またしても悪趣味な比喩ですね。それはそれとして、ジェイクはガンスリンガーの世界につながる扉を探し、エディはジェイクを迎えるために大活躍します。もちろん、そう簡単な話じゃありません。どちらの世界でも、化け物が待ちかまえている。二つの世界を行き来する、手に汗握るカットバック。これは、前半のクライマックスと言っていいでしょう。


ということで、上巻を読み終えました。ジェイクは、無事、ガンスリンガーの世界へやってきます。彼もまた、旅の仲間、〈カ・テット〉の一員ということでしょう。次回は下巻「第二部 ラド――壊れた偶像の山」です。