『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ【5】


ちょっと表記について。主人公の一人称で語られている小説なので、語り手は「僕」と表記されており、作者と同じ「パワーズ」の名前を与えられています。そこで、「DOUBLe HoUR」では、作中人物の場合、「僕」もしくは「パワーズ」とカッコ付きで表記、作者自身を指す場合は、パワーズとカッコなしで表記します。ちなみに、カッコなしの僕は、今これを書いている、私、俺、僕のことを指しています。ややこしくてすみませんが、そこんとこよろしくです。


では、続きにいきましょう。
A号機は、徐々に文章を認識できるようになります。しかし、いざ実験してみると、でたらめな文章しか作れない。頭にきたレンツは、A号機の記憶力をがさっと減らしてしまいます。すると、マシンはきちんと文の意味を呑み込み始めます。A号機を改造したマシンは、もはやA号機とは別物、「ファジー論理とフィードバック制御で、忘れるべきものは忘れてくれる」B号機として生まれ変わります。

「わしとしたことが」レンツの声は自分に嫌気がさしたようだった。「記憶力がありすぎたのか。たしかにこいつは学習していた。だが自分の力に学習が沈没してしまったんだな。むやみやたらに頑張って、見たものすべてをしつこくつかんでいようとしすぎたわけだ。己のノスタルジアで死にそうになって。獲得のしすぎに溺れてな」
自閉症ですか」と僕は言ったのを憶えている。Aは一つ一つのデータに圧倒されたのだ。その世界はこれプラスこれプラスこれでできていた。秩序が筋道だっていない。A号機は呆然としたままで、すてることのできない思い出の品々にぎっしり囲まれて、もはや身動きもできなくなった家の中にいる、赤子同然になった白髪の未亡人にそっくりだった。

問題は、「記憶」です。メモリーでがんじがらめになって動けなくなってしまったマシン。でも、それは主人公の「僕」も同様じゃないかという気がします。何かというと、元恋人のCとの日々を回想し、そこから逃れられない。この、忘れられないということが、小説を書けないことと関係しているんだとしたら、まさにA号機です。
「僕」はいまだに、Cと一緒に過ごしたBという町での暮らしを思い出します。Uを飛びだし初めてBへやって来たときのこと。雨降る駅に降り立つ二人。お金も知り合いもないけど、くすくす笑ってた二人。この幸せが永遠に続くと信じて疑わない、若い二人。

今、ときどき、B号機をトレーニングしているときや、夜にセンターから人気のない平屋に戻ってきたときに、パニックが待ち伏せしている。何か心の中の画像がそれの引き金をひくのだ――認識というオーヴンの中に何か入れて電源が入ったままになっているのを思い出して。ほんのちょっとしたことが腕を伸ばして僕の肋骨を打ちのめす。誰かが困っている。どことも知れぬ町にある駅の正面で、現金も地図も言葉もなく、身動きがとれなくなっている。それなのに僕は盾になることもできないし、助けてやることもできない。誰かが自由落下へとまっさかさまに落ちていく。僕かそれとも旧友か。

そう、記憶のスイッチは簡単に入るんですよ。やっかいなことに。「何を見ても何かを思いだす」ってのはヘミングウェイの小説のタイトルですが、まさしくそんな感じ。「僕」の脳内に浮かぶ画像は、若いころの自分であり、また似たような境遇にある無数の恋人たちでもある。ただし、実際の恋人たちは困ってたリはしないんですね。どんな状況でも何とかなると思ってる。でも、35歳になってふり返ると、それが自由落下に思えるんですよ。切ないなあ。
さて、B号機ですが、今度は「比喩」を理解しないという問題が起きてきます。理解しないというより、比喩のせいで文脈がでたらめなことを語り出す、って感じかな。「友人たちが椅子にいる。椅子が椅子にいる。リチャードが椅子に話しかける……」みたいなことを言うわけです。そこで、レンツと「僕」は、いちいちそれらを訂正して適切な答えを教え込むようにします。幼児に言葉を教えるようなものでしょうか。そして、B号機はだんだん優等生のようになっていきます。
そしてある日、レンツは「そろそろこいつに、もうちょっと難しいのを教えてやるころかな」と言って一冊の本を取り出します。その本とは…?

彼が掘り出して見せてくれる前から、僕はもうその本が何かわかっていた。
「やめてくださいよ。工学博士。レンツ。たのみますよ。それだけは勘弁してください。その本は正教授たちに袋叩きにされたんですから」
「まあまあそう言わずに、マルセル。この本をやろうってわけじゃない。冗談じゃない。ここのところだけだ」
彼は僕の目の前でページを開け、硬い爪で第一章のどうということはない扉辞をなぞった。

「マルセル」ってのは、レンツが「僕・パワーズ」につけたあだ名です。そしてその本とは、パワーズの、そして「パワーズ」の処女作『舞踏会へ向かう三人の農夫』です。この処女作の冒頭に扉辞として引用されていうのが、有名ななぞなぞ歌。これをBに答えさせようというわけです。これは、面白い趣向。「自伝風」ってのがこんな形で効いてくるとは思いませんでした。
ちなみに、こんななぞなぞです(『舞踏会へ向かう三人の農夫』より引用)。

セント・アイヴスへ行く途中、
七人の女房を連れた男に私は会った、
それぞれの女房が七つの麻袋を持って、
それぞれの麻袋に七匹の猫が入って、
それぞれの猫が七匹の仔猫を連れていた。
仔猫、猫、麻袋、女房、
セント・アイヴスへ行く数は?

B号機は、見事このなぞなぞに正解します。さすが優等生。答えは書かないので、B号機にチャレンジしてみようという人は、これを解いてみてください。


ということで、今日はここ(P114)まで。ようやく1/4まで読み進みました。パワーズと「パワーズ」は、どこまでリンクしているのかわかりませんが、なかなか魅力的な仕掛けですね。ちょっとクラクラきます。