『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ【9】


またちょっと間が空いちゃったので、今回は、どんどんいきましょう。


まずは、レンツが「僕」を妻に会わせるシーンから。
冬の浜辺で寄り添い合っていたカップルに何が起きたのか? レンツの妻、オードリーは、とある療養所にいます。「僕」はレンツに連れられてその診療所を訪れる。やがて、職員に連れられて、彼女が現れます。

そのときに僕は見た。写真に写っていた女性と似ているところを。親戚とまではいかないが、空似以上のものを。彼女に何かが起こったのだ。年を取る以上のことが。顔立ちの背後から魂が立ち退いていた。以前の顔と今とでは、熱気球が地面に落ちてくしゃくしゃの絹になってしまったようなものだと言ったらいいだろうか。
オードリーにはレンツの言葉が聞こえていないようだった。彼女はカーディガンをつまんだ。虫食い穴をつついているうちに、糸が一本ほどけてしまっら。それを引っぱると、模様全体がくずれてきた。レンツが手を伸ばして、その手をとどまらせた。

病名はわかりませんが、オードリーは記憶や意識が混乱してしまう病気のようです。要するに惚けちゃってる。脳の病。
それにしてもこのシーン、何気ないけどちょっと怖いです。糸をたぐればたぐるほど、ほどけていっちゃう。オードリーは、レンツが夫であることがわからなくなっています。ほどけてゆく老女。穴がどんどん広がって、脳に蓄えられた記憶という「模様」がくずれてゆく。
若かりし頃のレンツとオードリーの写真を見たとき、「僕」はこう書いています。「人間は何にでもつかまることができなくてはならない。誰にでも」。そして、それができなかったことを、レンツは悔いている。彼の深い孤独の原因は、ここにあります。レンツは実は、喋るマシンそのものではなく、心の仕組みに取り憑かれているのです。
痛ましい話です。この小説に登場する人々は、皆、どこか痛ましい。彼らは、失われたもの、戻らないものについて、思いを巡らせます。例えば、こんな風に。

ときどき電話が鳴ったり、玄関のベルが鳴ったりする。すると、十年以上にわたって条件付けられた考えが脳に閃く。ねえきみ、出てくれないか? 僕は手がふさがってるんだ。
思考の波が返ってきて初めて、きみなんて呼べる人が誰もいないのを思い出すこともときどきあった。僕の手がふさがっているのをわかってくれる人、それを気にかけてくれる人が。

間に合わなかった。ようやくさしのべる手が空いても、すでに「きみ」には間に合わなかった。ひっくり返してみれば、こうなります。やるせない。やるせないよ。
さて、マシンは、ついにH号機までヴァージョンアップします。このマシンは、蓄えられた文章を自ら検討し、どんどん成長する。そして、与えられた文章を言い換え、寓話から教訓を読み取るようになる。「僕」がH号機に、様々な文章を読み聞かせそれを言い換えさせるトレーニングは、なかなか面白いです。H号機は、必ずしも「僕」が正解だと思っている答えを出すとは限りません。しかし、「僕」に本当に正解がわかっているんでしょうか? 教えるとは、常にこの問いに立ち返ることです。自分の思っていることが、本当に正解なんだろうか?
そして、ついにマシンの中に「私」という意識が生まれます。さらに、「あなた」が生まれる。もはや、H号機は質問マシンです。わからないことがあると、子供のように質問をくり返す。あるトレーニング中、ふいに、H号機は「僕」にこう尋ねます。

「私は男の子か女の子かどちらですか?」
気がつかなかった僕が愚かだった。グラウディングを持たない知性でも、そのうち必然的に自意識を持つようになる。必要なものをつかむために。
(中略)
「きみは女の子だよ」と僕はためらわずに言った。それで正解だったらいいのだが。「きみは幼い女の子だよ、ヘレン」
その名前を気に入ってくれたらいいのだが。

これは、ちょっと感動的なシーン。CとかUとか、アルファベットが乱舞するこの小説で、ふいに固有名詞の「名付け」のシーンが現れる。そのことに、ドキッとします。正解が何なのか、「僕」にはわかってないんですよ。でも、「気に入ってくれたらいいのだが」と願う。まるで、切ない祈りのようにも思えます。
次は、回想シーン。
Cは、両親の生まれた街、オランダのEへと移住します。そしてほどなく、「僕」もそこで暮らし始める。しかし、まったく言葉の通じない場所で、「僕」は戸惑うばかり。

彼らは立て札だとか印刷文書を指さして拳を振る。「これが読めんのか?」と言ってるのが聞こえる。しかし僕にはまだ「ええ、実は読めないんです」と答えるすべを持っていないのだ。

「僕」は、H号機のように、トンチンカンな発言をしてしまう。言葉がわからないという疎外感は、「僕」を疲弊させてゆきます。オランダとアメリカに、引き裂かれてしまう。

あの日の僕の気分は、悲しい怒りからうろうろしたつきあい上の困惑までの範囲に収まっていた。僕ははぐれものよりももっとひどかった。失われた領地にある窓のすぐ外に立ち、内で盛り上がっているパーティの様子を眺めているようなものだった。
僕たちをつなぎとめていたのは朗読だった。消えてしまいたいと思っていた僕をこの国につなぎとめていたのは。

またしても、「朗読」。いつも「僕」は、読むことで何かをつなぎとめようとしています。Cを、オランダを、H号機を…。


ということで、今日はここ(P229)まで。H号機が加速度的に成長するように、物語も徐々にスピードアップしてきてました。