『ダーク・タワー III ―荒地―』スティーヴン・キング【2】


では、「第一部 ジェイク」の「第一章 クマと骨」です。
ガンスリンガー一行は、砂浜を抜け森へと入りました。今回は、この森から幕を開けます。前作ではいきなりローランドがロブスターの化け物に襲われましたが、今回はクマが登場。後ろ脚で立つと70フィートにもなる巨大グマです。70フィートは、およそ21メートル。でか過ぎです。かつてこの森で「ミール」と呼ばれ、恐れられていたクマらしい。こいつにローランドたちが遭遇します。

クマは、真実の名はミールではなく何かまったく別のものだが、移動する高層建築、赤茶けた目のある毛むくじゃらの塔さながらに原始林をかき分けて進んだ。双眸は熱と狂気で火と燃えている。その巨大な頭部は、まるで花冠を頂いているかのように折れ枝と樅の葉をまとわりつかせており、たえまなく左右に振られている。ときどき、ハクション! という爆音のくぐもったような音を発してくしゃみをすると、雲霞のごとき大群の白き寄生虫どもが鼻水とともに噴出された。三フィートもある鉤爪で武装された前足が木々を引き裂いていく。ミールは後足で立って歩き、木々の下の柔らかな黒土に深い足跡を残していった。その身体からは真新しいバルサムと歳月を経て酸敗した糞の臭いが立ち昇っていた。

凶暴そうな風貌も恐ろしいですが、それ以上にイヤなのは、何と言っても「寄生虫」のくだり。巨大グマが吹き出す大量のねばねばした鼻水。そしてそれに混じりのたくる、大群の寄生虫…。寄生虫にもいろいろいますが、イメージとしては回虫みたいなもんでしょう。ああ、イヤだ。
このクマは寄生虫に脳を侵され、頭がおかしくなっているんですが、一方、ローランドも精神の均衡を崩しつつあります。それにしても、物語が始まって間もなく主人公が指を失い、さらには狂い始めるってのは、すごい展開ですね。心配したエディとスザンナは、ローランドに悩みを打ち明けるように促します。

ローランドは深く溜め息をついた。
「なにから話し始めたらよいのやら……長いあいだ話し相手がいなかったし……語る話もなかった」
「クマのことから話してくれ」エディが言った。
スザンナは身体を前にかしがせ、ローランドが持っていた顎骨に触れた。不気味だったが、とにかく触ってみたかったのだ。
「そしてこの骨で話をしめくくって」
「いいだろう」ローランドは骨を自分の目の高さまで持ち上げ、しばらく見つめてから、それを膝の上に戻した。「これについて話しておかねばならないというんだな? こいつが話の核心だからな」
そして、まずクマのことを語りだした。

西部劇で最も魅力的なのは、焚き火のシーンじゃないかと僕は思ってるんですが、ここでもまたたく星の下、三人が焚き火を囲んでいます。いいなあ、焚き火を囲む夜語り。この章のタイトルは「クマと骨」でした。これが、ローランドに出されたお題です。始まりと終わりが決められている話。これは、もう「物語」と言っていいでしょう。クマから骨へと至る物語。第1部『ガンスリンガー』でもそうでしたが、このシリーズでは、いろんな登場人物がそれぞれの物語を語ります。お話を語ることが大好きなキングが、ライフワークにちりばめたいくつもの「語り」。これ、ひょっとして裏テーマかも、という気がしてきます。
さて、壮大なこの世界の成り立ちが、ローランドの口から語られます。空を巡る星にまつわる神話。子供の頃に聞いた伝説。そして、ローランドの話は核心へと近づいてゆきます。

「だが、俺は話した」ローランドの口調は落ちついていたが、火急の用事で駆けつけてきたかのように脈は乱れている。「少年の名はジェイク。俺はそいつを犠牲にした――殺したんだ。ウォルターをつかまえて話し合うためにな。洞窟の中で、俺はその少年を見殺しにした」
この時点で、エディは大胆になった。
「まあ、そんなことがあったのかもしれない。でも、そんな話じゃなかった。あんたは洞窟にひとりで入って行ったんだ。アホ臭いハンドカーに乗ってね。あんたは俺たちが浜辺を離れるあいだ、そのことを長々としゃべっていたよ、ローランド。ひとりでどんなに恐ろしかったかをね」
「そのとおりだ。だが、おまえに少年のことを話した記憶もあるのだ。その少年が橋脚から裂け目に転落していった経緯を語ったことは忘れもしない。そして、このふたつの異なる記憶が俺を引き裂いているのだ」
(中略)
ローランドは枝を焚き火に投げ入れた。パッと炎が漆黒の宙に渦巻き状に立ち昇る。
「真実の話を語ろう。同時に、そうではない話……真実であったはずの話を」

「真実の話」と「そうではない話」、問題はどちらの話が真実なのかわからないことでしょう。そのため、ローランドは狂い始めている。そしてその原因は、前作で積み残した、ジャック・モートとジェイクの一件です。
かつてローランドが砂漠の中間駅で出会った少年ジェイクは、「黒衣の男に突き飛ばされ車に轢かれて死んでここにやってきた」と語りました。しかし、その後でジャック・モートに乗り移ったローランドは、彼がジェイクを突き飛ばすのを阻止します。すると、死ななかったジェイクは、ローランドの世界には現れないことになる。ここに齟齬が生まれます。
ややこしいですね。一方で、ジェイクはジャック・モートに殺され、ローランドの世界の中間駅へと現れます。一方で、ジェイクは殺されず、中間駅には現れない。この二つの記憶に、ローランドは引き裂かれているわけです。これは、SFでおなじみの、アレです。タイムパラドックス。この小説は、ホラー、西部劇、犯罪もの、サイコサスペンスなどの要素に加え、SFも詰め込まれている。ライフワークたる由縁でしょう。
さて、この章では、エディについても多くのページを割いています。木彫というエディの隠された才能、エディと兄ヘンリーの関係、そしてエディのみが炎の中に幻視する鍵と薔薇…。さらにもう一つ、夢の中で懐かしのニューヨークとともに塔を見たエディの心の中に、変化が生まれます。

すべては極めて悪い状態にあったが、エディの心は最悪のことを知っていた。いますぐ、自分の眼前にニューヨークへ戻れるドアが現れたとしても、おそらくそれをくぐり抜けないということだ。いや、少なくとも、〈暗黒の塔〉を自分自身の目で見ないかぎりは。エディは、ローランドの病は伝染性のものだと信じ始めていた。

ダーク・タワー病。何が何でも塔にたどり着かなければならないという強迫観念。エディに徐々にガンスリンガーとしての自覚が芽生えると同時に、塔への想いも強くなっていきます。
最後に、用語解説。ローランドの世界で、〈カ〉とは運命のことを指します。〈テット〉は、同じ興味や目的を分かち合うグループのこと。仲間、といったところでしょうか。そして、〈カ・テット〉とは、「多くの生き物が運命によって合流する場所」だそうです。「場所」とは言うものの、物理的な場所というよりもう少し広い意味のようです。時間とかものごとの経緯とかも含んでいる。僕が思うに、〈カ・テット〉に一番ぴったりくる言葉は、これです。「物語」。


ということで、今日はここ(P196)まで。次章はいよいよ、ジェイク少年が再登場するようです。